"Japan In-depth"[ジャパン・インデプス]

陰謀説の危険 その9 雑誌「マルコポーロ」の記事がなぜ反ユダヤとされたのか

BEVERLY HILLS, CA - MARCH 18: Simon Wiesenthal Center Dean and Founder Rabbi Marvin Hier attends Simon Wiesenthal Center's 2014 Tribute Dinner at Regent Beverly Wilshire Hotel on March 18, 2014 in Beverly Hills, California. (Photo by Michael Kovac/WireImage)

古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

 

【まとめ】

・過去に、文藝春秋の雑誌「マルコポーロ」に掲載された記事が反ユダヤ主義として国際的な批判を受けた例があった。

・反ユダヤ主義糾弾団体からの抗議を受け、自主的な廃刊と編集長や社長の解任という措置を取った。

・反ユダヤ主義糾弾機関の代表はこのような記事が出たことについて、日本における「国際的な知識の欠如や犠牲者への思いやりの欠如」が原因ではないかと述べた。

 

 これまで日本での陰謀説について論評してきた。日本での陰謀説ではユダヤ陰謀説が有力であることも報じてきた。こうしたユダヤ陰謀説に対しては当事者であるユダヤ人側からの反発や否定も激しいことも、同様に伝えてきた。ユダヤ陰謀説にはユダヤ側からは反ユダヤ主義だとする反撃が加えられるのだ。

 日本でのそんな反撃で歴史に残るのはなんといっても老舗の出版社、文藝春秋の雑誌「マルコポーロ」をめぐる騒ぎだった。「マルコポーロ」1995年2月号は「戦後世界史最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかった。」という記事を大々的に掲載した。筆者は国立病院に勤務する医師だった。いわば素人歴史家というところだろう。

筆者はアウシュヴィッツとマイダネクという2ヵ所のユダヤ人強制収容所の跡を訪れ、その他の独自の調査を基礎にしたとして、「ナチスによるユダヤ人大量虐殺はなかった」という趣旨の大胆な論文を書いたのだった。

 この記事に対してアメリカに本拠をおくユダヤ人団体の「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(SWC)と在日イスラエル大使館とが雑誌の発行元の文藝春秋に正式に抗議した。記事の内容が事実ではなく、ユダヤ人大量虐殺のホロコーストの否定はユダヤ民族への最大の侮辱、あるいは誹謗だという抗議だった。

「マルコポーロ」編集部は当初、この抗議に対してに反論のページを提供するなどして記事の撤回と謝罪を拒んでいたが、記事への非難は日本国内だけでなく、国際的にも広がりをみせ始めた。そして文藝春秋は一気に「マルコポーロ」の自主的な廃刊と同誌の編集長や文藝春秋自体の社長の解任という措置を発表した。抗議への全面的な屈服という感じだった。

この動きに対して、日本側の一部では「ユダヤ側による日本の言論抑圧だ」とする声も起きたが、広がりはなかった。文藝春秋側はSWCが同社の出版物への広告掲載の中止を内外の大企業に要請して、企業側の多くがそれに応じたことによる打撃が大きかったことを認めていた。

サイモン・ウィ-ゼンタールというのはナチスに迫害され、強制収容所にも入れられた実在の人物の名前である。彼は本来、学者として活躍し、戦後はユダヤ人迫害に直接、かかわったナチスの戦犯の追及に献身した。アメリカのユダヤ人社会は彼の名をとった反ユダヤ主義糾弾の機関をロスアンジェルスに設立したのだった。マルコポーロ事件の当時、その代表(副所長)はエーブラハム・クーパーというユダヤ教の教師だった。

私はこの時期、産経新聞のワシントン駐在特派員だった。マルコポーロ事件についてもアメリカ側の反響やサイモン・ウィーゼンタール・センターの動きを報道した。そしてマルコポーロの廃刊後にクーパー氏にインタビューした。その内容を再現しよう。

反ユダヤ活動と断じられたマルコポーロ事件とはなんだったのか、日本側の陰謀説症候群とはなにか、というあたりに改めて光を当てるためである。

当時の私は「サイモン・ウィーゼンタール・センター」のエーブラハム・クーパー副所長にその見解を一問一答の形で尋ねたのだった。その骨子は以下のようだった。

 

−−マルコポーロ誌廃刊に対し、日本の一部で過剰反応だという反発もあるが。

「廃刊による記事の撤回と謝罪という措置は日本の外では英断として大歓迎されている。各国のメディア、とくに『ロンドン・ジューイッシュ・クロニクル』紙などのユダヤ系メディアが大きく好意的に報じた。北米に四十万の会員を持つ私たちのセンターにも各地からの前向きな反応が直接、寄せられている。今回のワシントン訪問で多数の議員と会談したが、この廃刊措置への賛意が述べられた。もしこの種の措置が敏速にとられなかったら、アウシュビッツ解放五十周年のタイミングの一致で、マルコポーロ、あるいは文芸春秋社への国際的な反発は大変なものとなっただろう」 

 

−−二月二日の東京での文芸春秋との共同記者会見をどう評価するか。

 「出席者数が予想をはるかに超え、私たちユダヤ人の過去の犠牲と苦痛とを日本の人に直接、訴える初の好機となった。米国なら編集長どまりで済ますところを文芸春秋側では社長が矢面に立ったが、これは日本的な責任の取り方なのか、あるいは事態の深刻さの認識の結果なのか、いずれにせよ、私たちは好感を受けた。報道陣の対応の熱意も同様に好感を抱いたが、同時に日本では狂信的な『ホロコースト否定』とか『ユダヤの陰謀』説がチェックされないまま、かなり広範に広がっているという印象を受けた。これらは『調査』や『研究』の偽装の下のユダヤ民族への悪質な攻撃だ」

 

−−ウィーゼンタール・センターが日本の言論を抑圧したという批判も一部にあるが。

 「記事の内容は常軌を逸しているが、そうした主張を個人が述べることは自由だ。問題は記事の冒頭に編集部の記述として、そのデマを事実のように扱う見解が書かれている点だ。私たちはマルコポーロ編集部が『ナチのガス室はなかった』という見解を取ったとみて、同誌への広告提供社にその旨を知らせた。マルコポーロには直接、こちらからなんの接触もしなかった。わがセンターには言論弾圧の意図はない」 

 

−−問題の記事自体はどうみるか。

 「ナチの使用した毒ガスやガス室の詳細な実態については山のような証拠が保存されている。われわれのセンターが九四年に発行した『ホロコースト否定』という文書にも記したが、ガス室の建設書類、必要物資補給書類、工事の詳細、検査報告、工事請負企業名からガス室でユダヤ人を実際に殺したナチの収容所司令官の法廷供述まで現存する」 

 

−−ユダヤ人のほとんどいない日本で、なぜこうした記事が出ると思うか。 

「個人の動機までは分からないが、全体として体系的な反ユダヤ主義というより、国際的な知識の欠如とか犠牲者への思いやりの欠如、さらにはセンセーショナリズムのせいだと思う。だが動機はともかく、この虐殺否定のこの種の記事は結果的にナチのユダヤ民族絶滅計画の正当化と支持に等しく、その犠牲者や生存者、遺族らへの侮辱だ。ただ今回の件はもうすんだとみなし、今後は日本の人との相互の交流、理解を深めたい」  

以上がクーパー氏の言葉だった。日本側のユダヤに関する言説への当事者としてのユダヤの反応が明確にわかる言葉だといえよう。

(つづく)

トップ写真:反ユダヤ主義糾弾機関「サイモン・ウィーゼンタール・センター」の現センター長による講演の様子

出典:Photo by Michael Kovac/WireImage