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.国際  投稿日:2022/6/7

陰謀説の危険 その4 ドレフュス事件の映画にみる反ユダヤ主義


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

・19世紀末、反ユダヤ主義が根強いフランスで無罪のユダヤ系陸軍大尉をスパイ罪で終身禁固刑とするドレフュス事件があった。

・新たな証拠が見つかり、再審請求派と反対派で国を二分する大論争に。無罪証明がなされたのは逮捕から12年後だった。

・ユダヤ陰謀説には重大な陥穽がある。往々にして客観的な証拠はなく、悪意のレッテルを貼る憎悪の錯誤、という場合が多い。

フランス映画『オフィサー・アンド・スパイ』が6月はじめ日本で封切られた。ベネチア映画祭で銀獅子賞を受けた話題の映画である。監督はベテランのロマン・ポランスキー氏、主題はフランスで19世紀末に実際に起きたドレフュス事件である。世紀の冤罪ともされたこの事件の犠牲者はフランス軍の将校でユダヤ系のアルフレド・ドレフュス陸軍砲兵大尉だった。

この事件の背景の最大特徴は当時のフランスに根強かった反ユダヤ主義だった。ユダヤ人がひそかに団結して、一国や社会、さらには世界の制覇を目指すというユダヤ脅威論、ユダヤ陰謀論である。この種のユダヤ人に対する差別や偏見が暴走して、無罪の軍人を有罪にしてしまったのだ。

いまの日本の一部でもロシアのウクライナ侵略に関して「ユダヤ勢力がアメリカのバイデン政権を動かして、ロシアにウクライナを侵略させた」という陰謀説が頭をもたげてきた。根拠のない「説」である。

画像)アルフレド・ドレフュス陸軍大尉のポートレート

出典)Photo by Nextrecord Archives/Getty Images

日本でそんなユダヤ陰謀説を主張する人たちはフランスの反ユダヤ主義が歴史的な冤罪事件を生んだこの映画をどう観るだろうか。

この映画は史実に沿っているという。その映画の流れに従ってのドレフュス事件とは以下のようだった。

フランス陸軍省は1894年夏、フランス駐在のドイツ大使館付武官あての手紙を入手した。その手紙はフランス陸軍内部の兵器など機密に関する情報を記していた。フランス陸軍内部の人物からの潜在敵のドイツへのスパイ情報だと思われた。

陸軍省当局は手紙の筆跡の類似などからドレフュス大尉を逮捕した。具体的な証拠はほとんどなかった。だが当時のフランス社会の反ユダヤ志向がドレフュス大尉の疑惑をあおり、秘密裡の軍事裁判で同大尉は終身禁固刑を受け、フランス領ギアナの孤島に幽閉された。

ところがその後、新たに陸軍参謀本部情報部長となったジョルジュ・ピカール中佐がこの事件の証拠に疑問を抱き、再捜査したところ、唯一の証拠とされた手紙は実はフランス陸軍の別の将校、フェルディナン・ヴァルザン・エステラジー少佐によって書かれた事実を発見した。その結果、1899年にドレフュス元大尉への再審が開かれる。

このプロセスでは再審に反対する軍部と新証拠を理由に再審を求めるピカール中佐、そしてその主張に同調した国会議員多数が激突し、文字どおり国論を二分する騒ぎとなった。無罪を唱える側には文豪のエミール・ゾラもいて、ゾラの「私は糾弾する」というタイトルの大報告書がフランスの大手新聞でも大々的に報じられた。

画像)エミール・ゾラのポートレート

出典)Photo by Fine Art Images/Heritage Images/Getty Images

再度の裁判はドレフュス元大尉の無罪を確定した。1906年だった。なんと同元大尉の逮捕から12年後の無罪の証明だった。この間、カトリック教徒の多いフランスではユダヤ人への反感が強く、その悪意がドレフュス事件の捜査や審判を負の方向へ大きく押したことも、再三、印象づけられた。だがドレフュス元大尉は完全に無罪だと判明した。

以上のような事件の経過が映画ではわかりやすく、ドラマチックに描かれていた。国際情勢のなかでの「ユダヤ」という言葉がいかに波乱を呼び、偏見や弾圧をも招きかねないかの歴史上の証明だったともいえよう。ユダヤ民族への特定の心情がいかに悪しき弾圧につながるかの実例でもあった。ユダヤの陰謀説にはこんな重大な陥穽がある、ということだろう。

このドレフュス事件の展開はフランスはじめヨーロッパではちょうど世紀の反ユダヤの捏造文書「シオン賢者の議定書」が出回り始めた時期でもあった。この捏造文書についてはこの連載の「その2」で詳しく報告した。

だから国際情勢を語るときに、簡単に「ユダヤ勢力の陰謀だ」などと言うなかれ。その種の断定は往々にして客観的な証拠はなく、ユダヤ人をひとくくりにして、悪意のレッテルを貼る憎悪の錯誤、というような場合が多いのである。そんな錯誤はこの映画が正面から取り上げたドレフュス事件でも暴露されているのだ。

(つづく。その1その2その3)

トップ画像)ドレフュス事件、アルフレッド・ドレフュス(1859-1935)の裁判での尋問、レンヌにて – フランスの新聞「ル・ペレラン」1899年の挿絵。

出典)Photo by Stefano Bianchetti/Corbis via Getty Images




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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