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.国際  投稿日:2022/5/15

陰謀説の危険 その2 反ユダヤ主義の原典


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

古森義久の内外透視

【まとめ】

・「シオン賢者の議定書」はユダヤ民族が世界征服を計画しているとの陰謀説を広めた。

・ヒトラーはこの「議定書」を引用し、ユダヤ人と共産主義者が世界支配の陰謀を画策していると主張した。

・国際的にはこの文書が偽造であり、それを根拠にしたユダヤ批判はすべて陰謀説だと判断されるようになった。

 陰謀説はすでに述べたように長い歴史を有する。

 歴史的に悪名の高い陰謀説の実例をまず2つ、紹介しておこう。正確には陰謀説を生んだ偽文書の実例である。

 第一は「シオン賢者の議定書」である。この偽文書は世界の多くの諸国でのユダヤ陰謀説の根拠とされた。

同文書は1890年代からロシアで登場し、西欧にもすぐに広まった。内容はユダヤ民族が世界征服を計画しているという趣旨だった。いわゆるユダヤ陰謀説である。やがて偽造文書だと判明した。だがヨーロッパでのユダヤ民族への警戒や敵対を高めるという実際の効果があった。近代では全世界で反ユダヤ主義、根拠のない「ユダヤが世界の支配を図る」という陰謀説の最も広範な流布の道具となった偽文書だといえる。

シオンとは英語でZionと表記され、本来のヘブライ語ではユダヤやイスラエルを指す。

「シオン賢者の議定書」という文書の一部は1903年に明確な形でロシアの新聞に連載された。そしてヨーロッパの他の諸国にもそれぞれの国の言語に訳され、広まっていった。その内容はユダヤの賢人とされる指導者たちが会議を開き、その場で決めたとされることを「議定書」として列記していた。

内容の主体はユダヤ民族が全世界的に、経済を支配し、政治を動かし、メディアをも統制して、宗教対立をあおり、ひそかに世界の制覇を目指す、という秘密作戦だった。その作戦を24章の議定書なる文書でまとめていた。要するにユダヤ勢力が既存の主権国家を侵食する形でひそかに支配を進めるという趣旨だった。

この「議定書」はその後、アメリカやアラブ、アジア、日本にまで各国の言葉に翻訳されて伝わっていった。アメリカでは1920年に自動車王とされたヘンリー・フォードの所有した新聞などでその内容が詳しく報道された。

だが歴史上、最も苛酷な形でこの偽の「議定書」を悪用したのはドイツのナチス政権だった。

ナチスの独裁指導者ヒトラーにこの「議定書」に基づくユダヤ民族危険論を最初に植えつけたのはアルフレッド・ ローゼンバーグという人物だったとされる。1920年代、ヒトラーが独自の世界観を形成し始めたころだったという。

写真)アルフレッド・ローゼンバーグ(1893-1946)1933年

出典)Photo by © Hulton-Deutsch Collection/CORBIS/Corbis via Getty Images

ヒトラーは「議定書」を初期の政治演説で引用し、その後もユダヤ人と共産主義者が世界支配の陰謀を画策している、という主張を発信し続けた。

共産主義が世界支配を目指すという主張にはソ連共産党の世界同時革命論などをみれば、ある程度の根拠があったともいえようが、ユダヤ民族が世界を支配するという認識はまさに「議定書」に書かれた虚構だった。だがナチスは1920年代から1930年代にかけて「議定書」のウソを内外へのプロパガンダ主張の中核にすえていった。

ナチスは1919年から1939年にかけて、少なくとも23版の「議定書」を出版した。1933年に政権を握ってからは、「議定書」の内容を学校教育での生徒の洗脳教材にも使ったという。その究極の結果がドイツの国家としての反ユダヤ政策となり、合計600万人ともされるユダヤ人の抹殺、つまりホロコーストをも生んだのだから、「議定書」の陰謀説は人類史上、稀な惨劇、悲劇を引き起こしたことになる。陰謀説、まさに恐ろし、である。

この文書の起源については諸説があるが、ロシア、フランス、ドイツなどでの政治や宗教の文書、小説、論文など多数からの合成とみられている。

しかし「議定書」の内容が虚偽であることは1920年代からまずイギリスで裏づけられていった。同書が描いた「シオン賢者」が実在しないことが証明され、さらにその「会議」や「議定書」も捏造の産物だった。だがそれでも多くの国で事実のようにして広まったのである。

アメリカの一部でもユダヤ攻撃にこの「議定書」を利用する陰謀説活動は第二次大戦後も絶えず、1964年にはアメリカ議会が取り上げて、改めて「議定書」が偽造された産物だと宣言した。

アメリカ国務省の2004年版の「世界の反ユダヤ主義に関する報告書」でも「議定書」は偽造品であり、その目的はユダヤ人とイスラエルに対する憎悪を駆り立てることだと公式に断じていた。

ロシアでも1993年には「議定書」を出版して反ユダヤ宣伝に使った過激派団体が検挙され、有罪判決を受けた。

だがユダヤやイスラエルに反発の強い中東ではシリアなど複数の国家でこの「シモン賢者の議定書」を事実として学校の教科書に取り入れるという動きが最近まで報告されていた。しかし国際的にはこの文書が偽造であり、それを根拠に使ってのユダヤ批判はすべて事実に反する陰謀説だと判断されるようになった。この判断はいまでは国際的に完全に定着した。

(その3につづく。その1)

トップ写真)ドイツのナチス強制収容所への入り口。この場所は現在、アウシュビッツビルケナウ記念博物館の一部となっている。 2014年1月1日 ドイツ

出典)Photo by Richard Blanshard/Getty Images ⒸHulton Archive




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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