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市民との対話はどこに 「内部協議」と「私の考え」 「高岡発ニッポン再興」その47

出町譲(高岡市議会議員・作家)

 

【まとめ】

・急浮上した博物館移転話について住民との対話はなかった。

・市民や専門家の意見は反映されたのか質問したが、市が持ち出したのは平成22年の「高岡市立博物館整備構想報告書」。

・箱物建設は総合計画に計上し、委員会で財源など検討してもらうのが筋。

 

今回も高岡市博物館についてお伝えします。

地方自治は「民主主義の学校」と言われています。地方自治は住民の意見を反映させやすく、民主主義の理想政治体制に近いのです。

しかし、今回の急浮上した、博物館移転については、住民との対話はありませんでした。「民主主義の学校」が「学校崩壊」の危機に見舞われているのです。

私は12月議会で、9月議会で角田市長が急に博物館移転を打ち出した経緯について質問しました。

それに対し、市長は、老朽化していることや、史跡となっている古城公園内での建て替えが困難なことなどを指摘した上で、こう説明しました。

内部協議を重ねていたところに、先の定例会(9月議会)で、博物館の今後の計画についてのご質問があり、私の考えを述べたもの」。

「内部協議」と「私の考え」、2つがキーワードなのです。市役所の中で「内部協議」した結果、「私(市長)の考え」になったというのです。そこに市民との対話はあったのでしょうか。

高岡市博物館は1951年に建築されました。当時、高岡古城公園で開かれていた「高岡産業博覧会」の美術館パビリオンだったものです。

当時の著名建築家、木村徳三郎が設計しました。大阪松竹や東京劇場などを手掛けたカリスマ建築家です。

その後、高岡市民に、長く親しまれてきました。貴重な資料を収蔵しているだけでなく、郷土学習の講座なども開かれています。こうした点を踏まえると、移転にあたっては、市民、経済界、学識経験者など、さまざまな立場の人の意見を聞きくことも必要だと思っています。それが開かれた行政です。

そこで私は質問しました。博物館移転について、市民や専門家の意見は反映されたのかどうか。

高岡市の生活環境文化部長は答弁の際、平成22年に策定された「高岡市立博物館整備構想報告書」を持ち出しました。そこで博物館を古城公園の外に移転することについて提案されているというのです。

その報告書には確かにこんな記載があります。「現在地での博物館の建て替えでは建築面積など様々な面で限界がある」とし、「新たな場所に博物館を移転」するよう提言しています。生活環境文化部長は、こうした報告書などを踏まえて、「市民の皆さまのご理解をいただいているものとして認識している」と、答えたのです。

しかし、平成22年と言えば、13年も前です。その時に作った報告書をもってして、市民の皆さまの理解を得ているというのは、私にとって説得力のある答弁にはなっていませんでした。財政環境や市政を取り巻く環境が大きく違っているなか、報告書そのものが古すぎます。

また、市民からは、「どうして急に博物館なのという思いがある。市民が強く要求したのでしょうか。もし要求しなくても、市民との対話が必要。新たに博物館整備に関する各界・各層からなる検討委員会を再度設置して、緻密に検討すべきだ」との指摘もありました。

私が驚いたのは、博物館の移転が総合計画に位置付けられていないことでした。総合計画というのは、地方自治体が行政運営を行う際、最も上位の計画です。どのような自治体を目指すのか、そのためにどのような施策を行っていくのかなどを盛り込んでいます。歴史文化都市高岡にとっても、博物館は極めて重要なコンテンツです。巨額の経費もかかります。それなのになぜ、総合計画に入っていないのでしょうか。

大型箱物建設は、たとえ時間がかかっても、総合計画に計上して、委員会で財源や施設規模などに様々な角度から検討してもらうのが、筋だと思います。

トップ写真:高岡市立博物館(筆者提供)

(つづく)