"Japan In-depth"[ジャパン・インデプス]

雑誌メディアはデジタルの世紀においても夢と時代を運ぶ宝船なのか その歴史から紐解く(下)

NEW YORK, NEW YORK - JULY 04: An exterior view of the Google offices on July 04, 2022 in New York City. Google announced on Friday it will eliminate location history entries if it identifies an abortion center. (Photo by John Smith/VIEWpress via Getty Images)

松永裕司(Forbes Official Columnist)

「松永裕司のメディア、スポーツ&テクノロジー」

 

【まとめ】

・Google的発想およびAmazon的発想は、52年前の『WEC』の発行によりアメリカ人に植え付けられた概念だったとさえ考えられる。

・「Whole Earth Catalog」は『宝島』や『Popeye』など日本のサブカル雑誌誕生にも多大な影響を与えた。

・1995年前後からデジタルメディアが登場。今後雑誌は消費されるだけの存在となるのか。宝船へと姿を変えるのか。我々は時代の岐路を眺めている。

 

のつづき)

このブランドという創刊編集者はアメリカの各カリスマから「神格化」された人物。1938年12月14日、イリノイ州ロックフォード出身、スタンフォード大学で生物学を修め、一時的に従軍、米陸軍空挺部隊に籍を置いた。その後、サンフランシスコ芸術大学(San Francisco Art Institute)でデザインを、サンフランシスコ州立大学(San Francisco State Collage)で写真を学ぶ。同時期に合法的LSD体験の研究に参加、またネイティブ・アメリカンの女性と結婚するなど、当時のヒッピー文化の王道(?)を歩み、ヒッピーの生活に役立つカタログとして、『Whole Earth Catalog』の発行にこぎつけた。もちろん、PC登場のはるか昔、タイプライター、ポラロイド写真などなどの素材を駆使し、雑誌化に挑んだ。

写真:スチュワートブランド(カリフォルニア州サンフランシスコ 1975年9月)

出典:Photo by Janet Fries/Getty Images

 暗黒に浮かぶ地球の姿を表紙としたが当時、真っ暗な宇宙に浮かぶ地球の写真を目にした人々はまだ稀。その写真の開示をNASAに要求し掲載。いまでこそ当たり前のように思われるが、その写真だけで、世の中に相当なインパクトを与えたことは想像に難くない。宇宙空間に浮かぶ地球を一般の人が目にしたのは、この雑誌の表紙が初めてだったとまで言われる。

 ブランドは1966年にSDGsの概念を初めて世に送り出した思想家バックミンスター・フラーの講演を公聴する機会に恵まれた。この講演は後に『宇宙船地球号操縦マニュアル』として上梓され、フラーは「宇宙船地球号」という言葉を生み出した人物として知られる。ドラッカーやイサム・ノグチと深い親交もあり、彼の唱えた宇宙船地球号は、『WEC』の表紙として具体的に示されたとしても過言ではない。

 『WEC』について、WEB上に散見されるblogなどでは極めて大仰に「地球上のあらゆる物が紹介されている」カタログ誌…という形容を見かけることもあるが、それはあまりにも大袈裟。同誌はあくまで数ドルの大判カタログであり、誌面の都合上、本当に「すべて」が紹介できるわけもない。昔の電話帳ほどの厚さで、世界の「すべて」が収録されてはかなわん。

 しかし当時としては、この誌面が画期的なスタイルだった。要はヒッピー社会向けに、DIYを主体としたメールオーダー可能な様々な品々を解説、記載したカタログを発行した。これは誌面上に展開された「amazonと考えることもできる。森羅万象をテーマに据えたカタログ誌は、ヒッピー社会に、またその後のアメリカに大きな影響を与えた。誌面を眺めてみると、現在のGoogle的発想およびAmazon的発想は、52年前の『WEC』の発行によりアメリカ人に植え付けられた概念だったとさえ考えられる。

写真:推定6,000人の若者が参加したデモ「ラブイン」(カリフォルニア州ロサンゼルス 1967年3月26日)

出典:Bettmann/Getty Images

 今となっては、当たり前の発想だが、現代Bettmann/Getty Imagesに通じる思想と概念の先駆けが『Whole Earth Catalog』であり、それこそがこの雑誌を「伝説」に仕立て上げた。『WEC』に巡り合う機会のほとんどなかった日本人にとって、GAFA的発想が生まれなかった遠因ではないかと想像してしまうほど。現在アメリカの各種デジタル・プラットフォーマーは、すべてこの雑誌の影響を受けているのではないか…そう考えても不思議はない。

 1971年に一旦、休刊宣言を出したにもかかわらず、その人気はその後も留まらず1980年9月、『The Next Whole Earth Catalog』が刊行され、復刊。こうした流れが『WEC』シリーズを複雑化させている要因ともなっている。1998年まで発刊された『WEC』ファミリーは全34巻となっている。

 

■「Stay Hungry, Stay Foolish」はジョブス自身の言葉ではなく『WEE』からの引用

『WEC』は、スティーブ・ジョブズをして「インターネットがない時代のGoogle」とまで形容させており、彼自身もこのカタログに影響を受けたうちの一人であるのはあまりにも有名。彼が2005年、スタンフォード大学の卒業式で行った名高いスピーチのうち「Stay Hungry, Stay Foolish」というフレーズはあまねく知られるところだが、これは彼自身の言葉ではない。1974年に発行された雑誌『Whole Earth Epilog』(『WEE』)の裏表紙に記された一節だ。

 ジョブズ信者の解説を読むつけ、この引用が「これは『Whole Earth Catalog』最終号から…」という記述を多く見出すことができるが、ジョブズの引用は『Whole Earth Epilog』からであって『WEC』からではないという事実をしっかり踏まえたい。 

知ったかぶりした知識人が「ジョブズの言葉は、『Whole Earth Catalog』最終号から引用され…」などと自説を繰り広げるのは滑稽でさえある。ジョブズ本人の言葉ではないにもかかわらず「ジョブズはこの一句で何を伝えたかったか」など仮説を展開しまくる信者のおめでたさ。ジョブズは彼自身のスピーチの中で確かに「最終号」と口にはしている (On the back cover of their final issue)。しかし、「Stay Hungry, Stay Foolish」というフレーズは1974年に発行された『Whole Earth Epilog』の表4に記載されているのは事実。引用する側は、その点を補足すべきであり、鵜呑みにし語り続けるのはいかがなものだろうか。

写真:1974年に発行された『Whole Earth Epilog』の表4に記載されているフレーズ

出典:筆者提供


ブランド本人が休刊イベントを開催しているだけに正式な最終号は72年の『The Last Whole Earth Catalog』。それを引き伸ばしたとしても74年に刊行された改訂版『The (Updated) Last Whole Earth Catalog』であるべきだろう。ジョブズによる引用はあくまで『WEC』の「エピローグ」版からである点、ここに念を押しておく。

 71年6月21日に開催されたとされる『WEC』の休刊イベントでは、ブランドの意思を継ぐものへの対価として2万ドルが用意され、うち1万5000ドルがフレット・ムーアという人物の手に渡った。75年、ムーアは「ホームブリュー・コンピューター・クラブ」を結成、フリーソフト、情報共有などの概念を打ち出したとされる人物。このクラブには、ジョブズ、ビル・ゲイツ、スティーブ・ウォズニアックも参加していたという嘘のような縁がある。ウォズニアックが「Apple Ⅰ」の試作版を持ち込んだのも、このクラブ。伝説がまた次の伝説を生み出した。

 ジョブズとブランドはそもそも面識があり、『Whole Earth Epilog』はジョブズからのリクエストにより、ブランドが直接送った一冊である事実は、ブランドの口から語られている。ヒッピー世代の言葉など今の若者が知る由もないだろうが、このジョブズのスピーチにより『WEC』人気は再燃した。 

 

■『Whole Earth Catalog』から生まれた『宝島』や『Popeye』

 この伝説のカタログがアメリカのみならず、実は『宝島』『Popeye』など日本のサブカル雑誌誕生にも多大な影響を与えた。

 『宝島』の前身は、1973年に発行された『Wonderland』植草甚一責任編集を掲げ、晶文社より発売された。編集長は高平哲郎さん、アートディレクターは平野甲賀さん。連載陣は、植草さんご本人に続き、片岡義男さん、佐藤信さん、筒井康隆さん。執筆陣には、淀川長治さん、キャロル小林信彦さん、菅原文太さんという錚々たるメンバーがずらり。特別企画も「ロックンロールは地球の嘆き」とEarthを意識させるテーマとなっている。

写真:左がwonderland創刊号 右が第2号

出典:筆者提供

 

「月刊新聞VOW!」は、後の『宝島』における大ヒット企画であることをご存知の方も多いだろう。「VOW」は実は「Voice Of Wonderland」の略。このコーナーの扉には、「2$」の表示も見え、穿った見方をすれば、『WEC』を模倣しているようにも思われる。『Wonderland』はやや小さめながら、当時の日本の雑誌としては非常に大きな判型からして、『WEC』を意識している。

 商標問題により本誌名は2号まで発行後、3号目からは『宝島』を名乗ることになった。サブカル感は保たれたものの、WEC感は薄れ消え去ってしまった。のちの『VOW』により独自の文化を築き上げたが、その独自性ゆえに、やや閉じた世界へと向かったように思える。

 一方、平凡企画センターから『Made in U.S.A. catalog 1975』が週刊読売6月号増刊として発売された。こちらはWECに影響を受けたカタログ誌の代表。マガジンハウスの元最高顧問・木滑良久さんによれば、これは1970年に創刊された『アンアン』の中に「ショッピングガイド」というページがあり、これがヒントになったと述べている。

 ただし、この流れを組んだ1976年創刊の『POPEYE』の誌面は、確かにカリフォルニアテイストをまとったカタログ誌であり、誌面を眺めると『WEC』を想起されるには十二分。様々な影響を受けた潮流の結果、『WEC』が具現化された誌面作りになったと理解しても間違いではないと考える。

 『POPEYE』の成功は『Olive』を産み、1988年『Hanako』を世に送り出した。この頃、日本の雑誌業界は2兆円の売上を達成。雑誌の黄金期を築き上げる。潤沢な広告予算を財源に女性誌が百花繚乱となったのも、この頃だ。

 一方、1995年前後にインターネット・メディアが登場すると、その波は出版業界のみならず、メディアを静かに飲み込んで行った。高度成長期、バブル期と飛ぶ鳥を落とす勢いだった雑誌作りも少しずつその形式を変えた。いわゆる情報誌、カタログ誌と呼ばれたカテゴリーは、概ねインターネット・メディアに飲み込まれた。「文春砲」などと謳われる週刊誌たちも、ネットとのハイブリッド型へと移行。その発信方法を模索している。

 リアル・マガジンが隆盛を誇った1980年代後半のキャッシュとマテリアルな世界から時代は変わり、1960年代のヒッピーの時代ではないが、心の豊かさを追い求める時代へと緩やかに流れているようにさえ思える。そして2020年代、もはや新しく創刊される雑誌は珍しくなり、情報の担い手としても、より変革を迫られている。

 それでも、「誌面」を媒介し物理的に手元に残る雑誌は、その時代を切り取った世相の鏡であり、時を越え、「その時代」を後世へと運び出す。果たして雑誌は、その利点を活かし、後世まで生き残ることができるのか。

 一方現在、隆盛を誇るデジタルメディアは、日々情報は垂れ流し、行く情報の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。サービス終了の際は、コンテンツ・アーカイブさえ残らないケースも散見される。デジタルメディアは、時代を切り取り後世へと、それを伝える媒体へと変貌を遂げるのか。

 ヨーロッパの動乱により16世紀までにガゼット文化が広まったように、ロシアによるウクライナ侵攻は、デジタルメディアにより、あらゆる情報が世界へと拡散されている。

だが、その情報をパッケージ化し、後世に残す機能を備えない限り「有史」継続の担い手へとは成長しない。

 雑誌は、デジタルメディアに情報だけ吸い上げられ、その情報の垂れ流しに消費されるだけの存在となるのか。それとも、デジタルの力を借り、情報の大海原を渡る知識の宝船へと姿を変えるのか。我々は、その時代の岐路を眺めている。

(了)

トップ写真:Googleオフィスの外観(ニューヨーク市 2022年7月4日)

出典: Photo by John Smith/VIEWpress via Getty Images