"Japan In-depth"[ジャパン・インデプス]

イデオロギーの重要性の増大【2023年を占う!】国際情勢⑥

NEW YORK, NEW YORK - SEPTEMBER 20: Japanese Prime Minister Fumio Kishida speaks at the 77th session of the United Nations General Assembly (UNGA) at U.N. headquarters on September 20, 2022 in New York City. After two years of holding the session virtually or in a hybrid format, 157 heads of state and representatives of government are expected to attend the General Assembly in person. (Photo by Anna Moneymaker/Getty Images)

写真:第77回国連総会で話す岸田首相(2022年9月20日)

出典:Photo by Anna Moneymaker/Getty Images

 

古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

・2023年の国際情勢でますます顕著となる第6の要因はイデオロギーの重要性の増大である。

・近年の国際秩序のあり方をめぐる戦いでは、イデオロギー面での対立や闘争も激しくなってきた。

・自国の信奉するイデオロギーを明確かつ積極的に語ることは日本にも求められることは確実である。

2023年の国際情勢でますます顕著となる第6の要因は政治理念、つまりイデオロギーの重要性の増大である。

それぞれの主権国家にとってその国が採用するイデオロギーがなにかがより重要になるという潮流を指す。

すでに述べてきたように、第二次大戦後、そして東西冷戦の終結後の世界では、多数の国家はアメリカ主導の国際秩序に加わってきた。この国際秩序は自由民主主義をはじめとする明確な政治理念、つまりイデオロギーに立脚してきた。その秩序が構築され、保持されていくうえで最大の指針であり、自明の前提だとみなす普遍的な基盤がそのイデオロギーなのだ。

だが近年にはそのアメリカ主導の国際秩序への挑戦が激しくなった。挑戦する側の中国は共産主義、社会主義を基盤に米欧式の民主主義を否定する。ロシアもアメリカの民主主義には同調しない。北朝鮮やイランにいたっては「自由民主主義」という標語自体が敵視し、否定すべき危険なイデオロギーということになる。

近年の国際秩序のあり方をめぐる戦いでは、イデオロギー面での対立や闘争も激しくなってきたのだ。2023年にもこの傾向がさらに強まることは確実だといえる。

こうした潮流のなかで既成の国際秩序に加わり、留まる国家にとっては、自由民主主義に集約される政治理念、イデオロギーの受け入れが前提となる。世界全体でのイデオロギーの区分による各国の立ち位置が明確になってきたのだ。

同時に各国にとって第5の国際潮流として指摘した国家独自の主権の発揮がより重要になれば、その国がどんな政治体制を保持し、どんな政治理念を信奉するかを自然とより明確に求めるようにもなる。主権を強調する独立国家にはその国の自主性を明示するイデオロギーの支えがより強固に求められるということだろう。

自国の団結や求心力を高めるにはその国家としての存在を理論的、精神的に保ち、支える思考が必要となる。国のあり方についてのイデオロギーの役割への求めが増大するわけである。

 ひとつの主権国家が複数政党の存在を認めるか否か、個人の政治意思の自由な表明やその結果としての普遍的な選挙を認めるか否か、経済の運営でも私有や民営という大原則を大幅に認めるか否か。いずれもイデオロギーの選択となる。

 自由民主主義を信奉しないことを宣言する中国にとっても、自国の共産主義というイデオロギーの正当性を強調することが自国の存在意義の誇示にもつながる。中国はアメリカとの対決を厳しくすればするほど、イデオロギー面での対アメリカ闘争も激しくする、という構図である。

 だが日本にとってはこのイデオロギーの重要性の増大も、意外な難題だといえよう。日本は官民ともに自国が立脚するイデオロギーを対外的に明確に説く作業は苦手のようである。現実に日本が他国との関係において自由民主主義の効用を強く論じるという動きは戦後の長い日本外交でも少なかった。日本にはむしろその点でのためらいがあったとさえいえよう。

 戦後の日本は疑いなく自由民主主義の理念を全面的に受け入れ、実現してきた。だがその事実を力強く説くことには複雑なためらいが散らついてきた。とくに中国や北朝鮮という近隣の非民主的な独裁国家に対して民主主義の大義を説き、相手側の非民主的な独裁支配を非難するという行為を実際にとることは、きわめて少なかったといえる。

 その理由はやはり日本の敗戦という歴史の重みだと思われる。日本自身が終戦までは非民主主義の国家だったと戦勝国から断じられ、戦後はその断罪を黙って受け入れてきたといえる。そうなると日本の民主主義は戦後の敗北と反省の賜物だけのようにも、みえてくる。日本国民の多くがそんなふうな態度をみせてきたともいえよう。戦前の日本にも自由民主主義に通じる社会の構造や秩序があったことは、その種の「反省」では無視されてしまう。

 となると、日本が民主主義の実践の効用を他国に向かって誇らしげに語ることにも、ためらいが出てくるのは自然かもしれない。日本は近年でもとにかく自国が選んだイデオロギーの長所を外部に向かって力強く語ることが少ないのだ。

 もっともその背景には自国の主張を諸外国に対して積極的に伝えることは、戦前も戦後もそもそも苦手だった、という日本の国民性にもからむ特徴が働いているのかもしれない。

 しかし2023年の世界では自国の信奉するイデオロギーを明確かつ積極的に語ることはこれまでよりもずっと多く各国に求められることは確実である。日本にとってもこの点での寡黙や沈黙の美徳は捨てざるをえないだろう。 (⑦につづく。