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.社会  投稿日:2015/3/28

【環境変化、活かすも殺すも自分次第】 〜新・社会人へのメッセージ〜


西田亮介(立命館大学大学院 先端総合学術研究科 特別招聘准教授)

 

『Japan In-depth』の安倍編集長の依頼を受けて、新社会人のみなさん、おめでとうございます・・・と書きはじめてはみたものの、脳裏をよぎったのは新社会人とは誰のことを指すのだろう、ということだった。そもそもぼく自身が、いつから「社会人」になったのか、という明確な自覚はあまり存在しないということも思い出した。それどころか、現在、社会人なのか、といわれると、それもどうも心許ないところがある。

ぼくは研究者であり、文筆業者なのだけど、はじめて商業媒体に文章を書いて、原稿料を手にしたのは2008年のことだった。だがそこで手にした金額は、生計を立てるというにはあまりに少額だった。そもそも大学は留年した学部からはじまって、途中で働き始めたものの、博士課程を単位取得退学するまで通算10年も籍を置いた。その後、博士号を取るまでに3年かかっているから、なんと13年ということになる。その過程で、いろいろな仕事をするなかで収入が増えていって、20代後半でなんとか生計が立つようになった。

したがって、これを読んでいる多くの皆さんのように、「今日から会社で働き始めたので、社会人」という節目をもたないまま、だらだらと現在に至っている。あまり「今日から社会人」という契機はなかったような気がする。その挙句、獲得したのが、新社会人へのメッセージをという依頼を受けて、そもそも新社会人とは誰のことだろう、などと問い直すような捻くれた性根なのである。

とはいえ、転機はというと、確かにめでたい気もする。自分が志望した会社に勤めることになった人も、あまりそうはいかなかった人も、スタートを切り直すタイミングになるだろう。行動経済学が明らかにするように、デフォルト・ルールの影響力は強く、何か端的なきっかけがない限り、「仕切り直し」の決意はいつも難しい。実行となれば、尚更のことである。

だが、当たり前になってしまった思考や習慣、人間関係のクセを修正するもっとも簡単な方法は、環境それ自体を変えてしまうことである。そのような観点に立つなら、もし志望と異なる業界や場所に行くことになったとしても、あまり落ち込む必要もないのではないか。

あまり構えず、飛び込んでみればそれはそれで予期しない学びもあるかもしれない。ぼく自身のことを振り返ってみても、半ば偶発的に、20代後半に勤めることになった中小企業支援の調査機関では公的機関の仕組みや中小企業政策、日本的なサラリーパーソンの実態など、思いのほか学ぶことが多かったし、知人も増えた。現在の仕事にも少なからず役に立っている。

新しい環境に飛び込んでみて、もし実際に出会ったのがやはり事前の予想通りの失望だったとしても、その経験自体が学びであり、次の勝負の機会のために、力を蓄える契機にすればよい。

結局のところ、新社会人になる云々という気負いは、何か次のステージに移行するための、自分にとっての仕切り直しの機会に過ぎない。換言すれば、環境の変化を活かすも殺すも自分次第であって、環境が変わっても、それを自分のバネにできる人もいれば、できない人もいるという程度のことに過ぎない。

いくら飛び込んだ先がよい環境でも、そこで埋没してしまっては元も子もない。日本社会では、やはりこうした変化を自覚する共通体験は、現在でも新しく会社に入社したり、新しい学校に入学したりした時ということなのだろう。

この文章を目にした皆さんにとって、4月からの――あるいはそれに限らず―、これから直面する新しい環境が、次の成長のきっかけになることを願ってやまない。


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