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政治  投稿日:2015/12/5

[細川隆一郎]【返せ!北方領土を!プーチン大統領】~四島返還、粘り強く主張し続けよ~

細川隆一郎-01
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細川隆一郎(政治評論家)

細川隆一郎の「THE  提言」

隣の家に変なやつ住んでいると、不愉快なものだ。早くどこかへ引っ越してくれないかなと思う。おそらく、相手もそう思っているのではないか。国と国との間柄でもそうだ。ロシアは日本の北方領土を昭和二十年八月十五日、終戦のどさくさに紛れて、不法に奪取してしまった。あれから五十五年、旧ソ連・ロシアは、四つの島を返そうとしない。

九月初めにロシアの大統領ウラジーミル・ウラジーミロヴィッチ・プーチン氏が来日し森首相と会ったが、同大統領の言うことは、従来のロシアの態度を変えるものではなかった。北方四島の返還については、日露両国で継続して話し合おうということにとどまった。日本は、エリツィン前大統領と橋本元首相との会談で、二〇〇〇年中に北方四島を日本に返還し、平和条約を締結するという合意に大きな希望を持ち続けて来たが、プーチン大統領の発言で、このことは夢に終わってしまった。

日本人は甘い夢にすぐ希望を持つが、ロシア人というのはちょっとやそっとでは動かないものであることを、肝に銘ずべきである。ロシア人は、〝自分の物は自分の物。相手の物も、自分の物〞という考えが強い。北方四島を今もって日本に返さないところをみれば、分かるはずだ。

付け加えて言うならば、スターリンが旧ソ連邦の書記長として君臨していた終戦直後、同書記長は、北海道を侵略する気であった。そのことを察知したトルーマン米大統領は、スターリンに次のような警告を発した。〝もし、ソ連軍が北海道に侵略するようなことでもあれば、残りの原子爆弾をモスクワに投下する〞と警告した。スターリンは、〝これは、えらいことになる〞と言って、北海道侵略を諦めたのである。当時はまだ、ソ連には原子爆弾がなかったのである。従ってアメリカの警告に、スターリンは従わざるを得なかった。

二発のアメリカの原爆によって、日本は敗戦のどん底に叩きこまれたが、残りの一発によって、ソ連の北海道侵略を防ぐことができたということは、不思議なことだと言えば不思議なことである。旧ソ連・ロシアは、いろんなことを言うが、四島返還は全く考えていないのだろう。ならば日本は、四島返還を粘り強く、諦めないで主張することだ。プーチン大統領の耳にタコができる程、〝返せ、返せ〞と言い続けることを忘れてはならない。

だいぶ昔のことだが、ソ連邦は二度にわたって、隣国・フィンランドを侵略し、一部をソ連領に組み込んでしまった。国力の弱かったフィンランドは、ソ連に対し、敵愾心を燃やした。両国関係は悪化した。フィンランドのケッコーネン大統領は、旧知のスターリンソ連書記長をモスクワに訪ね〝両国関係をよくするには、フィンランドから奪った領土を同国に返還することだ〞と述べた。両者の話題が領土問題に及ぶや、スターリン書記長は、ギュッと身構えて、こう述べたという。〝戦争で取ったものを返せというならば、戦争をしたらいいじゃないか〞。

これがロシア人の考え方なのである。共産党政権下であろうと、今日のプーチン政権であろうと、主義とは関係なく、ロシア人の領土に対する考え方なのである。この話は、岸信介元首相が存命中に、私に語ったことである。こういう歴史的事実から推量するに、ロシアの領土的野心には、並々ならぬものがあるということを知っておく必要がある。

一九〇四~五年、明治三十七~八年の日露戦争を思い出してみよう。あの時、世界一の軍事大国であったロシアと、国運を賭けて日本は戦ったのである。なぜ戦争が起きたのか。それは、ロシア人の持つ伝統的な〝向日性〞による南下政策から、日本を守るためである。それこそ、国を挙げて若者は大陸に渡り、ロシア陸軍と激しい戦争を繰り広げたのである。決定的な戦いは、明治三十八年三月十日に日露両国の陸軍が対決した〝奉天大会戦〞である。これによって、日本軍はロシア陸軍を徹底的に叩きのめして、ロシアをして敗戦を自覚せしめたのである。

一方、日本海軍は旅順港を閉鎖し、ロシアの東方艦隊を身動きできないようにした。困ったロシアは、バルト海にいた、いわゆるバルチック艦隊を、アジアに回航させた。当時、日英同盟のおかげで、英国は日本に有利な動きをしていた。明治三十八年五月二十七日、日本海において、東郷元帥を指揮官とする日本の連合艦隊は、バルチック艦隊を待ち受け、海戦数時間にして同艦隊を全艦撃沈し、ここに日本陸軍と海軍は共にロシア軍を破り、大勝利を博した。

日本は、世界一の陸軍国と言われ、強力な海軍を持つ大ロシア帝国を撃破し、米英と共に世界の三大強国と言われるようになった。世界は、日本がひとたまりもなくロシアにやられると見ていたが、案に相違して日本が勝った。黄色人種が白人をやっつけたのは、人類史上初めてのことであった。

話はちょっとそれるが、戦後、インドの首相となったネール氏は、当時十六歳で、英国に留学中であった。ネール氏の故郷・インドは、英国の植民地であった。インド独立の夢を持っていたネール少年は、黄色人種である日本が大ロシアを撃滅した報を知るや、同じ有色人種であるインドも独立できると固く信ずるようになり、同氏はインド独立に向かって、勉学にうち込んだという。それだけの衝撃を、日本は世界に与えたのである。

かつての日本民族には、独立の気概があったが、昭和二十年八月、敗戦の痛手を被って以来、独立心を失い、相手の顔色だけを見て外交をする情けない民族になりさがってしまった。プーチンロシア大統領には、軽くいなされてしまったような気がしてならない。

(©細川珠生 無断複製、転載を禁じます。「産業新潮」2000年10月号所収)

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