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.国際  投稿日:2024/4/20

NYで能登震災復興支援コンサート 立ち上がる地元企業


柏原雅弘(ニューヨーク在住フリービデオグラファー)

【まとめ】

・4月12日に能登の震災復興を応援するイベントがニューヨーク市内で開かれた。

・被災した輪島塗の老舗「田谷漆器店」らが参加。岸田首相は同店のコーヒーカップとボールペンをバイデン大統領夫妻に贈呈。

同店広報影山さんは「(漆器を)もっとニューヨークの人に知ってもらいたい」と述べた。

 

「芸術や音楽が被災地の人たちにご飯を提供できるわけではない、という無力感があった」

ニューヨーク在住の作曲家、金澤恵之さんはそう語る。

4月12日、能登の震災の復興を応援するイベントがニューヨーク市内で行われた。

イベントは、東京藝術大学出身者と、ニューヨークを拠点とする主に、日本人の音楽家・美術家で構成される芸術家集団「The Bricks NYC」の主催で行われた。

イベントでは、美術家らによる美術品の展示即売会、ポップアップストアでの販売や、茶会などが2日間にわたって催され、音楽家によるコンサートも開かれ、大変な盛況を博した。

金澤さんはThe Bricks NYCのメンバーの一人である。

今年の正月に能登半島で震災が起き、遠いNYで、日本人同胞として何ができるかを考えたが、アーチストとして金澤さんが出来ることで、思い浮かぶことは少なかった。震災が起きてまず、すぐ必要なのは生活基盤の復興支援であることは明白だった。

出来ることが何か無いかを考えていた矢先、石川県の吹奏楽連盟が被災地での吹奏楽活動の支援をしているのを知った。加えて、東日本震災のときに立ち上がった、GBファンドという文化・芸術による被災地の復興を支援する団体の存在をも知り、日本でもそういう動きがあるのならば、自分たちにも出来ることがあるのではないか、とアーチスト仲間に声をかけ、この日のイベントの実現に動いたという。

能登の震災は、アメリカでも発生当初は比較的大きく報道されたものの、ニューヨークでそれを記憶している人、知っている人びとは少ない。

イベント1日目の夜にはクラシックコンサートが行われ、会場にはアメリカ人のお客さんも多く詰めかけ、用意した席だけでは座りきれず、急遽、追加のイスが多く並べられた。私もコンサート会場の照明の設営に微力ながらお手伝いをさせていただき、イベントの熱気を肌で感じることが出来た。

▲写真 バイデン大統領夫妻に贈られたコーヒーカップと同じ型のカップを手に説明する「田谷漆器店」の広報・影島麻衣子さん(筆者撮影)

コンサートの冒頭では、今回のイベントのために被災地の輪島市から駆けつけた、輪島塗の老舗「田谷漆器店」の広報、影島麻衣子さんからの現地報告があった。

田谷漆器店は、工房と事務所がほぼ全壊、完成間近だったギャラリーは、10代目である田谷昴大さんの目の前で焼け落ちたといい、影島さんは被災状況のスライドを見せながら今の能登の状況を報告したのだが、多くのアメリカ人は悲惨な現状を知らなかったと見えて、説明に大きく頷く姿が見られた。

全壊した田谷漆器店で唯一救いだったのは、地震は1月1日に起きたため、会社は営業しておらず、工房も稼働していなかったことで、人的被害が全く無かったことだった。もし、これが平日で、職人が作業などをしていたら、と思うとゾッとする、と、影島さんは語った。田谷漆器店の工房は、1階部分が完全に潰れてしまったのである。

人的被害がなかったとは言え、工房、事務所は潰れ、完成間近のギャラリーは焼け落ちてしまい、何もかも、終わってしまった、と思われたが、丈夫なことでも有名な輪島塗であったせいか、もうダメかと思われた漆器の多くが、瓦礫の下から、破損を免れてたくさん見つかった。そうやって救い出された漆器は、全体の80%にもあたるという。

今回、影島さんはそれら「生き残った」輪島塗を携えて、ニューヨーク入りこのイベントに参加した。

会場では輪島塗の即売会も行われ、震災での影島さんの説明を聞いた上で、実物の輪島塗を手に取ったアメリカ人は、被災地から復活した、その器のストーリーと、美しさにため息をついていた。

田谷漆器店には今回、一つ、明るい話題があった。

今回のイベントと、同じタイミングで訪米した岸田首相が、ワシントンDCにバイデン大統領夫妻を訪問した際、田谷漆器店のコーヒーカップと蒔絵が描かれたボールペンを手土産として贈ったのである。

▲写真 岸田首相から贈られた、田谷漆器店のコーヒーカップを手に取るバイデン大統領夫妻 出典:首相官邸 総理の一日(2024年4月9日)

大統領夫妻に贈られた名入りのコーヒーカップも、震災の被害から救い出されたものをベースにして作り上げられた。ボールペンにはアメリカの象徴であるワシと、日本を象徴する鳳凰の蒔絵が描かれている。どちらも職人入魂の逸品である。

現在、田谷漆器店には同じものがほしい、と注文が舞い込んでいるという。

また、今回の取引があったおかげで、ニューヨークとも縁ができ、今後、アメリカへの販路拡大への道筋も作れるかも知れない。

「被害は悲惨な状況なので、これをチャンスに変えて、これからどんどんニューヨークの人に知ってもらう機会を増やしていきたいと思います」

そう語る影島さんの表情は明るかった。

今回のコンサートやイベントでの売上や収益は、100%、関係先に寄付されるとのことだ。

※当日の様子は動画をごらんください

トップ写真:ニューヨーク「能登震災復興支援コンサート」の様子(筆者撮影)

修正:タイトル、まとめ、本文一部加筆修正 2024年4月21日15:08




この記事を書いた人
柏原雅弘ニューヨーク在住フリービデオグラファー

1962年東京生まれ。業務映画制作会社撮影部勤務の後、1989年渡米。日系プロダクション勤務後、1997年に独立。以降フリー。在京各局のバラエティー番組の撮影からスポーツの中継、ニュース、ドキュメンタリーの撮影をこなす。小学生の男児と2歳の女児がいる。

柏原雅弘

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