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.国際  投稿日:2015/12/7

[林信吾]【英・国王と有色人種とテディ・ボーイズ】~ヨーロッパの移民・難民事情 その11~


 林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

執筆記事プロフィールblog

ロンドン中心部のリージェント・ストリートと言えば、高級ブランド店が軒を連ねることで名高い。日本で言えば、東京の銀座通りであろうか。

1920年代に、この通りにたむろする若者たちの間で、オールバックに整えた髪をさらにポマードで光らせることが流行し、リージェント・スタイルと呼ばれた。日本で言うリーゼントだが、どうもわが国には「英国直輸入」ではなく、あのエルビス・プレスリーの髪型ということで、つまり米国経由でもたらされたらしい。

今回のテーマは、もちろん髪型の話ではないのだが、ロンドンにおける黒人問題と、この髪型は、実は意外な関係があったのだ。

第二次大戦後、戦禍によって大量に失われた若年労働力を補填すべく、英軍の一員として参戦し復員した、英領ギニア出身の黒人兵士たちに、引き続き英国に居住して働くことを認める、という布告が出された。続いて、ロンドン・トランスポートがジャマイカに職員の募集事務所を設け、この結果、多くの黒人移民をロンドンに迎えることとなった経緯は、前回述べた通りである。

ところが1950年代に入るや、復興がひとまず軌道に乗ったかに見えた英国経済は、早くも停滞期に入る。日本のような順当な経済成長はなかった。するとたちまち、「黒い肌の移民たちが、自分たちの職を奪っている」という声が聞かれるようになり、移民排斥運動が盛り上がりを見せ始めた。その尖兵となったのが、テディ・ボーイズと呼ばれる、白人労働者階級の不良少年グループだった。

彼らのいでたちは、リーゼントに丈の長いウールの立ち襟コート、というものだが、こう述べてもイメージしづらいかも知れない。『アメリカン・グラフティ』という映画に、ファラオ団を名乗る不良少年グループが登場するが、彼らの格好がまさにテディ・ボーイズだと言えば、思い出される方もいるのではないだろうか。

問題は、テディ・ボーイズという呼び名の由来で、実はこれ、第一次世界大戦後の英国王エドワード8世のことなのである。エドワードの通称がテディで、英語圏では他にも、リチャードならディック、レベッカならベッキーといったように、綴りの一部から決まった通称がつく。このエドワード8世というのが、なかなかの洒落者で、王侯貴族として初めて髪型をリーゼントにしたため、この髪型を好む若者の代名詞になったものらしい。

それはそれだけの話なのだが、ロンドンのテディ・ボーイズたちは、鉄パイプを振り回して黒人移民や移民が経営する商店を襲撃したりした。1958年に、ロンドン南部のポートベローで起きた黒人と白人の大乱闘(バスの中での、若者同士の口論がきっかけだと言われる)は、後々まで語り草になったほどだが、当時こうした衝突はあちこちで起きていた。

話題としては前後するが、このエドワード8世という国王は、前王ジョージ5世の逝去にともない、1936年1月20日に即位した。ところが、離婚歴のある米国人女性ウォリス・シンプソンとの関係を清算できず、同年12月21日、戴冠式も済ませないまま退位してしまう。日本でも「王冠を捨てた恋」として有名になったが、実はこの人、なかなか強烈な白人優越主義者であったことが、最近明らかになってきている。

その話は「王冠を捨てた恋の真相」とでも銘打って、いずれ稿を改めて述べることもあろうが、この話と、国王の髪型から想を得て、テディ・ボーイズと呼ばれる青少年が、移民排斥運動の先頭に立った事実を重ねると、どうも単なる偶然では済まされないような気がするではないか。

1970年代から80年代にかけても、当時「英国病」とまで言われた経済の低迷を背景に、やはり移民排斥運動が社会問題化した。この時は、頭をつるつるに剃り上げた、スキンヘッズと呼ばれるグループが台頭し、主たる標的も彼らの言う「イン・パキ=インド・パキスタン系の移民」になったようだ。

昨今、イスラム過激派のテロ行為について、差別や貧困がその温床だとする意見もあれば、それに対して懐疑的な意見を開陳する人もいる。たしかに、宗教的正義の名の下にテロを容認する彼らの教義について、その危険性を軽視できないが、移民・難民問題の総体としては、やはり経済的要素を見落としてはならないと私は思う。

※トップ画像:everystockphoto.com / photo dlisbona (View this photo on Flickr)

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