南シナ海問題「中国がASEAN分断に奏功」は本当か?
千野境子(ジャーナリスト)
南シナ海問題が焦点となった東南アジア諸国連合(ASEAN)外相会議は、オランダ・ハーグの仲裁裁判所の裁定(九段線に法的根拠がないなど中国の主張をほぼ全面否定)に言及しない共同声明をもって閉幕したため、中国のASEAN分断工作の奏功とASEANの限界が専ら指摘された。中にはASEANの今後に暗雲を投げかける見方もあった。
既視感の拭えない報道である。そう、2012年にカンボジアで開かれた外相会議も南シナ海問題の紛糾からASEAN史上初めて共同声明を出せない異例の事態に直面し、やはり中国の分断工作とASEANの結束の乱れが強調されたのだった。
しかしそれから4年。ASEANは結束にヒビどころか欧州連合(EU)と違って1か国の離脱もなく、限界とは逆に昨年末にはASEAN共同体も発足した。共同体は中身を問えば、もちろんいろいろ問題を抱えているが、それらが今後の課題であることはASEANも承知している。
そして2012年に比べて中国の南シナ海への軍事進出がさらに高まった中での今回、議長国ラオスは社会主義を掲げ、カンボジアに勝るとも劣らず中国の影響が強いにもかかわらず、共同声明にこぎつけた。その中身も、確かにハーグの裁定は盛り込めなかったが、国連海洋法など国際法の順守、南シナ海の軍事拠点化への反対、埋め立て行動の自制など中国の嫌がる、事実上の中国批判が明記され、中国のなりふり構わぬ圧力と干渉を考えれば、むしろラオスも加盟国も頑張ったと言っても間違いではない。
強硬姿勢とは裏腹に中国はハーグ裁定の対応で精一杯だったのではないか。共同声明がいう国連海洋法の順守とは、同法に基づき設置された仲裁裁判所の裁定の尊重にほかならない。それを安保理常任理事国の中国が王毅外相以下、「紙屑」と罵るのだから、中国が国際法を尊重していないことがよく分かる。
ASEANの一連の会議のたびに毎回、「中国の分断工作」と「ASEANの限界」と同じパターンでお茶を濁すのは、そろそろ脱したい。親中か反中か、分断成功か失敗かと言った単純な二分法では、大国を相手にヌエ的に振る舞って来たASEANの本当の姿は分からない。
必要なのはもっと複眼的思考である。例えば今回、カンボジアの親中ぶりが強調された。しかしより重要なことは、カンボジアの最大の敵国は今も昔もベトナムだということだ。そのベトナムは中国と歴史的に地域の覇権を競い、南シナ海問題は対立の一コマに過ぎない。中越戦争も源はと言えばカンボジア紛争だ。かくて敵の敵は味方になる。カンボジア人はクメール王国時代の広大な版図をベトナムに奪われたことを今も忘れていない。さらにカンボジアはもう一つの隣国タイとも国境問題を抱え、警戒心を解けない。
10か国体制はこれまで一枚岩だったことの方が珍しい。しかし、それでもASEANが分裂・解体することはまずないだろう。10か国体制だからこそ、米中などアジア太平洋の大国を相手に多国間協議で舵取り役になれることを、彼らが一番よく分かっている。中小国連合のサバイバル術だ。
対中強硬姿勢は一見、カッコ良い。しかし中国に踏みつぶされれば一巻の終わり。その時、米国は本当にあてになるのか。ASEANとしては用心するのにこしたことはないのである。
南シナ海問題をめぐる米中ASEANの攻防はまだまだ続く。日本も一喜一憂せず、腰を据えてこの長期戦に対処したい。
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この記事を書いた人
千野境子ジャーナリスト
横浜市出身。早稲田大学卒業。産経新聞でマニラ特派員、ニューヨーク、シンガポール各支局長の他、外信部長と論説委員長を務めた。一連の東南アジア報道でボーン上田記念国際記者賞受賞。著書に『インドネシア9・30クーデターの謎を解く』(草思社)『独裁はなぜなくならないか』(国土社)など多数。