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.社会  投稿日:2024/3/21

地下鉄サリン事件を風化させるな


安倍宏行(Japan In-depth編集長・ジャーナリスト)

【まとめ】

・1995年3月20日、地下鉄サリン事件が発生。

・東京メトロ日比谷線神谷町駅前、サリンガスを吸った被害者達に遭遇。

・未曽有の都市テロ事件を風化させてはならない。

 

14人が死亡、6000人以上が重軽症を負ったオウム真理教による地下鉄サリン事件から29年。世界で初めて化学兵器を使った都市型テロが行われたのが日本だということを若い世代は知らない。

数日前、オウム真理教に関するニュースが流れた。

6年前に死刑が執行されたオウム真理教元代表の麻原彰晃(本名・松本智津夫)元死刑囚の遺骨と遺髪について、所有権がある次女に引き渡すよう命じた東京地方裁判所の判決に対し、国が不服として控訴した、というニュースだった。国は、元代表の遺骨や遺髪が、オウム真理教の後継団体の崇拝の対象になることを懸念しているという。判断は高裁に持ち越された。

このニュースを聞いても、若い世代、40才以下の人にとっては、なんのことか分からないだろう。

事件はどんなものでも風化する。人は忘却の生きものだ。だからこそ、次世代に自分が経験したことを伝えなければならない。同じ過ちをくりかえさないために。

なぜオウムの信者はテロを起こしたのか。なぜ、今でも後継団体に入信する人がいるのか。テロをこの世界から無くすためにはどうしたらいいのか。私たちは問い続けねばならない。いつ、自分が、自分の大切な人が、テロに巻き込まれるかわからないからだ。

テロと隣り合わせの社会など、あってはならない。地下鉄サリン事件を知らない人は、この日本で、首都東京で、あの時一体何が起きたのか、自分で調べて、考えて欲しい。

当日、たまたまあの事件に遭遇した私は、今でも地下鉄のホームの床にカバンなどが置いてあると気になってしまう。あの中に、何かが入っているのではないか、と考えてしまうのだ。

1995年3月20日の朝に起きたことを紹介しよう。

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1995年3月20日、私は午前7時半ごろ、東京メトロ日比谷線神谷町駅(東京都港区)近くで、他社の記者達とある取材の為に待機していた。

その前の年、バブル崩壊で破たんした東京協和信用組合と安全信用組合の受け皿銀行、東京共同銀行(のちの整理回収機構)が営業を開始する日だったのだ。

その数10数名もいただろうか、記者だけでなくスチルカメラ(新聞社・通信社のカメラ)やムービー(テレビカメラ)もいたが、私が在籍していたフジテレビのカメラマンはまだ到着していなかった。

その時、一人の新聞社のカメラマンが私たちの方に駆け寄ってきて叫んだ。「たくさん人が駅で倒れている。大変なことになってるぞ!煙が出たとかいう話もある」

みな顔を見合わせた。「トンネル火災か?」ふとそんな思いが脳裏をよぎる。しかし、自分たちはまもなく営業開始する新銀行の取材に来ている。この現場を離れるわけにはいかない・・・。動こうとしない私たちに向かってそのカメラマンは畳みかけるようにこう言った。「とにかく、早く行ったほうがいい!」そう言うや否や、彼はまた駅の方へ駆け出すではないか。

そのただならぬ雰囲気に気圧されるように、私たちは一斉に脱兎のごとく彼の背中を追った。神谷町の交差点まで100メートルくらいだったろうか、駅の地上出口に辿り着いた私は目を見張るしかなかった。

そこには10数人の人が横たわったり、へたり込んでいた。異常な雰囲気から直感的に、これは単なる火災とかではないな、と思った。みな口をハンカチで抑え、ぐったりしている。すすり泣くような声やうめき声も聞こえてくる。中にはもがき苦しみ、地面を転がり回る外国人の姿も。見ると白目を剥き、口元から泡を吐いて、意識がほとんど無い。こんな症状を見たことなかった私は動転した。

▲写真 東京メトロ駅構内で応急手当を受ける乗客。テロ発生直後の様子と思われ、誰も撒かれたのがサリンだと知らず、マスクもしていない 出典:noboru hashimoto/Corbis via Getty Images

フジテレビのカメラマンはまだ到着していない。午前8時半あたり着で発注していたからだ。そうこうしている間に他社はどんどん取材を進め、カメラを回している。焦る。

そうこうしているうちに警察が規制線を張り始めた。メディアは追い出された。その時私は中にいる警察官だったか消防官に叫んだ。「あの外国人の通訳が出来ます!」「よし、中に入って!」

ようやくカメラマンも到着した。同期だった。苦しむ外国人に声をかけた。「何を吸い込んだんですか?色は?透明でしたか?」矢継ぎ早に英語で質問したが、彼は話すことすらできない。「このまま亡くなってしまうのではないか・・・?」背筋が寒くなる。

後で分かったことだが、サリンは新聞紙に包まれ、オウムの実行犯は足元に置いたその包みを傘で刺して中のサリンを車内に拡散させた。

その包みを見た、という女性も現れた。その人は包みのすぐそばにいて「何だろう、と思った」と私のインタビューに答えた。

ぐったりしている人々は次々と救急車に運び込まれていく。その時は、サリンが撒かれたなどという情報はなかった。駅構内に入ったカメラマンや、サリンガスに暴露した人を取材した記者が残留ガスを吸い込んだのか、後で「縮瞳(瞳孔が過度に縮小し、眼前が暗くなる現象)」したケースもあったが、そんなことは知るよしもない。

▲写真 地下鉄サリン事件(1995年3月20日)出典:Yamaguchi Haruyoshi/Sygma via Getty Images

私は政経部所属だった。本来は社会部記者が現場にいなければいけないのだが、デスクは「現場にいろ」と私に指示した。その時、事件現場にいた記者は私だけだったからだろう。社会部の記者はおそらくみな通勤途上だったに違いない。

とにかく私は様々な人にインタビューし、現場の状況を無我夢中でしゃべり続けた。収録した映像とリポートはすぐに河田町のフジテレビにバイクで運ばれた。現場の様子を撮った衝撃的な記者リポートは午前中の報道特番で流され続けた。

撒かれた液体がサリンだとわかったのは午前11時頃。警視庁が記者会見で発表したのだ。“縮瞳”という症状が出ることがわかったのもそのあとだ。

事件発生後しばらくしてから一人の若い女性が私に近寄ってきてこう告げた。「あの車両に乗ってたんですけど、なんともなかったので普通に出勤したんです。でも職場でだんだん視界が暗くなってきて・・・テレビで毒ガスが撒かれたと聞いて怖くなって戻って来ました」そう私に告げた。

私は、撒かれたガスがサリンだとの発表を聞き、偶然すぐ近くにクリニックを開業している友人の医師に電話して、縮瞳に効く薬はアトロピンやPAMという薬だと聞いていた。

私は彼女に、現場に残っている救急隊のところに行ってすぐに病院で治療を受けるように言った。あの女性はその後どうなっただろうか。今でも気にかけている。

社会部の記者が一度、神谷町駅の現場に立ち寄ったが、結局、私が取材を続けることになり、午後1時過ぎまで現場にとどまった。

その後、オウム真理教上九一色村のオウム関連施設への強制捜査、逮捕という流れになるのだが、あの日、あの時目にしたものは、まさしく阿鼻叫喚の地獄絵図だった。決して忘れることは出来ない。

史上最悪の毒ガスを使った無差別テロ事件。2018年7月に教祖麻原彰晃と側近、計13人の死刑が執行された。オウム真理教は「Aleph(アレフ)」と名前を変え、存続している。他にも関連団体は複数ある。

事件から29年。この事件を知らない若者がほとんどだ。どんな酷い事件も災害も時がたてば風化する。メディアの役割はそうした悲劇を風化させないことだ。

一方、若者たちに対するカルト宗教の勧誘は後を絶たないという。コロナ禍で友人が作れなかったりして、孤独にさいなまれる人も多いだろう。そうしたちょっとした心の隙間に、カルトは巧妙に忍び込んでくる。

特に新学期、大学のキャンパスが新歓の勧誘で盛り上がる季節だが、カルトは巧妙にアプローチしてくる。スポーツ、音楽、料理、ボランティア、さまざまな口実で人を誘い、やがて自己啓発セミナーなどに加入させて洗脳していく。学生だけではなく、企業の中にもそうした落とし穴はある。

実際、筆者の同僚の女性が、社内の男性にとあるセミナーに誘われ、すっかりその内容に心酔して私まで誘うようになった。聞けば、高額のセミナー参加費を払っている。これはカルトだと直感した私たち同僚は、脱退するよう説得したが、聞く耳を持たなかった。当時、同じような話があちこちの会社で起きていた。

こうしたことは実は私たちの身近で普通に起きているのだ。

私たちができることは、一人一人が過去に学び、2度と同じ過ちを繰り返さないためにどうしたらいいか、常に考えることだ。

きょうはそんな日にしたい。

オウムサリン事件で亡くなられた方のご冥福と、いまだに後遺症に苦しんでいらっしゃる方々が回復に向かいますよう、心から祈念する。

(2015年3月19日の記事に加筆しました)

トップ写真:地下鉄の車両を除染する陸上自衛隊化学防護部隊の隊員ら 出典:noboru hashimoto/Corbis via Getty Images




この記事を書いた人
安倍宏行ジャーナリスト/元・フジテレビ報道局 解説委員

1955年東京生まれ。ジャーナリスト。慶応義塾大学経済学部、国際大学大学院卒。

1979年日産自動車入社。海外輸出・事業計画等。

1992年フジテレビ入社。総理官邸等政治経済キャップ、NY支局長、経済部長、ニュースジャパンキャスター、解説委員、BSフジプライムニュース解説キャスター。

2013年ウェブメディア“Japan in-depth”創刊。危機管理コンサルタント、ブランディングコンサルタント。

安倍宏行

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