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.国際  投稿日:2015/7/19

【何故、エチオピアは“アフリカでない”のか?】~非植民地国の誇りと発展の遅れのパラドックス~


俵かおり(在エチオピアジャーナリスト)

執筆記事プロフィール

エチオピアは「誇り高い国」、と言われる。実際にこの国で働き、生活してみて、まさに誇り高さがエチオピアを他のアフリカ諸国と分ける最大の特徴であることに気づく。実際に、「エチオピアはアフリカでない」と言うエチオピア人も多くおり、長い間住んでいると、エチオピアはアフリカではないと感じるようになってくるほどだ。

その誇りの根拠はほぼ5つに集約される。「他のアフリカの国々のように奴隷化されたり、植民地化されたことがない」こと、「独自の言語(アムハラ語)を持っている」こと、「インジェラという独自の食べ物がある」こと、「エチオピア正教やルーシーの骨に代表されるように長い歴史があること」。それから他のアフリカ人ほど黒くない「コーヒー色」と呼ばれる肌の色。

つまり、一般的に「アフリカ的」とされるものがほとんどないのがエチオピア、とも言える。そして、その非アフリカ的なものを根拠にした、エチオピア人の他のアフリカ人に対する優越意識はかなり強烈である。

例えば、マラウイ人の友人は、お土産にマラウイからクッキーを持って帰ると、エチオピア人同僚に「自分たちはあなたの国と違って植民地化されたことがないから、こういう(西洋的な)ものは食べない」と言われた。タクシーの運転手が他のアフリカ人が歩いているのを見て「Niger(黒人)」と呼んでいた、などなど。

興味深いのは、この誇り高さと国の発展が比例していない、ということだ。通常、誇りが高い国(例えばフランス)は発展が伴っており、国自体が他の国が羨むものを多く生み出している。(例えばフランス料理やブランド品)これが誇りの醸成につながる。しかしエチオピアの場合、そうであるとは言いがたい。

例えば、国連開発計画(UNDP)の「人間開発指数(Human Development Index)」によると2014年エチオピアは187カ国中173位。隣国ケニアは同指数で147位であり、既に何年も前から中所得国になっている。エチオピアは2025年までに中所得国になることを目標としているが、ほぼ不可能であろうと言われている。

確かに、アディス・アババはアフリカ連合の首都であるし、南アを除くアフリカ諸国で唯一鉄道が敷かれる計画がある。けれどもそのような巨大国家事業を除けば、実際の人々の生活はかなり貧しく、遅れており、インフラもネット環境も、食糧の供給量も他のアフリカ諸国のほうがはるかに進んでいる。

この「遅れ」の背景には、植民地化の遺産がない、という重たい事実が横たわる。植民地化はインフラであったり、言語であったり、能力であったり、様々な遺産を残した。植民地化による遺産について語るのは特に白人にとってはタブーなので、ほとんど語られることがないが、これは事実である。(誤解のないように言うが、私はいかなる植民地化も反対であり、決して正当化しない。しかし、植民地の結果残されたもの中には国の発展にとり有効なものがあるというのは事実である。)

にもかかわらず、エチオピア人が誇りを保てている理由は、植民地化されなかったこと、抑圧的な政府が情報を規制する一方でプロパガンダを流すということ、また、植民地化されなかったが故に社会が文化、言語的にも閉ざされており、外資企業をなかなか入れないこと、そして、それが故に世界での、アフリカ内でのエチオピアの立ち位置を知らないことなどによる。

確かに、植民地化されたアフリカ諸国の人々は今でも自分の国や文化に自信を持てなかったり、常に白人に対して劣等感を持っていたりしており、これは大きな問題である。自分の国なのにもかかわらず、高級レストランは白人だらけで、黒人は給仕するのみでお客になれない、というのは悲劇である。少なくとも、この白人コンプレックスからは自由であるエチオピアは、アフリカ大陸の中では貴重な国であることは間違いない。

*トップ写真:アディス・アババ内のホテルで、伝統衣装に身を包み、ピアノに合わせて歌を歌うエチオピア女性たち。Photo/Kaori Tawara 

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