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IT/メディア  投稿日:2025/8/12

AIが駆逐する「SEO」、ジャーナリズムとの未来を描く「3つの戦略」


松永裕司(Forbes Official Columnist)

 

【まとめ】

AI統合検索が旧来のSEOを駆逐し、低品質情報を淘汰

AI要約が高品質ジャーナリズムの収益基盤を脅かす構造

Googleと報道機関の共存へ向けた新たな価値還元と評価軸提案

 

Google検索に統合されたAIが、旧来のSEOを過去の遺物へと変えつつある。「ググる」とページの最上位に表示されるAIの回答がまさにその要因だ。しかし、かつてインターネット・ソリューションに従事し、その利便性、有益性、情報量を信じる者として、こう断言したい。「SEOへの固執が生んだ、信頼性を欠いた情報が淘汰されるのなら、それは大歓迎だ」と。

検索順位を上げるためだけに、やたらめったらキーワードを詰め込み、中身の薄いコンテンツを大量生産する。そんなSEO至上主義が、デジタルの情報空間をどれほど汚染してきたことか。ユーザーが本当に求める答えではなく「Googleに好かれるだけの答え」をいかに量産するかというチキンレースに終始した結果、デジタル世界は信頼性に欠ける情報の藻屑の海と化した。AIがこのゲームを終わらせ、ユーザーの問いに直接的な答えを提示するのなら、それは一つの進化だ。

こんな私の元にも執筆依頼は届く。もちろん、真摯な原稿発注もあるが、割合としては「SEOライター募集」というジャンクメールが8割以上を占める。「バイラル・メディア」と名前だけはカタカナでカッコいいが、要は「ひと文字=0.1円」のようにGoogle検索結果に「まとめ」としてのランディングページを生成する「内職仕事」だ。Googleで検索されるキーワードを研究し、それを活用し、やたら長ったらしい、箸にも棒にもかからない記事を作成する依頼だ。Wantedlyなど新興の求人SNSを眺めていると「SEOライターとして成長したい方」などの募集がわんさと掲載されている。こんな類の業務を「ライター」と総称する世の中に辛抱たまらんし、その声がけをされることすら屈辱だ。2025年の今となって、それこそAIの出番でさえある。こうした低能な業務が駆逐されるのであれば、両手を挙げ大歓迎だ。

だがしかし、一方で悲劇的な功罪も抱え込んでいる。AIは低能なSEOコンテンツと共に、民主主義の基盤であるはずの「信頼性の高い良質なジャーナリズム」までも、その巨大なブラックホールに吸い込もうとしている。AIは、そもそもジャーナリズムが生み出すニュース・ソースを喰いつつ、ここまで急成長を遂げた。AIの回答率が高いということは、エセ・ニセ情報ではなく、真のソースとなる信頼性の高いニュース記事を取り入れて続けて来たからに他ならない。AIにとってジャーナリズムは、いわば親同然だ。日々、新しい事件、事象が生じ、それを報道するのがジャーナリズム。AIはその信頼性を保全し、向上させるためには、これを常に吸収し続ける必然性を抱えている。つまり親であるジャーナリズムが餓死してしまうとAI自体の進化も持続困難となろう。ゆえにジャーナリズムを生きながらせる必要が生じる。現在の共食いのような歪な関係を断ち切り、AI検索がジャーナリズムと共存するための道筋を導き出さなければならない。多くのメディアやビジネスが阿鼻叫喚となっている「Google Apocalypse (Google 黙示録)」とアメリカで呼ばれる地殻変動への対応策はあるのだろうか。

 

優良ジャーナリズムさえも淘汰

問題の構造を再確認しておこう。GoogleのAI Overview(AIによる概要)は、ユーザーの質問に対し、複数のウェブサイトから情報を抽出、要約の上、提示している。これにより、ユーザーは検索結果に表示されたリンクをクリック、情報源のサイトを訪れることなく、疑問についての概要がなんらかの形で取得可能となった。この傾向はさらに促進されると見られる。

この仕組みは、広告収入を支える参照トラフィック(リファラルトラフィック)にビジネスモデルを依存するSEOサイトを含むあらゆるコンテンツ・プロバイダーにとって死活問題だ。最も深刻な打撃を受けるのが、質の高いジャーナリズムを追求するニュースメディアだ。綿密な取材、複数ソースからのファクトチェック、経験豊富な記者の知見。これら良質なコンテンツの生成には、莫大なコストがかかる。そのコストを支えてきたのが、デジタルサイトへのアクセスによって生まれる広告収入だ。そもそもニュースメディアは数世紀に渡り、印刷物提供による収益からビジネスを組み立ててきた。それがこの数十年でビジネスモデルのドラスティックな転換という荒波に直面し、デジタル上で生き残る戦略をなんとか見出した局面にある。デジタル上において、またもトラフィックが得られないとなれば、ジャーナリズムは餓死に晒されているとして、誇張ではないだろう。

ここに痛烈なパラドックスが見て取れる。堅牢な構造、確固たる論理性、高い信頼性を誇る記事であればあるほど、AIにとって情報は抽出が容易であり、要約も構築しやすい。つまり、優れたジャーナリズムは、その質の高さゆえに、AIにとって最も利用価値の高い「エサ」。これを断つことは、結果的に自らの飢餓を促進させる皮肉な構造に陥いる。

GoogleのAI要約は、自身の広告収益を蝕む可能性がある、自身の尻尾に喰いつくような行為でもあるものの、AI時代への変革を自ら促進している過程にある。その方針へと歩を進めるのであれば、親の死を指を咥え、眺めているわけにはいかないはずなのだ。

 

Googleが果たすべき「3つの責任」

この構造的欠陥を是正し、持続可能な情報エコシステムを再構築するために、これまでも長らく指摘されてきた点ではあるが、プラットフォームの支配者であるGoogleが果たすべき責任は大きい。私なりに3つの具体的な解決策を考えてみた。

  1. 強固なライセンス契約

最も直接的で不可欠な解決策は、コンテンツ使用に対する正当な対価の支払いだ。GoogleはAIの回答生成に利用したコンテンツ・プロバイダーに対し、相当額のライセンス料を支払うべきである。これは、AIという製品を作るための「高品質な原材料」の仕入れコストに他ならない。独占的立場を利用し、わずかなライセンス料で、知財を掠め獲る時代は終焉を迎えた。

カナダの「オンラインニュース法(Online News Act)」は、プラットフォーマーが収益の一部を報道機関に還元することを事実上、義務づけした。またオーストラリアの「ニュースメディア交渉法」のように、法整備によってプラットフォーマーとメディアの交渉を促す動きは、世界的な標準となるべきだ。日本がなぜこのテーマに取り組まないのか不思議でならない。巨額の富を構築したGoogleは、甘い汁を吸い続けて来たジャーナリズムの未来に対し、投資に乗り出すレベルの社会的責任さえある。

  1. アトリビューションの再設計

現状のAI Overviewの末尾に小さく表示されるソースリンクは、免罪符以上のものではない。ユーザーの行動を促すには、AIによる要約の中に、情報源であるコンテンツ・プロバイダーのロゴや記事タイトル、署名した記者の名前を、視覚的に目立つ形で埋め込むべきだろう。例えば、特定の文章が『ニューヨーク・タイムズ』からの引用であれば、その部分に同社のロゴと元記事へのリンクを明確に表示する。これは、ユーザーに「この情報は信頼できるプロの仕事の成果である」と伝え、より深い情報を求めるユーザーを元記事へ誘導する強力な動線となる。アトリビューションは、ジャーナリズム、著作権への敬意の表明だ。

  1. 「ジャーナリズムの権威性」という新指標

現在のSEOが「ドメインの権威性」を一つの指標としてきたように、GoogleはAI時代の新たな評価軸として「ジャーナリズムの権威性」をアルゴリズムに導入すべきだ。これは、単なる被リンク数やキーワード含有率では測れない、コンテンツの質そのものを評価する指標である。例えば「一次ソースを採用しているのか」「署名記事か」「明確な編集方針が打ち出されているか」「校正が入っているのか」「訂正履歴を公開しているか」などを評価軸に組み込むべきだ。ネットの民が毛嫌いする「権威あるジャーナリズム賞の受賞歴の有無」も追加してはいかがだろうか。これにより、Googleは質の高い情報源をアルゴリズムレベルで優遇し、コンテンツ・プロバイダーには小手先のSEOではなく、本質的なジャーナリズムへの投資を促すことができる。

優良なジャーナリズムなしにAIの発展、進化はない。これを考慮すればAIのソリューションに対し、廉価な投資ではないかと思わざるを得ないのだが…。

 

コンテンツ・プロバイダー側に求められる「2つの進化」

責任をGoogleだけに求めても不公平感は残る。コンテンツ・プロバイダー側もまた、旧来のビジネスモデルから脱却し、AI時代に適応する進化が求められる。

 AIは情報の「要約」は得意だが、情報の「発掘」や「創造」は今のところ不可能である。コンテンツ・プロバイダーが生き残る道は、AIが容易に代替できない価値を提供することにある。それは、誰も報じていない事実を掘り起こす調査報道であり、専門的な知見に裏打ちされた深い分析やオピニオンであり、読者の感情を揺さぶる質の高いルポルタージュであり、そしてテキストだけではないリッチなマルチメディア体験である。

かつて試みられた、いわゆる「リッチメディア」について、コンテンツ・プロバイダーはすっかり諦め放置してしまったように思われる。フラッシュメディアを使用した新しい広告モデルを模索したのは、もはや四半世紀前。何もいまさらフラッシュなどと戯言に過ぎないが、無策を放置するのはいかがなものだろうか。特に日本市場において、もはやメディアにそんな体力は残されていないともみて取れる。しかし、四半世紀も無策で過ごした功罪が現状を招いているのは間違いない。「新たな価値」を提供するコンテンツ戦略を生み出すのか、それともただ死を待つのか、それはコンテンツ・プロバイダーとしてジャーナリズムへの課題だ。すでに各メディアが実施しているリアルイベントの拡充などは、Googleに依存することない戦略の鍵かもしれない。

 

AIとジャーナリズムは共存するのか

SEOの終焉は、ウェブから低能なノイズを駆逐する好機である。しかし、その過程で、社会に不可欠な羅針盤であるジャーナリズムまでをも破壊される危機に直面しているのは事実だろう。

必要なのは、相互依存であるプラットフォーマーとコンテンツ・プロバイダーの間に新たな共栄エコシステムを構築することだ。Googleは、情報の「ユーザー」であると同時に、そのエコシステムを維持する「プロデューサー」としての役割を自覚し、価値の還元と敬意ある表示、そして質の高い情報を優遇するアルゴリズムへと進化しなければならない。

これまでGoogleは、こうした外からの声をシャットアウトし続けて来たものの、AIビジネスの継続性を鑑みるのであれば、情報ソースであるジャーナリズムを軽視する態度は、自身ビジネスの根幹を揺るがす将来が待つ。つまり信頼できるニュース・ソース抜きにGoogleのAI戦略は立ち行かないはずだ。またコンテンツ・プロバイダーとなったジャーナリズムは、AIには真似できない独自の価値を追求し続ける必要がある。

AIによる検索体験の進化と、信頼性の高い情報が正当に評価される社会…その両立に向けた改革と戦略の先にこそ、より豊かな情報社会の未来が広がっているはずだ。そして、広義においては、この改革と戦略は、フェアな民主主義が生きながられるための最低条件のようにさえ思える。

 

トップ写真)イメージ 出典)GettyImages/Vertigo3






この記事を書いた人
松永裕司Forbes Official Columnist

NTTドコモ ビジネス戦略担当部長/ 電通スポーツ 企画開発部長/ 「あらたにす」担当/東京マラソン事務局初代広報ディレクター/「MSN毎日インタラクティブ」プロデューサー/ CNN Chief Directorなどを歴任。


出版社、テレビ、新聞、デジタルメディア、広告代理店、通信会社での勤務経験から幅広いソリューションに精通。1990年代をニューヨークで、2000年代初頭までアトランタで過ごし帰国。

松永裕司

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