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.社会  投稿日:2025/9/24

現場からの医療改革推進協議会シンポジウム:20年の歩みと若者育成への注力


【まとめ】

・大野病院事件を契機に2006年に始まったシンポジウムは今年で20回目、11月1~2日に建築会館ホールで開催(オンライン参加可)。

・「医療事故20年」「製薬マネー問題」など14セッションに59人が登壇、厚労相経験者から研究者・自治体首長まで幅広い顔ぶれ。

・若者育成を重視し、学生時代からの関与者や異郷で活躍する若者も登壇、最終セッションでは師弟関係をテーマに議論。

 11月1日から2日にかけて、東京都港区三田の建築会館ホールで「現場からの医療改革推進協議会シンポジウム」が開催される。毎年この時期に行われ、今年で20回目を迎える。会場での参加に加え、オンライン聴講も可能だ。

 このシンポジウムは、2006年の福島県立大野病院産科医師逮捕事件を契機に始まった。当時、私と鈴木寛参議院議員(現・東京大学教授、慶應義塾大学特任教授)が事務局を務め、舛添要一参議院議員(当時)、仙谷由人衆議院議員(当時)、冲永佳史・帝京大学理事長・学長ら35名が発起人として名を連ねた。意外に思われるかもしれないが、参政党の松田学参院議員も発起人の一人である。財務省在籍時から、私たちと共に活動を続けてきた。

 この会の目的は、多様な分野の専門家が集い、議論を深め、実際の行動へとつなげることである。発足の契機となった医療事故問題をはじめ、医師・看護師不足や高額療養費制度の課題、さらには東日本大震災後の復興支援まで、幅広いテーマに取り組んできた。

 その活動は国家の政策にも影響を与えている。現行の医療事故調査体制や、医学部新設へとつながった定員増員の素案は、この会が中心となって策定したものだ。いずれも当初の厚労省案とは異なり、メディアを巻き込んだ激しい論戦の末に政治決着をみた。発起人である舛添要一氏や故・仙谷由人氏は、厚労大臣や官房長官在任中に「現場からの医療改革推進協議会のメンバーが自分のブレインである」と公言し、実際に審議会などの人選にも反映させている。

 今年のシンポジウムでは「大野病院事件から20年」、「製薬マネーの20年、繰り返す不祥事、新展開」、「最先端臨床研究開発」など14のセッションに、のべ59人が登壇する。

 登壇者には、舛添要一氏や塩崎恭久氏などの厚労大臣経験者、立谷秀清・相馬市長(医師、前全国市長会会長)、さらにレーザーや結晶の研究で世界をリードする森勇介・大阪大学大学院工学系研究科教授、再生医療分野で世界を牽引する西田幸二・大阪大学大学院医学系研究科教授、アテネ五輪自転車競技メダリストの長塚智広氏なども含まれる。

 ただ、このシンポジウムで我々が最も重視しているのは、若者を育てることである。セッション1「20年の振り返り」も、そのテーマを若者の成長に据えている。登壇者の一人、平川知秀氏は、第一回開催当時に早稲田大学の学生として運営を手伝い、学生スタッフとしてコンビニクリニック「コラボクリニック」(現・ナビタスクリニックの前身)を立ち上げた人物である。現在は株式会社en-gineを創業し、社長を務めるエンジニアだ。

 医療ガバナンス研究所でのインターンを経て、現在は韓国で会計業務に従事する加藤華氏、同じく同研究所でのインターン経験を経て、福島県立医科大学にて災害医療を研究する中国ウイグル出身のグリフェイラ・トルソン氏ら若者も登壇する。彼らには、異郷での苦労や成長を語ってもらう予定だ。

最終セッション「人材育成」も、若者の成長を主題としている。ここでは、松井章圭・極真会館館長と原田眞道氏(東京大学法科大学院)、新井良亮氏(元JR東日本副社長・元ルミネ社長)と鎌田由美子氏(元エキュート社長)、鈴木寛氏と佐藤大吾氏(NPO法人ドットジェイピー理事長)という3組の師弟コンビが登壇する。

 松井館長については、改めてご説明の必要はないだろう。大山倍達氏の後継として極真空手を発展させた人物である。新井氏はJR東日本の駅ナカ再開発を牽引した異色の経営者で、高輪ゲートウェイの開発も、彼とその「弟子」である喜勢陽一・JR東日本社長や表輝幸・ルミネ社長らによって進められた。鈴木氏は通産省在籍時から若者育成に注力し、川邊健太郎氏(LINEヤフー会長)や今回登壇する佐藤氏らを育ててきた。佐藤氏は大学生の議員インターンシップ制度を確立し、国会から地方議会まで多くの政治家を輩出している。「現代版松下政経塾」というべき存在で、私はポスト55年体制の新たな基軸になると考えている。

 若者が育つには、よきメンターとの出会いが欠かせない。これは私自身の経験からも実感している。私にとってのメンターの一人が共にこのシンポジウムの事務局を務める鈴木寛氏である。

 鈴木氏と出会ったのは2003年。私の母校・灘中学高校の5年先輩で、名前は知っていたが面識はなかった。あるシンポジウムでご一緒した後、「予定調和を破る姿勢が面白い。一緒に医療改革をやらないか」という趣旨のメールをいただいた。当時33歳の私は、国立がんセンター中央病院に勤務していたが、上司と衝突し進路に迷っていた。そんな折に届いた熱意ある誘いが、私の人生を大きく変えることになる。

 当時30代後半だった鈴木氏は、人生の旬にあった。2004年には川邊健太郎氏、佐藤大吾氏らと共にプロ野球の1リーグ化阻止に尽力し、2007年の都議選での民主党圧勝、2009年の政権交代へとつながる流れをつくった。

 彼が次に課題と見定めたのが医療であり、仲間を探していたのである。その頃、私と鈴木氏は二日に一度は会い、医療について議論を重ねた。やがて私は国立がんセンターを辞し、東大医科研に研究室を立ち上げる決意を固めた。

 余談だが、このとき医科研で私たちを受け入れる準備をしてくれたのが、中井徳太郎氏である。財務省から出向しており、鈴木氏の紹介で知り合った。中井氏はその後、環境省に移り、東日本大震災の際には福島県を担当して、今回登壇する立谷秀清・相馬市長や我々のチームと共に仕事をした。人の縁とは不思議なものだ。その後、中井氏は事務次官へと昇格している。

 話を戻そう。私が医科研に移籍すると、鈴木氏が強く勧めたのは「若者との合宿」であった。川邊氏や佐藤氏も、合宿を通じて鍛えられた。感受性豊かな若者が熱量ある大人と出会えば、飛躍的に成長することがある。

 私は、鈴木氏に教わったノウハウをもとに合宿を企画した。蓼科の合宿所に泊まり込み、深夜まで語り合った。そこには坪倉正治・福島県立医科大学教授や清山知憲・宮崎市長、今回登壇する平川知秀氏らがいた。

 このシンポジウムも、いわば「合宿」の延長線上にある。議論の後にはレセプションや懇親会を設け、登壇者の多くにご参加いただく予定だ。酒席では会場では語られなかった本音が飛び出し、新たなプロジェクトが生まれることも珍しくない。ぜひ多くの方にご参加いただきたい。現在、参加受付中である。

冒頭写真:病院の診察室で新生児の足を測っている女性医師のクローズアップ写真
出典:getty images




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