[為末大学]【「誰の問題か」を考える大切さ】~当事者がいない問題は解決されない〜
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
スポーツ界に問題が幾つかある。ここ数年は指導文化の問題、体罰などが明るみに出て対応に終われた。行き過ぎた体罰で中には自分の命を断つ子供もいた。
体罰の問題は誰の問題か。スポーツ協会の誰かが悪いのか。日本体育協会か、JOCか、それとも文科省か。現役のアスリートは関係ないのか。引退したアスリートは関係ないのか。柔道の問題は陸上とは関係がないのか。親が解決すべき問題か、生徒が解決すべき問題か。それとも指導者の問題か。
当事者がいない問題は解決されない。メダルをとる事の当事者はいても、問題を解決する当事者がいない。現役時代、余計なことを口にするな、競技に集中しろ、と叱られた。もしみんなが言う通りにしたら、アスリートは少なくともスポーツ界の問題の当事者ではなくなる。一体誰が問題を自分ごととして捉え解決するのか。アスリートの問題を誰が解決するのか。
世界で起きている問題は日本には関係ないのか。アフリカで飢餓に苦しむ人がいるらしいけれど、それは日本とは地理的に程遠い。関係ない生活をすれば関係がない。子供の虐待があるらしいけれど、少なくとも自分の家庭はうまくいっているから関係ないと言えば関係がない。
一方で、どの問題もなんとかしなければならないと意気込む正義もややこしい。変に介入すれば当事者で折り合っていたものも折り合いがつかなくなる。外部と内部、当事者と部外者、その線引きがうまくいかなくてこんがらがっている問題は多いように思える。
あれは誰の問題か。見守るべきか、介入すべきか。意見すべきか、沈黙すべきか。私の責任の範囲をどこにおくのか。