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.国際  投稿日:2025/3/20

ベトナム戦争からの半世紀 その1 教訓とはなにか


古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)

古森義久の内外透視」955回

【まとめ】

・サイゴン陥落を含むベトナム戦争の最終段階は、北ベトナムと南ベトナムの内戦であったが、その国際的影響は非常に大きかった。

・ベトナム戦争は、アメリカの内政・外交に大きな変革をもたらした。

・ベトナム戦争から得られる教訓として、「人間の本質」と「日本におけるベトナム戦争の認識の誤り」の二点が挙げられる。

 

 

 世界を揺るがせたベトナム戦争が終わってからこの2025年はちょうど半世紀を画すこととなった。50年前のこの時期、3月中旬から始まった北ベトナムの人民軍による南ベトナムに対する総攻撃はほぼ55日間という短期で超スピードのうちに終わってしまった。最終幕は4月30日の「サイゴン陥落」だった。その結果、ベトナム共和国と公式に呼ばれていた南ベトナムという国家は消滅した。その首都だったサイゴンはホーチミン市という名に変わった。

 

 ベトナム戦争の終わりといえば、サイゴンに押し寄せる怒涛のような革命軍に追われてアメリカの政府や軍の当事者たちがヘリコプターで当時のアメリカ大使館から脱出する光景を記憶に残した向きも多いだろう。要するにアメリカの敗北だったという印象である。

 

ところが現実にはアメリカ軍はこの南北の戦争が激しくなる2年前にすべて撤退していた。その後は「ベトナム共和国」という国家の名称の南ベトナムと、「ベトナム民主共和国」という国家の北ベトナムとが南ベトナム領内で対決し、戦争とも平和ともつかない状態を2年ほど続けた末に、大戦闘が起きて、決着が着いたのだった。だからベトナム戦争の最終段階は北と南の内戦だったのである。しかしその国際的な波紋は巨大だった。

 

 ではベトナム戦争とはなんだったのか。世界のなにを変えたのか。直接に軍事介入していた超大国のアメリカにとって、この戦争での挫折はなにを意味したのか。そして日本にとってはどうだったのか。こんな諸課題を改めて考えてみたい。

 

 私はベトナム戦争の最終段階を現地にあって目撃した。毎日新聞のサイゴン駐在特派員として合計4年近く、その戦争とその直後に起きた革命とを目撃し、体験した。そして詳細に報道した。

とくにサイゴン陥落の日は北ベトナムの人民軍の大部隊が四方八方からサイゴン市内に突撃してくる状況を目前にみた。人民軍戦車隊の先陣が市内中心部の南ベトナム大統領官邸の鉄扉を打ち破って突入し、官邸を占拠したとき、その直後に私も内部に入り、南ベトナム政権の閣僚たちが降伏し、拘束される様子をも目撃した。長年の戦争の終わりだった。

写真)大統領宮殿の屋上より 北ベトナム軍の戦車が進入してきた様子(筆者撮影)

 

そんな経験に拠って立ってのべトナム戦争の回顧と論考である。私はいまはアメリカの首都ワシントンに拠点をおいて、なお報道活動を続けている。現役の記者としての機能を保っているわけだが、かつてベトナム報道に直接にかかわった日本人ジャーナリストでは現役はきわめて少なくなった。

 

 だから戦争終結からの半世紀を機会に、私があの戦争に改めて多角的な光を当て、その教訓を再認することも意義があるだろう。なにしろ国際情勢というのは継続する巨大な流れである。2025年という現在の激動の世界情勢もさかのぼればベトナム戦争の結果や影響という部分が少なくないのだ。私はベトナム戦争の終結から1年余り後にアメリカのワシントン駐在の記者となり、ベトナム戦争が超大国のアメリカの内政、外交を大きく変えた実態をも目撃してきた。

 

 私の長い記者歴でもベトナム戦争の報道は最も強烈であり、最も深遠な体験だったといえる。日本国内でもひととおりの記者としての訓練や経験を積んだが、私の記者体験は国際報道が大部分だった。外国駐在の新聞特派員としては出発点のベトナムからアメリカ、イギリス、中国などに住んできた。短期の出張での外国での報道活動となると、数えきれない。ヨーロッパ、ソ連、中南米、アフリカ、アジアなどの諸国からその地でのニュースに対応して日本への記事を送ってきた。

 

だがこれほど長期かつ多様な報道活動でも、ベトナム戦争の体験は最も強烈だったといえる。自分自身の新聞記者という次元を超えての人間としての理知や心情を根幹から揺さぶられた。そこからの教訓も深遠だったと感じる。

 

では私自身がベトナム戦争から得た教訓とはなにか。正確にはベトナム戦争の現地からの報道の体験によって得た教訓はなんだったのか、ということだ。学んだことをもちろん巨大な山のように、測りきれないほどあった。だが大きく区分すると、二つの教訓がまず浮かびあがる。

 

その第一は私自身の個人の感受として、「人間について」という考察に思いあたる。人間について学んだというのも、いかにも幼稚で平板な反応ではあろう。だが私はベトナムでは戦争の中の生命をすぐにでも左右される状況下で個々の人間がどう振る舞うかを数えきれないほど目撃した。危機に追い込まれた際の人間の言動、その弱さ、強さ、さらには醜さや美しさを目の前にみて、感情面、理知面の両方で人間の多様な要素を学んだ。

 

第二の教訓は記者として、あるいは国際情勢や日本の国のあり方を考える考察者として、日本でのベトナム戦争への基本的な認識がいかに誤っていたかを学んだことだった。この点は日本全体としての国際情勢への認識の誤りだともいえる。要するに私自身がベトナムに赴任する前に日本で吸収していたベトナム戦争についての解釈が現地の実態とはあまりに異なっていた、ということだった。

 

この二つの教訓については、これから始めるベトナム戦争回顧の論考で詳しく説明していきたい。

 

(その2につづく)

 

トップ写真:サイゴンに入城した北ベトナム軍の戦車とトラック 1975年4月30日 

出典:Jacques Pavlovsky/Sygma/CORBIS/Sygma via Getty Images

 




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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