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.政治  投稿日:2025/3/13

沖縄政治の地殻変動 その1 浦添市長選の実務派圧勝の政治的意味


目黒博(ジャーナリスト)

目黒博のいちゃり場

【まとめ】

・本年(2025年)初頭に続いた選挙で、実務派と若手が台頭し、沖縄政治の地殻変動の兆しが見えてきた。

・沖縄県民の生活苦は、従来の「保守」対「革新・オール沖縄」の対立構図を突き崩しつつある。

・浦添市長選挙で4選を果たした松本哲治氏は、政府や県と対立しつつ、土建利権からも距離をとる新しい政治の先駆者となった。

 

この2年あまりの間に、沖縄政治に変化の兆候が見えてきた。近い将来、大変革が起きるかどうかは見通せないが、2025年に入って続いた選挙で、実務派と若手が台頭してきたことは確かである。

変化をもたらした要因は一つではない。しかし、底流には、「保守」対「革新・オール沖縄」が対峙する政治が、生活苦に追われる多くの県民を取り残してきたことがある。人々の憤懣が、既存の政治パターンを突き崩すマグマになったのだ。

「沖縄政治の地殻変動」は、進行しつつある沖縄政治の新展開を探るシリーズ記事である。今回の①では、導入部として、本年2月9日に投開票された浦添市長選挙の結果を検証する。

<浦添市長選挙で松本哲治市長が、説明責任から逃げずに4選>

浦添市に松本市長が誕生したのは2013年であった。選挙の争点は、米陸軍管理下にある那覇港湾施設(「那覇軍港」)の浦添市への移設問題であり、松本氏は反対を掲げて初当選する。

▲写真 松本哲治浦添市長 出典:X松本哲治(浦添市長)

ほぼ50年前に、那覇軍港の条件付き返還が日米間で合意された。平時には遊休化していたため、県内への移設への抵抗は強かったが、儀間光男浦添市長(当時)と政府が軍港の浦添市への移設の協議を始めた。埋め立て利権がからんだと言われる。そこに、軍港跡地の開発を企図した翁長雄志那覇市長(当時)が、稲嶺恵一沖縄県知事(当時)とともに加わり、浦添市への移設を推進する。

▲写真 那覇港湾施設代替施設日米合意案 出典:防衛省HP(2023年4月20日)

松本哲治氏は、市長就任後、政府、沖縄県、那覇市などによる移設推進の動きに包囲される。2015年、松本市長は、浦添市の意向が無視されかねない状況に危機感を抱き、厳しい条件を付けた「容認」へと舵を切った。条件には、軍港の移設位置の修正と埋め立て面積の縮小が含まれていた。

松本氏は、移設容認表明の翌日に市政報告会を開催し、約350名の市民を前に「公約撤回」に至った経緯を説明する。市長は、「公約違反!」などの怒号が飛び交う中、「苦渋の決断」を下した背景と、浦添市の独自案作成の方針を、一人で2時間以上にわたって説き続けた。市民の不満は解消できなかったが、彼の逃げない姿勢を評価する声も少なくなかった。

松本氏は、2017年の市長選で、移設反対派に大差で再選される。その後、浦添市が作成した移設の独自案「南側案」は、民間港湾と軍港の機能が重なり航行安全上の問題があるとして、政府などに拒否される。結局、2020年に同市長は、政府案である「北側案」(後の「T字型案」)を受け入れる。

▲写真 那覇軍港代替施設 南側案 出典:浦添氏西部開発に関する懇話会第4回

▲写真 那覇軍港代替施設、北側案 出典:浦添氏西部開発に関する懇話会第4回

▲写真 那覇港湾施設代替案 T字型案(2023年4月20日)日米合意 出典:防衛省HP

政府や沖縄県からの圧力に屈したとの、市長への批判はあった。同時に、巨大な圧力に最大限抵抗し、埋め立て部分を縮小する方針を提起し続ける松本氏を支持する市民も多かった。松本氏は、2021年の市長選で再び大勝し、3選を果たす。

▲写真 松本哲治氏の4選当確で喜ぶ支持者たち 出典:松本哲治インスタグラム

<軍港移設で「オール沖縄」の足並み揃わず>

軍港移設は、故翁長氏の負の遺産でもあった。「オール沖縄」勢力としては県内移設反対を訴えたいが、この陣営は、「翁長氏あっての保革相乗り」であったため、容認派の翁長氏を追い詰めることはできない。「オール沖縄」維持を優先し、翁長氏批判を封印した。

移設は、イノー(サンゴ礁)が広がる自然豊かな海岸の埋め立てをともなう。たとえ埋め立て面積を縮小しても、埋め立ては行われる。市民の多くが依然移設には反対であったが、本年(2025年)2月9日の浦添市長選では、「オール沖縄」は統一候補を擁立できなかった

松本市長に対抗する有力候補は現れず、しびれを切らしたかのように、共産党系の環境活動家、里道明美氏が告示の4日前に出馬を表明する。

しかし、里道氏を推薦する政党はなかった。最大の理由は、故翁長知事の後継として、同勢力の象徴になった玉城デニー知事が移設を容認したからだ。ほぼダブルスコアで松本現職市長が圧勝し、「オール沖縄」は実質的な不戦敗を喫する。

政治においては、時として妥協を迫られる。松本市長は移設容認は「苦渋の決断」だったことを強調し、移設反対の本音を隠さなかったが、現実には妥協せざるを得なかった。一方で、土建業界が切望する埋め立てを大幅に縮小しようとし、「利権」とは一線を画した。多くの移設反対の市民が松本氏に投票したのはそのためだ。

行政のトップが、市民感情を踏まえつつ政府や県との激しい対立を避け、過度な「行政の政治化」を招かなかったと、評価することもできる。

▲写真 里道あけみ浦添市長選候補 出典:里道あけみSNS集

<実務派松本哲治市長の存在感と、政治キャリアを憂える声>

松本市長は本来リベラル系の政治家である。ただし、「オール沖縄」とは異なり、現実を直視し、実務を重視する。他方で、保守系に転じたのちも、土建系「利権」とは距離を保った。自民党には入党せず無所属を貫いたことに、彼の政治姿勢が見える。

松本氏は福祉の専門家であり、外資系金融の経験を持ち、さらには名門カルフォルニア大学バークレー校修士課程卒という国際派エリートでもある。政界の大物たちから将来の知事候補と期待されたこともあった。だが、浦添市の政治コミュニティの中で生き抜くために膨大なエネルギーを費やし、沖縄の将来ビジョンを練る余裕はなかったようだ。

また、松本市長は全県的な知名度不足を指摘されてきたためか、近年、積極的にTVに出演し、SNSでの発信を繰り返してきた。ところが、SNSでのセクハラ発言が指摘されるなど、以前より「軽さ」が目立つとの失望の声も出ている。

それでも、彼の存在は、沖縄政治にとって貴重である。既得権益層との癒着を避け、敢えて困難な道を歩んできた政治家、松本哲治氏は、利権構造に陥りやすい沖縄保守政治に風穴を開ける先駆者だったからだ。

今後、古い抵抗勢力と現状変革勢力との衝突が増えるだろう。沖縄の将来を真剣に模索する政財界人や行政OB、政策の調査研究者たちが少なからず存在する。彼らが連携して、松本浦添市長を始めとする、政策立案・実行能力を備えた政治家たちを支えられるかどうかは、沖縄の将来を占う試金石である。

(その2につづく)

トップ写真:浦添市役所庁舎外観 出典:同市国際交流課




この記事を書いた人
目黒博ジャーナリスト

1947年生まれ。東京大学経済学部(都市問題)卒業後、横浜市勤務。退職後、塾講師を経て米国インディアナ大学に留学(大学院修士課程卒)。NHK情報ネットワーク(現NHKグローバルメディアサービス)勤務(NHK職員向けオフレコ・セミナー「国際情勢」・「メディア論」を担当)、名古屋外国語大学現代国際学部教授(担当科目:近現代の外交、日本外交とアジア、英文日本事情)、法政大学沖縄文化研究所国内研究員などを歴任。主な関心分野:沖縄の「基地問題」と政治・社会、外交・安全保障、日本の教育、メディア・リテラシーなど。

目黒博

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