無料会員募集中
.社会,.経済  投稿日:2015/12/31

【“凄ワザ”だけでは食えない時代到来】〜特集「2016年を占う!」地方経済〜


 関口威人(記者)「関口威人のグローカリズム」

執筆記事|プロフィールTwitterFacebook

ひつじ年の2015年に“跳躍”した日本人といえば、羽生結弦選手の名が真っ先に浮かぶ。「世界最高」のスケーティングは、2016年も磨き上げられることだろう。

その羽生選手の活躍を支えるスポンサーや大企業は数多いが、昨シーズンの終わりに、意外な中小企業が関わっていると知らされた。

「羽生選手が、うちのマスクをしてくれているんです」

こう息せき切って教えてくれたのは、愛知県豊橋市のメッシュ製造業「くればぁ」の中河原毅専務だ。

同社はちょうど50年前に小さな縫製会社として創業、「頭を使って賢く(クレバーに)生きよう」と説く先代の下、工場の作業着や自動車用部品の生産に工夫を重ねてきた。その先代の父を追う中河原専務が、2010年ごろから自社の超高精度メッシュを応用したマスクを開発。1枚1万円ほどで売りださねばならぬ高級品となったが、PM2.5などの大気汚染が深刻化する中国、新型ウイルスが蔓延する中東やアフリカなどから需要に火がつき、注文が殺到するようになった。

筆者は2014年、エボラ出血熱の感染予防のため、アフリカ諸国に約1万枚のマスクを無償提供したとの話題を中河原専務から取材、英文メディアの記事にした。ただし、そのときは羽生選手の「は」の字も出てこなかった。

実はこのころ、「花粉症に悩む選手のためにマスクを作ってほしい」というスポーツ関係者からの依頼で、新製品開発が進んでいたという。しかし、その選手が誰であるかは中河原専務にも知らされていなかった。ただ、「日本を代表する選手に使ってもらいたい」という思いから、マスクの端に小さな「日の丸」をあしらうことにした。

マスク完成から数カ月後、ふとテレビを見ていた中河原専務の目に飛び込んできたのが、まさにその「日の丸マスク」を着けた羽生選手の姿だったのだ。

この後、同社のマスクは「羽生選手ご用達」の製品として注目され、メディアでも引っ張りだこになった。ただし、当の中河原専務は「羽生選手を利用して売るつもりはない」と冷静で、マスクの増産に努めつつ、洪水時に土のう代わりになる防水シートなどの新商品開発にも励む。「社会貢献で日本を代表する企業になる」のが目標だと公言してはばからない。

こうしたユニークなモノづくり企業は、トヨタのお膝元である愛知県周辺にいくつも見つけられる。金型の磨きの技術を生かしてカクテルシェーカーのオリジナルブランドを立ち上げた横山興業、食品に混入した金属などの異物を超高感度センサーで検知するシステムを開発中の愛知製鋼…。

共通するキーワードは「脱・下請け」と言えよう。系列に甘んじていたら、もう仕事は来ないという危機感。それまで培ってきた技術や生産体制、創意工夫が他の分野にも通用するという自信。それらが表裏一体となって、変革や創造のエネルギーになる。

航空機部品から国際的な大型物理実験装置づくりまでを手掛ける金型メーカーの社長は「リーマン・ショックで自動車の仕事が激減したとき、とにかく新しい仕事を引き受け、アイデアを振り絞った。すると、自分たちにしかない品質管理の能力が世界に求められることが分かった」。一方で、「そうできなかった会社は、どんどん苦境に陥っている」と指摘する。

名古屋学院大学現代社会学部の江口忍教授によると、愛知県内での乗用車の生産台数は1990年に367万台だったが、2013年には169万台と半分以下になっている。しかし、愛知県以外での生産台数は636万台から645万台へと、逆に増加。トヨタが海外はもちろん、日本でも東北や九州などに生産拠点を分散している影響が如実だ。江口教授は「トヨタの好調で愛知・名古屋も潤っているように見られるが、決してそうではない。燃料電池車や自動運転車など、次世代車関連の産業も未集積で、今後はトヨタの業績と地域経済の好不調がますますリンクしなくなるだろう」と分析する。

職人技能が「凄ワザ」と単純にもてはやされるのも、長続きはしないだろう。これまでの自分たちの殻を破り、新しいステップを踏み出せなければ、淘汰される。まさに羽生選手が挑戦するような未知の領域に、日本の中小企業も勝負に入り、鍛えられようとしているのだ。


copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."