記者クラブ制は言論統制

清谷信一(防衛ジャーナリスト)
【まとめ】
・記者クラブは日本の官公庁や経団連など組織に置かれている報道機関の任意団体だ。
・しかし、本来の権力の監視という役目ではなく、むしろ国民の目から当局を守る防波堤の役割を果たしている。
・当局との癒着とともに記者の専門知識の欠如も問題だ。
石破茂前首相は2025年10月10日、戦後80年に合わせた先の大戦に関する「内閣総理大臣所感」を発表した。これは多くの国民に深い感銘を与えたが、その中で「使命感を持ったジャーナリズムを含む健全な言論空間が必要です。先の大戦でも、メディアが世論をあおり、国民を無謀な戦争に誘導する結果となりました。過度な商業主義に陥ってはならず、偏狭なナショナリズム、差別や排外主義を許してはなりません」と、先の大戦に関し報道機関の責任に言及した。
これは戦前戦中の報道機関だけの話ではない。石破前総理には現在の報道機関の在り方にも警鐘を鳴らしているのではないか。筆者は度々石破前総理に記者クラブ制度の問題点を指摘してきた。
実際にここ数か月、新聞、テレビ、通信社など記者クラブ会員報道機関をめぐるスキャンダルを実感した国民は多いのではないだろうか。10月7日、高市総裁が公明党との連立協議後に記者団の取材に応じる予定だった際、待機中の報道陣の会話が生配信マイクに拾われ、「支持率下げてやる」「支持率下がるような写真しか出さねえぞ」の発言がSNSで大炎上した。
また、2025年7月20日投開票の参院選から3日後の7月23日に毎日新聞と読売新聞が報じた誤報問題もあった。毎日新聞は8月末前に辞任、読売新聞は7月末まで自ら退陣するとした「石破(前)首相退陣」報道だ。だが石破前首相は退陣報道が出た7月23日には麻生太郎氏、菅義偉氏、岸田文雄氏ら歴代首相経験者と面会。その後、報道陣の取材に応じ、「一部にはそのような(退陣)報道がございますが、私はそのような発言をしたことはございません」と明確に否定している。
だが読売新聞は「謝罪記事」で「本紙は、石破(前)首相の『辞める』との発言を常に正確に把握していました。しかし、石破前首相は辞任せずに、結果として誤報となりました。新聞には正確性が何よりも求められます。読者の皆様に深くおわび申し上げます」と強弁している。情報は正確につかんでいたが読売新聞の報道で首相が翻意したから、「結果として誤報」になったというのだ。
2005年に発生した福知山線の大事故で、読売新聞の竹村文之記者がJR西日本の記者会見において「遺族の前で泣いたようなふりをして、心の中でべろ出しとるんやろ」「あんたらみんなクビや」罵声を浴びせたことが問題となった。報道した週刊新潮は記者名を伏せていたが筆者が独自に調査してブログで公開したところ大きな反響があった。その後読売新聞は謝罪記事を掲載したがそれでも記者名は伏せたままだった。こういう素直に謝罪や訂正をしないことは記者クラブメディアでは少なくない。
記者クラブは日本の官公庁や経団連など組織に置かれている報道機関の任意団体だ。だが実質的に新聞、テレビ、通信社といった大手報道機関が独占して記者会見やレクチャー、高官との懇親会などを囲いこんでおり、他の媒体やフリーランスは記者会見やレクチャーなど多くの取材排除されている。ゆえにそれが特権化して取材場が密室化しており、これが当局との癒着の原因となっている。このため本来権力の監視という役目をはたしていない。むしろ国民の目から当局を守る防波堤の役割を果たしている。そのかわりに特権的に取材機会を独占しており、相互に癒着関係にあるといってよい。記者クラブ、特に政治部の記者は自分たちが特権階級であるかのように勘違いしている記者が少なくない。
本来記者クラブは町内会やマンションの管理組合と同じ民間の一任意団体にすぎない。それが他の媒体やフリーランスを取材機会から排除する、また大臣会見などを主催する法的な根拠はない。これは自分たちこそメディアの代表であるという選民意識に基づく差別であり、アパルトヘイトと何ら変わるものではない。
例えば、経済専門誌は財務省や経産省の会見には参加できない。このようなシステムは日本だけであり、諸外国から日本の報道の不透明性を批判される原因になっている。
検察や警察の記者クラブは基本的に当局の問題点を指摘しない。その代わりに情報のリークを受ける。それを検証も裏取りもしないで記事にすることは少なくない。まさに警察や検察が吹いた狗笛で猟犬よろしく、容疑者=犯人のごとく報道して世論を誘導する。そうして起きたのが松本サリン事件や袴田事件、大川原化工機事件のような冤罪である。
どのように記者クラブが癒着しているかの好例は黒川検事長の違法賭博問題だ。違法行為を取り締まる側である検察の高官が、あろうことか担当記者らと賭博行為にふけっていたのだ。こういう癒着があるから検察や警察の裏金問題などを記者クラブメディアは殆ど報じてこなかった。
かつて防衛省記者クラブに対して防衛省はお茶くみやコピーのため2名の職員を配置していた。筆者は河野太郎大臣当時にこの件に対して「一民間任意団体に便宜供与を与えていいかと質問したら2名の担当者はいなくなった。同様に記者クラブが内局や幕僚監部の広報にビール券を配っていたことも質問したらこれまた停止となった。このような当局と記者クラブの癒着は少なくない。
石破前総理に関しては意図的な世論誘導とみられる記事は少なくなかった。例えば、日米会談ででたとされるC-17輸送機導入の話だ。時事通信は運用費の高いC-17導入は防衛省関係者のコメントを引用し首相のオタク趣味だと切り捨てたが、空自はそのC-17の5倍以上も高い維持費の国産C-2を装備していることは無視している。これはフェアとは言えまい。
また、筆者が3月14日の会見で中谷大臣に発した質問に対して大臣は「米軍のC-17輸送機は消耗部品も一切生産されていない」と発言した。だが米空軍は同機を運用しており、消耗部品なしで航空機を運用することは現実的に不可能だ。これは小学生でもわかる道理だ。にもかかわらず、防衛省はこの事実誤認を訂正することを拒んだ。
それは既にフジテレビ政治部記者と、朝日新聞のこれまた政治部記者が大臣の発言を検証もしないまま記事にしたからではないか。子供でも分かるミスを事務方に確認もしないでデスクも校閲も問題にしないで掲載するのは、常識が欠如しているのか、あるいは何か意図があったではないかと疑われても仕方あるまい。防衛省が大臣発言を撤回、あるいは訂正すると記事が誤報となってフジテレビと朝日新聞のメンツがつぶれることを慮ったからではないか。
ところが5月16日の空自のT-4練習機墜落に関する防衛大臣の臨時記者会見で「搭乗員らしきものを発見し、収容した。損傷が相当激しい」との中谷大臣の発言が遺体の扱いをめぐって批判され、同日中に会見がやり直された。中谷大臣が「搭乗員らしきもの」と述べたのは、当時遺体かどうか確認が取れているという趣旨での発言だったが、防衛記者クラブは「遺体をもの扱いした」と詰め寄ったためだ。だが報道官も「搭乗員2名が行方不明」「搭乗員と思われる体の一部を発見及び収容」と説明しており、遺体と断定していない。防衛省が乗員2名の死亡を確認したのはその後の22日である。
完全な事実誤認は訂正せず、記者クラブの合理性のない「お気持ち表明」にはそそくさと会見をやり直すというのは官庁として問題はないのか。因みに筆者は防衛省の会見などに参加できるが、それはドイツの専門誌の記者として外務省のプレスパス、外国記者証を持っているからだ。だがこのパスには、なぜか「これは身分証明書ではありません」と日英語で書かれている。
我々ジャーナリストが海外に行って困るのは、公的な記者証が日本に存在しないことだ。他国では一定の実績がある記者には公的な記者証が発行されて官公庁などの取材や会見にアクセスできる。だが日本ではこのようなシステムが先の外国記者証以外に存在しない。海外では公的機関などを取材する場合に、このような公的記者証を求められるが少なくない。それでも大手メディアはまだましだが、フリーランスだと苦労する。
当局との癒着とともに問題なのは記者の専門知識の欠如である。例えば、防衛記者会の記者だからと言って軍事の素養があるわけではない。単に会社の辞令で配置されるだけだ。そして数年で転任していく。専門知識が培われるわけがない。その記者たちが防衛省や幕僚監部などのレクチャーなどで「洗脳」されていく。実は防衛省や自衛隊は世界の軍隊とのずれが非常に大きい。「自衛隊の常識は軍隊の非常識」であることは少なくないのだ。だが軍事的な教養がないから彼らの説明を鵜呑みにする。本来記者は専門家である防衛省や自衛隊に騙されない見識が必要なのだが、当局の発表を鵜呑みにしがちだ。
例えば専門誌の記者が常に会見やレクチャーに参加していれば、専門的な見地からの質問も増えて有意義な会見になるはずだ。だがそれは記者クラブに阻害されている。
知識がないだけでなく、会見がセレモニー化されている。少なくとも防衛省の大臣会見で事前に記者が質問を提出し、それを内局官僚が回答を書く、大臣はそれを読み上げるだけというまるで小芝居のようなことが行われている。大臣が自分の言葉での答弁ではない。諸外国ではこれを記者会見とはいわない。
このように記者クラブは官公庁など取材の独占と密室化、そして癒着、それに伴う選民意識の肥大による独善、さらに専門知識の欠如が加わって国民の知る権利を阻害している。また冤罪などの原因ともなっている。だが、不思議なことに法曹界や筆者も会員の日本ペンクラブなど文筆業者の団体、人権団体はこの記者クラブという制度を厳しく批判することはない。このような記者クラブ制度が続けば政治や行政がゆがめられ、国民の知る権利が阻害されたままとなる。きちんと権力監視がなされていなければ、それは将来戦争を引き起こす可能性すらある。
戦前、戦時中政府や軍部と報道が一体化して、政府や軍部の都合の悪いことを報道せず、国民は正しい情報を知らされずに世論操作を受けていた。これに対する真摯な反省があるならば当局を守る防波堤となっている記者クラブの在り方は許されるものではない。
写真)石破茂首相会見 2024年11月11日 首相官邸
出典)首相官邸




























