[岩田太郎]【日本国民を巻き込ませない政策を担保する方法】~米中もし戦わば 2~
岩田太郎(在米ジャーナリスト)
「岩田太郎のアメリカどんつき通信」
米国はその戦争に協力するよう、日本に長く求め続けてきた。古くは朝鮮戦争における掃海作戦、最近では湾岸戦争の後方支援や北朝鮮核危機での船舶検査支援である。だが、独立後の日本は憲法解釈を盾に自衛隊の派遣を断ってきた。その状況はもうすぐ変わる。現在審議中の安全保障法制の関連法案が通過すれば、日本のシーレーン海域でもある南シナ海で米中軍事衝突が発生した際に、米国は海上自衛隊の支援や戦闘関与を当然のように要求してくる。
筆者は、中国の脅威が疑いもなく増大する中、自衛のため日本が戦える国になることに反対ではない。軍事的に備え、攻められれば、追い出さねばならない。時には国外の敵基地を叩くこと、敵国の一部を一時的に占領する作戦的自由も必要だ。自己防衛は問題ではない。
しかし、米国の利益ために戦いに巻き込まれ、大損害を被ることは絶対に防がねばならない。日本が戦うべきなのは、日本の国土と日本人が体系的に攻撃された時だけである。それ以外の場合(つまり米軍から、自衛隊の国外での支援や参戦を要求されるケース)は、国民投票が必要だとの憲法改正を行うべきだ。
これは、1938年1月に米議会において憲法改正に必要な3分の2以上の賛成を得られず、葬られた「ラドロウ憲法修正提案」に範をとる。同案は、「米本土か米領土、および国民が攻撃された場合を除き、米議会の宣戦権限は国民投票で大多数の賛成を得なければ、有効とならない」と規定していた。つまり真珠湾攻撃には議会が即対応できるが、ベトナム戦争やイラク戦争は国民半数以上が賛成しないと、できなかったことになる。
これを日本に当てはめると、南西諸島攻撃には即反撃できるが、南沙諸島での米中交戦に米側として参戦するには、国民の50%以上が賛成票を投じなければならないということだ。「日本が巻き込まれない」が担保できる。国会議員の皆さんに、是非検討していただきたいものだ。
だが、これ以上に深刻な問題がある。戦前・戦中・戦後を通して日本政府の一貫した姿勢が、「棄民」であることだ。政府・軍の究極的な目的は組織の護持にあり、国民を守ることではない。元海軍大佐で、軍事評論家の水野広徳が『中央公論』の1925年11月号で警告したように、「国防はもともと国家の国防、国民の国防にして、断じて軍人の国防ではない」という声、あるいはジャーナリストの桐生悠々が1936年3月に発した「皇軍が私兵化されている」との警告が聞かれず、結局300万人以上の日本人が先の大戦で命を落としたことを思い出そう。
作家の五木寛之氏は敗戦を朝鮮で迎えたが、日本政府と日本軍が日本人在留民を見捨て、彼らが辛酸をなめる様子をつぶさに目撃した。その経験から、「国家はいざとなったら、国民を守ってはくれない」と断言する。
敗戦時の満州では関東軍が真っ先に逃亡する一方、「大陸に帝国の影響力を極力存続させるため残置」された前線防衛の盾である移民の多くが外地に棄てられ、無残に殺され、暴行され、略奪された。在満軍人も含め107万人がソビエトに抑留されて過酷な労働を強制され、栄養失調や病気で死亡した34万人が異国の凍土に埋葬された。サイパンなど南洋方面では民間人が玉砕を強いられ、内地の沖縄では軍が同胞の民間人を、まるで敵のように扱った。本土では、防空法による空襲時の逃亡禁止や軍の指導で、各都市で多くの市民が犠牲となった。
安全保障法制の関連法案審議の前に歴史に学び、政府や自衛隊が国民を守るために存在すること、そして交戦は米国の利益ではなく、日本の国民と国土を防衛するものしか許されない政策を担保しなければならない。
安倍晋三首相以下、閣僚や官僚は「日本が米国の戦争に巻き込まれることは絶対にない」と断言している。では、責任の担保を差し出させよう。実際に巻き込まれた場合に、法案に賛成の議員をはじめ、すべての立法責任者・関係官僚を終身禁固刑や全財産没収などの厳罰に処する規定を盛り込む。免責なし、時効なし、情状酌量なし、遡及可能にする。「絶対に巻き込まれない」のだから、処罰の可能性は0%。原発事故の可能性より低い。首相をはじめ、喜んで応じるだろう。
(つづく。本シリーズ全4回。本記事は、第1回「 【佐藤元首相と安倍首相の「日本は巻き込まれない」】~米中もし戦わば 1~」の続きです。第3回は「戦前日本と現代中国の『アジア人のためのアジア』」、第4回は「米中戦争は不可避か~中国の自己実現預言の自縛~」。)