[岩田太郎]【“声なき多数派”、安倍政権支持に傾くか?】~安保可決後の民意はどこへ 1~
岩田太郎(在米ジャーナリスト)
「岩田太郎のアメリカどんつき通信」
安倍晋三総理大臣率いる与党が7月16日、衆議院本会議で安保関連法案を強行採決し、参議院で9月に法案が成立する見込みだ。世論調査やデモで示された民意に背いたことによる内閣支持率低下は織り込み済みで、今国会終了後に子育て層向けバラマキ政策などで民心を掌握し、政権与党の再浮揚を図ると伝えられる。さらに法案成立後に衆議院を抜き打ち解散して、「憲法解釈変更選挙」で勝利し、新安保法を国民が追認したとの形を作り上げる方針だとされる。ここで政局のカギを握るのが、昨年12月の「アベノミクス選挙」の帰結を決めた声なき多数派、すなわち無党派層ともサイレント・マジョリティともいわれる浮遊票だ。政治評論家の杉浦正章氏は、1950年代初頭に国民の反対が強かった単独講和・旧日米安保条約調印後と、国論を二分した1960年の新安保条約成立後、声なき多数派の民意が安保支持に傾いたと分析し、今回の安保法制で反対や態度保留をする無党派層も、憲法解釈変更支持に移行すると予言している。
だが、旧安保・新安保成立後の政治と現在の政治には大きな違いがあり、加えて杉浦氏の分析には過大評価もある。まず杉浦氏は、「1952年10月1日の総選挙で自由党が240議席、51.5%の過半数を確保して勝っている。サイレント・マジョリティは当時の吉田茂首相に軍配を上げたことになる」と主張する。
しかし現実には、1952年8月28日に行われた衆議院の抜き打ち解散で争われた466議席中、自由党吉田派は過半数に届かない199議席、そのライバルの自由党鳩山一郎派は35議席と、自由党そのものは大きく議席を減らし、呉越同舟でかろうじて過半数を確保したにすぎない。その後、鳩山派は吉田打倒を叫び、吉田の弱みであった憲法第9条問題に攻撃を加えていく。占領軍の後ろ盾も最早なく、権力にしがみつく吉田は政治的転落を始め、民心は離れる一方だった。
一方、自由党内紛に乗じる社会党は勢力を伸ばし、事態を憂慮した財界が、保守合同・憲法改正を望んで1955年に誕生したのが今日の自由民主党だ。つまり、サイレント・マジョリティが吉田に軍配を上げ、安保支持に傾いたとは言えない。事実、この問題は1960年安保闘争という形で国論を再分裂させることになる。
安保闘争について杉浦氏は、「安倍首相の祖父である岸信介首相は、『国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつもの通りである。私には声なき声が聞こえる』と、サイレント・マジョリティ発言をしている。岸の発言はその後の総選挙で的中し、後継の池田勇人首相が1960年10月24日に断行した総選挙で、自民党は296議席を獲得、圧勝している」とする。確かに安保闘争の選挙への影響は少なく、社会党の内紛から民社党が分裂派生したことに乗じ、保守合同で強力になった自民党は議席を増やした。
だが1952年の抜き打ち解散総選挙でも、1960年の安保解散総選挙でも、時の政権は長期的に貧富の格差を解消させ、民衆を富ませる統制経済政策で国家改造を推進したことがサイレント・マジョリティの心を掴んだ。そこが今と違う。
安保解散選挙では、岸が提唱して池田が発展させた所得倍増計画などの経済政策で、自民党の安泰ムードが支配したのが勝因だ。抜き打ち解散総選挙の当時は同年4月の「独立」達成の昂揚感の中、日本経済が朝鮮特需で潤っており、戦中の軍部・戦後の占領軍が実行した格差解消策の実感効果が現れていた。
つまり、国民生活を根源的に向上させる懐柔策が効けば、無党派層の安保法制支持が高まる可能性は増大する。だが、安倍政権が推進するのは一時的なバラマキ政策や、貧者や弱者を追い詰める改正派遣法、大企業優遇で貧富の差を拡大させ国富を奪うTPP(環太平洋パートナーシップ協定)だ。これで人心が掴めるか。
次回総選挙で安倍首相、あるいは安倍氏の後継首相が無党派層の支持を獲得できるかは未知数だ。民心掌握のための「解決策」で、かえって矛盾がより先鋭化してあちこちから噴出し、真綿で首を締めるが如く与党を苦しめそうだ。
(その2に続く。シリーズ全2回。つづきは【無党派層の民意を米中に突きつけよ】~安保可決後の民意はどこへ 2~
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