[渡辺敦子]【「地政学的」に見る:地元(ローカル)の意味 その2】~境界を持たず広がる「地元」がもたらすもの~
渡辺敦子 (研究者)
「渡辺敦子のGeopolitical」
「地政学」が新興国を形容するのに多用されたのは、これらの勢力が旧勢力には得体の知れないものであったからだ。地政学は、不可視を可視とする科学的な力を持っているように見えた。しかし現代は、ほんの十数年前まで日本に住んでいれば会うこともなかったような国々の人と、誰もが交流する時代である。科学の力を借りなくても、中国人がどういう人々なのか、馴染みのコンビニの店員を思い浮かべればわかるようになった。地政学的言説が近年短命となったのは、我々が日常的個人的に見聞きした「外国人」に対する知識と、専門家が語る「外国」のイメージが、必ずしも一致しなくなってきたことが一つの要因であろう。つまりこの意味での科学とは、皆に同じイメージを持たせるテクニックなのだった。
ではもはや地政学は、過去の遺物だろうか。
私は、「地理と政治の結びつきを考える」という根本的な意味における地政学の可能性は、日本の過去にあると考える。実は大東亜地政学は、戦争を美化する理論で、欧米の地政学のように戦争を合理化するものではなかった。その礎となったハウスホファーの理論は、実際には東洋の魅力に取り憑かれた彼が、太平洋と大西洋の政治形態の違いを強調し、太平洋の優位をうたうものであったのだ。
彼の理論は戦後、ナチスに協力した人種差別的理論として曲解され、伝説化された。だが実際には、彼は日本独特の政治手法を、「敵」をつくる欧米の論理とは異なり「和」を尊ぶ政治だとして賛美した。それに“目覚め”た日本の学者たちが、欧州の超克を唱える「近代の超克」論と呼応し、その日本独自の政治形態を、新たな世界秩序の原理として理論化しようとしたのが大東亜地政学であった。
つまり日本の地政学は、他国を観察する科学ではなく、自己を美化する道徳学であった。それは自己の精神性ばかりを強調し、敵の観察を怠る戦中の日本人の精神構造を代表する学問として発達したのだ。
この経験は、現代に2つの相反する示唆をもつ。昨今の「和」ブーム下、日本人は日本を賛美する外国人の言葉に必要以上に酔ってはいないか。一方で政治が普遍的なものではなく、地域により形態が異なってしかるべきものであることは、現代の政治理論でもようやく認められつつある。それは多様な地理と歴史と政治のつながりのなかで理解されなければならない。困難は、地理は常に地理的決定論と不可分に考えられ、それが「人種差別」ならぬ「地域差別」の思考に発展しがちなことだ。「日本は素晴らしい国」というプライドは常に、反証として他国への侮蔑を伴う危険性を伴う。
だが一方で「私の場所」は尊いものである。2013年にNHK朝ドラ復活のきっかけとなった「あまちゃん」を思い出してほしい。なぜ人は地元に帰りたいのだろう。そこには思い出があり、大切な人たちが住んでいるからだ。福島だろうが三陸だろうが地元は地元であり、私の場所である。それ以上でもそれ以下でもない。アキはアキであるために、地元に帰ったのだ。地理は人を作り、人が故郷を作る。世界を股にかけ活躍する人も、地に足をつける人間である限りある土地に住み、そこから政治が始まる。
イタリアの思想家アドリアナ・カバレーロは、それをabsolute locality と呼ぶ。そこにはいかなる「所属」も存在しない。あるのは、この場所にいるのは私であるという事実のみであり、その空間が何かは問われない。「地元」は私と周囲の人々との偶然な、しかし無限のつながりのなかで、境界を持たずに果てしなく広がってゆく。こう捉えれば地理と政治の関係は、多様性を認めた肯定的なものとなり得るのではないだろうか。
(この記事は【「地政学的」に見る:地元(ローカル)の意味 その1】~地理と政治の関係とその将来~ の続きです。全2回)