ネットでは見えない人の不満と憤り
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
世の中には誰から見ても正しいことがある。人種差別をすべきではないし、また人を傷つけることはしてはならない。全て人々の全ての権利は守られるべきだ。
一方で世の中には難しい局面がある。例えば首長族と言われる方達は、首が長いほど美しいとされていて、子供の頃から首にリングを巻き、少しずつ首を伸ばしていく。そのまま大人になるとリングがなくなると首への負担が大きいので、リングなしでは生活できなくなる。首長族にとって重要な文化だから当然多様性を考えれば文化は守られるべきだけれども、一方で子供は拒否をすることができないので、子供の虐待じゃないかと言う話もある。そこではそれぞれの正しさがぶつかっている。
正しくないことを言えば糾弾される。特にインターネットの影響か、その傾向が強くなっているように思う。facebookをみても、それからメディアの発言を見ても、不適切な言葉は批判され、少しずつ素晴らしい発言が増え、世の中はよくなってきているように感じる。
私はいろんなところで講演をすることがあるが、そのおかげでいろんな人たちと話をすることができる。昼間談笑していた人と、夜一緒に会食をして少し酒が入った時に、本音で話すことも多い。躾と体罰の違いは何か、躾で頭をごつんとやることもダメなのか。辛い経験で人は成長するのに、それを奪ってしまう風潮はないか。そういう話も飛び出す。おそらく表で、特にネットの中で話をすれば糾弾されるであろう話だけれども、なんとなく共感するところもある。
人の言葉はしばれるが、何を思い何を感じているかは縛れない。いくら議論を重ねても、いくら相手の言葉を正しても、相手の思想を縛ることはできない。普段は全く普通にしていても、人の見ていないところで、例えば投票場などで人がどんな行動をとるのかを私達は知ることができない。何を不満に思い何に憤っているかは、表からは見えない。
北風と太陽という話がある。北風で旅人のコートを脱がせようとしたがそれは失敗に終わった。太陽が旅人を温めた結果、旅人はコートを脱いだ。理想はそうあるべきだけれども、旅人が武器を持っていないとも限らない。旅人の発言や、行動を縛ることはできるだろう。一方で誰も見ていないところでの彼の行動は縛ることはできない。
今月アウシュビッツに行って、展示品を眺めながら、これらが民主主義的なプロセスで生まれたことに戦慄を覚えた。
(為末大HP より)
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この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役
1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。