ノーベル文学賞と言語の関係 ノーベル賞の都市伝説その1
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
【まとめ】
・ノーベル文学賞受賞作家カズオ・イシグロ氏の作「私を離さないで」が日本でベストセラーに。
・ノーベル文学賞は、「英語で書く人の方が圧倒的に有利」という話がある。
・受賞者の母国語は25カ国語にまたがっており、国籍や言語は本質的な意味はない。
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10月下旬のある日、東京・池袋のジュンク堂書店に立ち寄ってみたのだが、カズオ・イシグロ氏の『わたしを離さないで』がベストセラーの1位、しかも品切れとなっていた。
▲写真 「私を離さないで」(ハヤカワepi文庫)カズオ・イシグロ著 土屋政雄 (翻訳)
さすがノーベル文学賞のインパクトだが、他の著作は在庫があるのに、どうしてこの本だけが……と疑問に思って検索してみたところ、2005年に刊行された同作品は2010年に英国で映画化され、さらにわが国では2016年に綾瀬はるか主演でドラマ化されていたことが分かった。しかも、ノーベル賞に合わせて再放送されたという。やはり昨今の本の売れ方は、こういうものであるらしい。
▲写真 TBS系列ドラマ『わたしを離さないで』(2016年1月期金曜ドラマ枠で放送)を2017年10月18日から深夜枠で再放送した。 出典:TBS「私を離さないで」HP
ノーベル賞のインパクトということで言うと、本誌でも国際ジャーナリストの岩田太郎氏が、『カズオ・イシグロの「日本人性」を読み解く』と題する記事を寄稿されている。岩田氏は作品の具体的な評価より、二重国籍を認めていない日本の問題点を見直すことから、イシグロ氏の立脚点を見つめ直したもので、大変おもしろかった。
ただ、本シリーズはノーベル賞全般について語られる様々な「都市伝説」を検証してみようという試みで、また、小説も書いている私としては、どうしてもカズオ・イシグロ氏の言語感覚に着目せざるを得られない。
よく知られる通り、氏は長崎県出身。両親ともに日本人である。5歳の時、石油会社のエンジニアだった父親が、北海油田の仕事に就いたため一家で渡英。間もなく日本の小学校に入学するという時に、日本語を解する友達が一人もいない、という環境に、突如放り込まれたのである。氏はこのことをもって、「僕の日本語は5歳から進歩していない」などとマスコミに語っていたが、これは多分に謙遜であるらしい。
と言うのは、私の親類がロンドンに長く住んでおり、イシグロ氏とも交遊があるため、マスコミには出ないような情報も、私の耳には届くのである。実は、その親類とは吉崎道代といい、大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』のプロデュースに関わるなどした人物だ。
楽屋話になってしまうが、実は彼女がイシグロ氏の人となりについて書いたエッセイを、某月刊誌に売り込んだことがある。編集者の返事は、「彼がノーベル賞でもとったら、大特集をやりますから、その時は是非」というものだった。
その時は、持ち込みを婉曲に断られたのかな、と思ったが、おそらく年内にはこのエッセイが活字になるであろう。
具体的なことは、そちらをお楽しみに、ということになるが、私の知る限り、イシグロ氏の言語感覚や立ち居振る舞いは、英国人以外の何者でもない。さらに私が得ている情報では、イシグロ氏の「日本語の進歩が止まった」のは17~18歳の頃の話で、英国の作家として立つ決心をしたと同時に、日本語の勉強を放棄してしまったのだという。逆に言うと、ティーンエイジャーになるまでは、日本語もある程度学んでいたはずなので、「5歳から進歩していない」という氏のコメントは、額面通りには受け取れないのである。
ただ、私が疑問に思うのは、英国で一流の作家になることと、日英のバイリンガルになることは別に矛盾もするまいし、どうして日本語を捨てる決心などしたのか、ということだ。まあ、私などがノーベル賞作家に対してあれこれ言ったところで、なんの説得力もないであろうから、またまた親類の助けを借りることになってしまうが、前述の吉崎道代の息子はロンドン生まれで、小学校からロンドン大学まで、英語で教育を受けている。その彼に対してイシグロ氏は、「君はバイリンガルになった方がいいよ」とアドバイスして下さったことがあるそうだ。やはり、日本を舞台にした小説を書く際など、日本語がもっとできれば、と思うようなことがあったのかも知れない。
ところで、ノーベル文学賞については、だいぶ前から、「英語で書く人の方が、圧倒的に有利」という話が喧伝されている。イシグロ氏が日本語の勉強を放棄して、英語で一流の文章を書くことを志したのも、もしかしたら(私の勝手な想像だが)、この話と少しは関係があるのかも知れない。
そこで、歴代受賞者が原著を何語で執筆したのか調べたみたところ、英語が29人とたしかに突出して多いが、英語で書かないと……などと言われるほどでもない。次いで多いのがフランス語で15人、さらにドイツ語13人、スペイン語11人と続くが、これは、その言語を操る人口との対比で言うと、むしろドイツ語が突出して多い、と言えるのである。
これもよく知られるように、日本語で原著を書いて受賞者となったのは、川端康成、大江健三郎の2氏だが、中国語、ギリシャ語を母国語とする作家も2人ずつ受賞している。
▲写真 左から、三島由紀夫、川端康成、真杉静枝(ユーディ・メニューイン訪日公演時) 出典:『アサヒグラフ』 1951年10月10日号
▲写真 大江健三郎 at Japan Institute Cologne, Germany Photo by Hpschaefer
他に、トルコ語、クロアチア語、イディッシュ語(東欧ユダヤ人特有の言語)の作家も受賞している。受賞者の母国語は、資料で確認できる限り25カ国語にまたがっているのだ。前々から下馬評が高かった村上春樹氏は、今回も受賞を逃した。
そのことについて、イシグロ氏は英語で書いた分、有利だったのでは、などと語る向きも見受けられるが、これなど私に言わせれば、イシグロ氏のことを「日本の作家」だと言い張るのと同じくらい愚かなことだ。ノーベル文学賞の選考において、国籍や言語は本質的な要素でないということは、データの上から明らかなのだから。
トップ画像:カズオ・イシグロ氏 Kazuo Ishiguro at the launch of his book The Buried Giant, 2015 Photo: Katie Hall 出典/Nobelprize.org
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。