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.国際  投稿日:2024/4/16

アイゼンハワーかく語りき  「核のない世界」を諦めない その2


林信吾(作家・ジャーナリスト

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・「原爆で人の命が救われた」は、日本本土決戦で失われたかも知れない、米兵の「命」のことだけ。

・アイゼンハワー連合国軍最高司令官の「原爆投下に反対した」は疑わしい。

・広島と長崎の惨状に、米国の政治家や軍人が無頓着であったことは間違いない。

 シリーズ冒頭で述べた通り、映画『オッペンハイマーが3月29日、日本で公開された。

 BBCが公開当日、広島市内(爆心地から数メートル、と言っていた)の映画館で観客にインタビューしていたが、制服姿の女子高生が、

 「原爆は人の命を救った、という言葉を聞いて、アメリカ側の視点というか、世界からの視点を学んだ気がしました」

 などと答えていたのが、一番印象深かった。

 たしかに映画の中では、時の(終戦時の)合衆国大統領ハリー・Sトルーマンが、そのように語るシーンがある。

 「マンハッタン計画」と称された、原爆開発計画が最終段階に入った1945年5月、ナチス・ドイツは降伏し、もはや原爆など必要ないのでは、といった声も聞かれ始めたが、まだまだ日本に降伏の意思はない、とする見方の方が優勢であった。米軍情報部からそうした内容の報告書も提出されており、このあたりも映画の中で描かれている。

 そうであるとするならば、もはや日本本土への上陸作戦を敢行する以外、手段はないとの結論しか導き出せなくなる。実際に、本土を攻略するダウンフォール(破滅)作戦が発動されていた。日本側も察知し、軍民挙げて「本土決戦」に備えていたわけだが、燃料弾薬ともに底をついており、竹槍か、手製爆弾のような自爆兵器で戦う他はなかった。

 ダウンフォール作戦とは、実際には九州に上陸して航空基地を確保する「オリンピック作戦」と、それが成功した後、房総半島と相模灘から上陸して東京を挟み撃ちにする「コロネット作戦」から成っていて、両作戦が敢行された場合、米軍がどの程度の損害を被るかもシミュレーションされていた。

 軍上層部の算定では、オリンピック作戦だけでおよそ13万名、コロネット作戦との合計だと19万名が死傷し、さらに事故や病気を加えると25万名に達する可能性がある、とされていた。南太平洋や沖縄において日本兵の戦いぶりを目の当たりにした第一線部隊の参謀からは、この算定はいささか甘いのでは、との声も聞かれたらしい。

 結果的には、原爆投下は日本の戦意をくじく上で多大な効果を得た。つまりトルーマン大統領が(映画の中でも現実でも)原爆で人の命が救われた、と述べたのは、日本側の言う本土決戦で失われたかも知れない、多くの米兵のことだけを「人の命」と表現しているのだ。

 トルーマン大統領だけではない。連合国軍最高司令官に任じられていたドワイト・D・アイゼンハワー元帥も、米国を勝利に導いた4つの兵器の筆頭に、原爆を挙げている。

 ちなみに他の3つとは、携帯用対戦車ロケット砲(通称バズーカ)、C47「スカイトレイン」汎用輸送機、そしてジープである。

 バズーカ砲は、説明に多言を要しないであろうが、これが実用化されたことで、歩兵が戦車をノックアウトすることが可能となった。その後、携帯用対戦車ミサイルへと進化を遂げ、ウクライナの紛争で名に負うロシアの機甲部隊を散々な目に遭わせたことは記憶に新しい。

 C47は、戦前の旅客機として一番の成功作と称された、ダグラスDC3を再設計したものだが、安価で使い勝手のよいこの機体のおかげで、多数のパラシュート部隊を運用することが可能になった他、物資輸送から傷病兵の後送まで傑出した働きを見せた。いかにも兵站を重視する米軍ならではの評価だと言える。

 ジープについても同様で、実は第二次大戦中、物資の輸送や火砲の牽引を馬匹に頼らず、100%自動車でまかなえたのは、米陸軍だけであったのだ。

 しかし映画の中のアイゼンハワーは、当時のヘンリー・スティムソン陸軍長官に対して、日本の敗戦はもはや決定的であるから原爆など使う必要はない、と進言したことになっていた。実際に戦後出版した回顧録でも、そのように述べている。

 しかしこれについては、米国のジャーナリストたちの間でも、鵜呑みにはできない、とする向きが多いことを知っておく必要があるだろう。

 と言うのは、彼は1952年の大統領選挙に共和党より出馬して当選。翌53年に合衆国大統領に就任している。元帥であるからには「生涯現役」の資格があるが、シビリアン・コントロールの本家たる国のこととて、52年にひとまず退役。大統領を2期8年務めた後、後任のジョン・F・ケネディによって再任され、1969年に世を去るまで、陸軍元帥の地位にあった。「生涯現役」は比喩的表現ではなく事実なのである。

 それはさておき、連合国総司令官時代の彼が、原爆投下に反対したという話が、なぜ疑わしいとされるのか。

 端的に述べると、原爆投下を決定し実行したのが民主党政権(=トルーマン大統領)であったため、終戦後、原爆は非人道的に過ぎる兵器だ、といった批判を受けて、

 「民主党の責任だ。自分は反対だった」

 などと言いたかっただけではないか、と見る向きがあるわけだ。

 いかにもありそうな話に聞こえるが、そもそもスティムソン陸軍長官は共和党右派の政治家であったという事実はどうなのか。

 さらに言えば、ウィリアム・F・ノックス海軍長官も熱心な共和党員であった。こうした人選は、すなわちトルーマン政権が「挙国一致」であったことを証拠立てるので、逆に言えば、民主党のイメージを低下させるために原爆投下への批判を利用した、という見方は、説得力に欠けるように思える。

 スティムソン陸軍長官の周辺には、1945年8月にアイゼンハワーと会って話したことは事実だが、この時に彼が述べたこととは、ベルリン攻略をソ連軍に先を越されたことから、

 「ソ連邦の参戦はすでに決定事項(注・同年2月のヤルタ会談で密約が交わされた)であろうが、可能な限り、彼らが日本本土に上陸する前に戦争を終わらせるべきだ」

 といったことで、むしろ原爆の使用を促す主旨と受け取られた、とする声、あるいは、原爆は本当に必要か、とアイゼンハワーが疑問を呈したところまでは事実だが、

 「日本が、間もなく発せられるポツダム宣言(7月26日に発せられた、無条件降伏勧告)を受諾しない場合には原爆を使用する。これは決定事項だ」

 とスティムソン(一節では次官)が答えたことで、話はそこで終わってしまった、といった記憶を開陳する人たちがいるようだ。

 前述のように、アイゼンハワーが戦後、米軍を勝利に導いた兵器の筆頭に原爆をあげていることとも併せて考えると、どうもこのあたりが真相に近く、彼が原爆の使用に反対したという話も、自分がいかに倫理的な軍人・政治家であったかを、米国民に印象づけたかった、という話にしか聞こえなくなってくる。

 いずれにせよ、広島と長崎の惨状に、米国の政治家や軍人が無頓着であったことは間違いない。

 この映画でも、原爆がもたらした惨状については、まったく描かれておらず、この点に批判的な人も少なからずいるようだ。BBCは観客だけでなく、クリストファー・ノーラン監督のインタビュー映像も放送していたが、この件に関しては、ノーコメントであった。

「映画をどのように見るべきか、監督の口から語っているように思われては不本意だ」

 というのが、その理由である。

 最後にもう一度アイゼンハワーに話を戻して、彼が大統領であった時期とは、すなわち冷戦の時代であった。米国とソ連邦とは、ともに核兵器を大量に配備し「恐怖の均衡」という論理に従っていて、映画の後半で描かれる「赤狩り」も、そうした背景から起きたことである。次回、この問題をもう少し掘り下げよう。

その1

トップ写真:アイゼンハワー連合国軍最高司令官(のち第34代米国大統領 1890年~1969年)(1942年7月9日) 出典:M. McNeill/Fox Photos/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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