無料会員募集中
.国際  投稿日:2022/4/21

「国際連合大学」の怪


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

古森義久の内外透視

【まとめ】

・日本には「国連と世界の学術社会の架け橋」を目標とする国際連合大学という機関が存在する。

・国連は国連大学の設立にも運営にも資金を出しておらず、財政の基盤は日本が独自に負担してきた

・国連合同監察団によっても「適切さ」について指摘されており、根本的な見直しが求められる。

 

ウクライナ戦争で国連の無力さが世界的に印象づけられた。国連の事務総長らがロシアの侵略行動を非難し、停戦や和平を呼びかけても、すべて言葉だけ、実際の効果のある行動をともなわない。こんな事態は日本国内に根強い国連への非現実的な期待を是正するための好機となろう。

それにしても日本でのこれまでの国連への信仰はひどかった。すでにこのコラムで紹介したように日本では最高の知性とされたような学者や政治指導者たちが本気で日本の安全保障は日本自身ではなく、国連の部隊にすべて任せるべきだと主張していたのだ。国連にそんな機能も実力もないことは、すでにいやというほど実証されてきたのに、である。

日本でのその種の国連信仰のシンボルは東京都渋谷区にある国際連合大学だといえよう。青山通りに面するこの威風堂々のビルを占める国連大学は「大学」と称しながら、一般の大学の機能は果たしていない。そもそもその日本での開設の経緯が異常だった。そのあたりに改めて光をあてて報告しよう。これもまた国連という存在への日本独特のゆがんだ認識を正そうという目的からである。   

日本国内で国連を感じさせる存在といえば、まず第一はこの国際連合大学であろう。青山通りに面した地上14階の豪華なビルは人目を引くが、内部にある国連大学の実態について知る日本国民は少ない。

国連大学というのは奇怪な機関である。大学であって、大学ではない。一般の意味の大学に不可欠な学生も教授もキャンパスも存在しないからだ。そうした指摘に答える形で国連大学は開設から30年ほども過ぎた時点でみずからを大学院として位置づけ、修士号の授与資格を得たと発表した。また大学院の学生数人を開発途上国などから入学させたとも発表している。だがその大学院としての教育の実態はまったく不透明のままである。

国連大学はさらに国連であって、国連でないとさえいえる特徴を有する。公式には国連総会の付属機関とされるが、国連は設立にも運営にも資金を出しておらず、財政の基盤は日本が独自に負担してきたからだ。

国連大学は「人類の存続、発展、福祉の緊急な世界的問題の研究と知識普及に携わる研究者たちの国際的共同体」と同大学の憲章で定義される。大学という呼称が連想させる高等教育とは無縁の単なる研究者の集まり、あるいは研究機関、研究発注機関だといえよう。

だがその活動が実際に国連にどう寄与し、国際社会にどう貢献するのかには疑義が多い。その点では日本国民が国連大学を国連や国際社会に重ねて、高い期待を寄せるのは切ない誤解のようなのだ。

国連大学自体の発表では、その活動は「平和と統治」とか「環境と開発」というテーマの研究を各国の学者に委託することや、開発途上国の研究者を招いて短期の研修会を催すことなどであり、目的は「国連と世界の学術社会のかけ橋」になることなのだという。

だがこの「活動目的」の根本的な欠陥は、その種の研究がらみの活動はすでに国連本体の各機関が直接に、あるいは外部組織への委託の形で、とっくに実施していることである。あえて「大学」を設け、資金を投入してまで進める必然性が薄いのだ。

国連大学のこの種の欠陥や問題点は国連自体が明確に認めている。国連合同監察団が1998年に発表した国連大学の調査報告書は次のような骨子を指摘していた。

 ▽国連大学の活動全体が国連社会に十分に利用されておらず、同大学のユニークな創設自体が国連内外の期待に応じていない。

 ▽国連大学は主要テーマとする途上国の「能力育成」研究などで国連開発計画(UNDP)、国連教育科学文化機関(ユネスコ)など国連の他の機関との調整が不足のため、同種の研究活動を重複させている

 ▽国連大学の理事の人数は多すぎるし、構成が偏っており、全体の運営も人事、管理、予算、財政の各面でより透明で効率を高くし、経費を削減しなければならない。

国連大学の運営については具体的な不正事件も暴露された。国連の会計検査委員会は1998年に公表した監査報告で、国連大学の開発途上国からのコンサルタントや専門家の採用に不備があるとして、2件の不正を明らかにした。

2件とも国連大学から研究を委託され、前払いの代金が払われたのに、研究がなにも出てこなかった、というケースだった。うちの1件は代金25000ドルを受け取りながら6年間なにも提出せず、しかも国連大学側はそれを放置していたという。

国連大学のこうした側面はアメリカのマスコミでも「責任に欠け、資金の大部分を組織自体の自己運営の官僚機構のために費やし、研究や研修にあまり残していない」(ワシントン・ポスト紙報道)と批判された。

国連大学自体の内部監査が不足ということだろう。この奇妙な実態は青山通りにそびえる立派な高層ビルの「人間の安全保障と発展に学術面で寄与する国際連合大学」(同大学の宣伝パンフレットの記述)というイメージとはかけ離れている。

最も深刻なのは国連大学の存在自体の意義が国連合同監察団の調査によっても問われたことである。前述の調査報告書はタイトルでも国連大学の「適切さの強化」を求めていた。「適切さ」とはつまり国連大学の存在が国連にとって、ひいては国際社会にとって、はたして適切なのか、という意味である。同報告書が適切さの強化を求めることは現状では適切ではないという示唆だろう。

その適切さはいうまでもなく国連大学の実際の活動の結果で決められる。だがこの点でも国連大学の人事部門などに7年間も勤務したアメリカ人研究者のレスリー・シェンク氏は大胆な指摘をする。

「私自身、国連大学が外部世界になにか明確なインパクトを与えたという兆候はなにひとつみたことがない。国連大学の研究発表などはほとんど実体のないはったりに過ぎない」

国連大学が国連自体にとって本当に必要とされているのかどうか。この疑問は1970年代にまでさかのぼって国連大学のスタートの経緯をみると、さらに大きくふくれあがる。

トップ写真:国連大学(東京・渋谷) ⒸJapan In-depth編集部




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."