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.政治  投稿日:2022/4/29

「国際連合」という日本語は誤訳


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

古森義久の内外透視

【まとめ】
・国際連合という日本語は本来の国連の名称の誤訳。
・「ユナイテッド・ネーションズ」とは「連合した諸国」つまり「連合国」、具体的には枢軸国を敵とする諸国の軍事同盟だった。
・正しい日本語訳で日本国民にも伝えられていれば、その後の国連への過大な幻想や錯覚は起きなかっただろう。

 

ウクライナ戦争が国際連合という組織の実態に鋭い現実の光を当てることとなった。ロシアがウクライナを軍事侵略して、連日連夜、非人道的な殺戮と破壊を続けても国連は阻止はできない。世界の平和と安定を守るための国際機関の国連は無力なのである

だがこれまでにも伝えてきたように日本には国連に対する過剰な信頼があった。期待や希望が強かった。いざという際には国連が日本の防衛を引き受けてくれるように主張した東大教授さえ存在した。

だが今回のウクライナ戦争をみるまでもなく、国連は超大国がからむ紛争となると、なにもできなくなる。アメリカ、ロシア、中国、イギリス、フランスという国連安全保障理事会の常任理事国に拒否権が与えられていることが国連全体を無力にする主要因だといえよう。

だが日本ではその現実はなかなか周知されなかった。過大な期待感がいつまでも絶えなかった。その日本での国連幻想の主な理由の一つは日本語の「国際連合」という用語だといえる。結論を先に述べれば、この国際連合という日本語は本来の国連の名称の誤訳なのである。そのあたりを詳しく説明しよう。

壮大なる誤訳とでも呼べようか。少なくとも本来の言葉を訳す側が理想への願望からねじ曲げた切ない曲解とはいえるだろう。日本語での「国際連合」という呼称と英語の「ユナイテッド・ネーションズ(United Nations)」という原名の間にはそんなギャップが存在するのである。

国連の創設はそもそも第二次世界大戦中の1944年の夏から秋にかけてのダンバートンオークス会議で骨子が決められた。アメリカの首都ワシントン旧市街のジョージタウンの小高い一角にあるダンバートンオークス邸は300万平方メートルもの広大な敷地に広がる閑静な邸宅と庭園である。

写真)ダンバートンオークス会議、1944年
出典)Photo by © CORBIS/Corbis via Getty Images

第二次大戦でドイツ、イタリア、日本などの枢軸国と戦ってきたアメリカなど連合国(ユナイテッド・ネーションズ)の首脳たちは1944年8月21日から10月7日まで、このダンバートンオークスで戦後の世界の安全と平和を守るための国際機構の設立を論じる会議を開いた。当初はドイツやイタリアと戦うアメリカ、イギリス、ソ連の三国代表が顔をあわせ、後半は日本と戦うアメリカとイギリス、中華民国の三国代表が会談した。

前と後でソ連と中華民国が入れ替わったのはソ連がまだ日本とは交戦状態になかったからだった。戦争自体は欧州でもアジアでもなお激しく続いていた。だがソ連軍は東部戦線全面でドイツ軍を破り、米英軍もノルマンディーに上陸して、フランスを奪回し、太平洋の米軍はマリアナ沖海戦で日本海軍空母の大半を撃滅して、究極の勝利をすでに確実にしていた。

枢軸と戦うこの米英ソ中などの諸国がいま日本で「国際連合」と訳される言葉と同じ「ユナイテッド・ネーションズ」と呼ばれていた。「連合した諸国」つまり「連合国」、具体的には枢軸国を敵とする諸国の軍事同盟だった

この軍事同盟を「ユナイテッド・ネーションズ」と最初に呼ぶことを提唱したのは日本軍のパールハーバー奇襲を受けてまもないアメリカのルーズベルト大統領だった。ホワイトハウスを訪れ、入浴中だったイギリスのチャーチル首相に相談し、同意を得たというのが定説である。同首相はイギリス詩人のバイロンがうたった「ユナイテッド・ネーションズが剣を抜けば」という一節を引用して賛意を表したという。その呼称は「連合国」としてすぐ1942年1月1日の大西洋憲章に盛られた。

その2年半後のダンバートンオークス会議では戦後の国際機関もこの軍事同盟と同じ呼称にすることが決められた。その過程ではソ連は「世界連合」を、イギリスは「世界評議会」を、それぞれ新国際機関の名に提唱したという。だが結局はアメリカ案の「ユナイテッド・ネーションズ」が採用された。戦時中の同盟を次元を高めて、機能を異にする発想だが、平時の新国際機関を基本的に軍事同盟の延長とみる姿勢があらわだった

このへんの歴史の事実は国連を「第二次大戦後の国際社会が新世界の平和維持のために創設した新国際機関」とみる日本の一般の認識とは、かなりかけ離れている。しかも奇妙なことに本来なら「連合国」と訳されるのが自然な名称が日本では「国際連合」と訳され、歴史の事実をさらにゆがめる効果を発揮しているのである。ちなみに中国語では国連は原名に忠実に「聯合国」と訳され、中国でも台湾でも公式呼称となっている。

ダンバートンオークス会議の翌年の1945年6月、国連の創設を正式に決めたサンフランシスコ会議では国連憲章が50ヵ国代表により署名された。憲章でも新機関の名称は「ユナイテッド・ネーションズ」と明確にうたわれていた。日本の外務省条約局が中心となった日本語訳ではこの名称は「国際連合」、省略して「国連」とされるのだが、その訳では憲章の記述が一貫せず、前文と後文では同じ言葉が「連合国」と訳されている。

こうした経緯をみると、国連は「連合国」あるいは「連合諸国」または「連合国機構」と訳すのがより正確だったといえよう。外務省の内部からも「わざわざ実体にもそぐわない『国際連合』という訳語をつくり」(元外務省国連局社会課長の色摩力夫著「国際連合という神話」)という指摘がある

ではなぜそんな訳語がつくられたのか。色摩氏は解説する。

「戦後のわが国の社会にあり得べき違和感を懸念して、俗耳に入りやすい『政治的表現』を狙ったらしい。だがこれは賢明な判断ではなかった。『国連』という呼称がわれわれ日本人の途方もない『国連神話』を生み出す要因の一つとなったからだ」

つまり国連という曲訳からは、この国際組織が実は第二次大戦の勝者が戦後の世界の秩序を保つために軍事同盟の延長としての共同統治を図るという戦略の産物だったという現実がうかがわれない、ということであろう。

この現実が正しい日本語訳で日本国民にも伝えられていれば、その後の国連への過大な幻想や錯覚は起きなかっただろう

 

トップ写真)国連人権理事会からロシアを追放するための投票の結果を見守る、ウクライナの侵略に関する第11回国連緊急特別セッション。2022年4月7日アメリカ・ニューヨーク  出典)Photo by Michael M. Santiago/Getty Images

 




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