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.政治  投稿日:2022/4/16

いまこそ国連幻想を排そう


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

・ロシアのウクライナ侵攻で、国連の無力ぶりが明らかになった。

・戦後、日本の識者による国連信仰は異常なほど強かった。

・しかし、発足から70年余り、国連自体無惨な大量殺戮を止めることさえできない。

 

 ロシアのウクライナ侵略がみせつけた世界の現実の一つは国連の無力ぶりだった。これほどの非人道的な殺傷行為がロシアによってウクライナに加えられても世界の平和や安全を維持するはずのこの国際機関はなにもできない。ただ言葉だけでのロシア非難を繰り返すだけだ。

 この現実は国連への期待や信頼を過大に抱いてきた日本にとって改めての貴重な教訓だといえよう。だがそれにしても日本での国連信仰は異様なほど強かった。国連の無力さという実態が実証されたいま、これまでの日本の国連への幻想ともいえる期待を点検してみよう。

 

 「日米安保条約も米軍基地も自衛隊も、すべて廃棄し、日本の安全の保障には中立的な諸国の部隊からなる国連警察軍の日本駐留を提案したい」

 「約26万に及ぶ日本の自衛隊を警察予備隊程度にまで大幅に縮小し、それを駐日国連警察軍の補助部隊として国連軍司令官の指揮下におき、一切の経費は日本国民が負担する」

東大教授の坂本義和氏は1959年、こんな日本の防衛構想を発表した。東西冷戦の厳しい時代に日米安保に反対し、中立・非武装を説き、国連軍の日本常駐を求めたのだった。常駐軍隊を出す中立的な国としてはデンマーク、ユーゴスラビア、コロンビア、インドネシアなどをあげていた。

 この坂本提案は日本が自国を守るのに自らは経費を出すだけで、国連に無期限で防衛のすべてを委ねるというのだから、革命的だった。現実的にみれば、夢のような幼稚な主張である。

 坂本義和東大教授といえば、戦後の日本のリベラル派のゴッドファーザーのような存在だった。その後の日本に影響を広げた学者や官僚が多数、坂本教授の薫陶を受けて育っていった。

日本社会党の書記長だった石橋政嗣氏も1980年に発表した「非武装中立論」という本のなかで日本の安全保障の国連への委任を主張していた。

「(日本など)各国の安全保障はあげて国連の手に委ねることが最も望ましい。公正な国際紛争処理機関として国連に強力な警察機能を持たせるべきだ。国連は自らは非武装たることを宣言した日本国憲法にとっては本来、不可分の前提であるはずだ」

 もう少し新しい実例をあげよう。

一橋大学名誉教授の都留重人氏は1996年に刊行した「日米安保解消への道」という書で沖縄に国連本部を誘致することを提唱していた。同時にその国連に日本の防衛を任せようという主張だった。

 「日米安保も米軍基地もない平和な沖縄をつくるための最適の具体的措置は国連本部を沖縄に誘致することだ。現在の沖縄こそが国連本部の所在地として、米軍基地も完全に撤去された『平和の拠点』となるにふさわしい」

 こうした主張はいずれも日本の防衛は日米同盟や自衛隊を排して、そのかわりに国連に依存すべきだ、という政策の提唱だった。日米同盟・自衛隊と国連とを二者択一とし、前者をなくして後者を採用すべきだという主張でもあった。

 主権国家の必須要件たる自衛という行為を最初からすべて国連に外注するというのは政策論としてはあまりに愚かである。その主張の土台は戦後の日本の果てしなき国連信仰だともいえよう。

 より近年では小沢一郎氏が日本の安全保障や外交に関しても国連にまず依存すべきだという国連中心主義を唱えていた。これまた危険きわまりない国連信仰だといえよう。

 だがこの「信仰」は明らかにぎらりとした政治的主張とも一体になってきた。日本の安全保障政策で「国連」を強調することは多くの場合、「日米同盟・自衛隊」への反対を自動的に意味してきたからだ。日米同盟への反対の政治標語の一部として「国連」がよく使われてきた、といえよう。国連の効用さえあれば、日米同盟も自衛隊も必要ない、という主張が堂々と叫ばれてきたのである。

写真)安倍晋三首相(当時)が出席して行われた第53回自衛隊高級幹部会同 東京・防衛省 2019年9月17日

出典)Photo by Tomohiro Ohsumi/Getty Images

 何度も述べるが、いまの時代には信じられないほど非現実的な主張である。そんな主張が日本の高邁な知性とか有力な政治家とされる人たちによって唱えられてきたのだ。その種の主張は以前から現実派からは批判されてきた。だが長年の日本での安全保障論議の経緯をみると、現実派の声が小さい時代が多かった。そうした現実派の一人、防衛大学名誉教授の佐瀬昌盛氏が以前に論評していた。

 「日本の安全保障や防衛を正面から考えたくない、取り組みたくないから国連を引き合いに出すというのは、国連にとっても日本国民にとっても不敬な話だ。他のどの国でもまず自国の安保を考えたうえで国連を考えている

 「日本の安全保障は国連に」という趣旨の主張は「国連幻想」「国連神話」「国連信仰」といった言葉で表現される傾向によく帰されてきた。国連の現実を理解しない無知がその根源だとする見方だった。ところが物事はそれほど単純ではないとする指摘もある。杏林大学名誉教授の田久保忠衛氏がかつて以下のように評していた。

 「日本の安全は対米同盟よりも国連のような多国間機構に頼るべきだと主張する側も、実際には国連が無力であることをよく知っているのだと思う。最初にまず日米同盟への反対という主張があり、その主張を効果的にするために国連を持ち出すのだ。国連の無力を知りながらも、日米同盟への反対の武器として利用するのだと思う」

 素朴にひびく国連礼賛の背後には実はどろどろした政治の思惑や狙いがひそんでいる、というわけだ。いずれにしても、国連はこのように日本の安全保障政策の基本とも複雑にからみあってきた。その政策論議では国連の演じる役割は大きかった。

 だが国連自体、発足からすでに70年余り、坂本義和氏が求めたような一国の防衛を丸ごと請け負う常駐警察軍や、その基盤となる集団安全保障は一向に機能していない。目前に展開される無惨な大量殺戮を止めることさえできないのである。 

トップ写真)ウクライナブチャの映像が映されている国連安全保障委員会 2022年4月5日 アメリカ・ニューヨーク

出典)Photo by Spencer Platt/Getty Images




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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