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.国際  投稿日:2022/5/25

「核抑止とはなにか」兼原元国家安全保障局次長と語る その1 ロシアによる核攻撃の脅し


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

 

【まとめ】
・ロシアによる核の威嚇は、戦後の核抑止の基本ルールを破る深刻な動きである。
・アメリカは、ロシアの核を用いた恫喝に手をこまねいている。
・一連の米ロの動きは、日本に「核の脅威への対応」という難しい問題を突き付けている。


ロシアのウクライナ侵略の過程で核兵器の威嚇が浮上した。プーチン大統領がウクライナに対して、地域に限定された戦術核兵器を使う可能性を示唆したからだ。核の大国が非核の小国に対して実際に戦闘中に核攻撃をかけるかもしれないという脅しをかけることは、戦後の世界の紛争の歴史でも前例がない。

このロシアの核の脅しは全世界に恐怖の波紋を広げた。核兵器を保有する国が保有しない国に核攻撃をかけるというのは、戦後の一貫した世界の核抑止の基本ルールを破る動きである

しかしウクライナを支援する核大国のアメリカは沈黙を保った。そのうえ、予定していた新型の大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験を延期してしまった。ロシアの動きを恐れたからだ。このアメリカの沈黙は考えようによっては、ロシアの核威嚇よりも深刻な懸念に値する。

ロシアのこのような核の脅しは、中国が台湾攻略の際にも使いかねない。となると、わが日本にも核の威嚇は及びかねない。台湾有事では日本もアメリカを助けて、戦闘に参加する可能性があるからだ。

その際のアメリカが核の面で日本を守る「拡大核抑止」はどうなるのか。アメリカは同盟国の日本のために自国への核攻撃の危険を冒してでも、核の威力を使うのか。その場合に中国はどう対応するのか。

ロシアの核の威嚇はこんな難しい課題を提起したのだ。このアメリカの日本への拡大抑止は、今回の5月23日の日米首脳会談でも課題となった。今後日米両国が拡大抑止についての踏み込んだ協議を進めていく、というのだ。だがこのことが具体的に日本の安全保障にどう寄与するのかは不明である。そもそも、核抑止とは一体なんなのか

このあたりの核の抑止についての多様な問題を、日本政府の中枢で核を含む安全保障の諸課題に取り組んできた兼原信克氏と語りあった。兼原氏は首相に直結する国家安全保障局の次長を務めてきた。その前には長年の外務省での安全保障関連の領域での勤務の体験がある。

以下は兼原氏と私の、国際関係における核兵器や核抑止についての意見の交換である。

古森義久(以下、古森):プーチンという一人の独裁者によって、第二次大戦後の安全保障体制は崩れ去りました。プーチンはウクライナへの核使用を辞さない構えを示唆しており、核戦力部隊の警戒態勢を引き上げています。冷戦後に勃発(ぼっぱつ)した紛争において、しかも戦闘中に非核保有国に核の恫喝(どうかつ)がなされたのは初めてのことです

兼原信克(以下、兼原):まさに独裁体制の本性が露わになりました。ロシア人の発想は19世紀のままなので、強ければ何をしてもよい、という弱肉強食の考え方をします。しかもプーチンは20年以上も権力の座にいるので、周りはイエスマンで固められ、耳の痛い話を伝える者もいません。

ロシアは核ドクトリンによって、核の先制攻撃を公言しています。ロシアの国土はアメリカの2倍近くあり、北極海の氷も解けていますから、北極海沿岸の防衛もしなくてはなりません。ロシアには90万人の軍隊がいますが、小型核を使わなければ広すぎる国土を守れません。今回はウクライナを一方的に侵略したにもかかわらず、核兵器をチラつかせたことにただただ驚きの念を禁じ得ません。

古森:核保有国による非核の国への核攻撃の恫喝は、核拡散防止条約(NPT)の本来の精神、その大前提の蹂躙です。しかしプーチンの核発言によって、NPT体制は実質的に無力化されてしまった。ところが、NPT体制を主導してきたアメリカ政府は沈黙を保ったままで、有効な手立てを打ち出せていません。

兼原:今回の戦争は、全世界に「ヤクザは鉄砲を撃てるが、警察は撃てない」という核の不都合な真実をつきつけました。核抑止は、敵対する国同士が通常兵器による攻撃から始まり、最後は核戦争になるので、初めから一発も撃つのをやめよう、と考える「相互確証破壊(MAD)」によって成立していた。しかし、MADは敵対する核保有国が互いにそう考えれば成立しますが、「俺たちは死んだっていい」という非合理的な判断をする独裁者が現れれば成立しません。

まさにプーチンは、核戦争を恐れずに核の恫喝というカードを切っているわけです。残念ながら、実際に相手が核を使うと言ったらどうするのか、核で恫喝されたらどうするのか、という議論はだれもしてこなかった。だからアメリカは、プーチンの核の恫喝に慎重にならざるを得ないのです。

 


(その2につづく)


☆この記事は月刊雑誌『WILL』2022年6月号掲載の古森義久、兼原信克両氏の対談
「核を防ぐのは核だけ」の転載です。

 

写真)赤の広場における戦勝記念日パレードの様子
出典)Photo by Contributor/Getty Images

トップ写真)集団安全保障会議におけるプーチン大統領 出典)Photo by Contributor/Getty Images




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