無料会員募集中
.政治  投稿日:2023/10/7

土光敏夫に学ぶ「利他の心」①「メザシの土光さん」のきっかけは


出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・行財税改革の旗を振り、国鉄民営化を実現した第二臨調会長土光敏夫。

・土光氏の生き方は一言でいえば「利他の心」。

・リーダー次第で、さまざま改革が実現できると確信

 

私は故郷、高岡市に戻って政治家になりましたが、そのきっかけをつくった人物がいます。土光敏夫です。土光と言えば、「メザシの土光さん」と知られ、行財税改革の旗を振りました。国鉄民営化などが実現したのも、第二臨調会長としての土光の手腕が大きく影響しました。

私は土光敏夫については生前お会いしたことはありませんが、数々の文献を読み込み、数多くの人を取材。その結果、「清貧と復興 土光敏夫100の言葉」(文藝春秋)を出版しました。戦後最も尊敬された経営者だったのです。企業業績を回復させただけでなく、その生き方に、多くの日本人が痺れたのです。私は、土光敏夫の考え方、生き方には熟知していると自負しています。土光だからこそ、さまざまな抵抗勢力を抑え込めたのです。土光の生き方は一言でいえば「利他の心」。利他の心とは、他人の利益を重んじ、自己をささげる心構えのことを言います。もともとは仏教用語で、京セラの創業者、稲森和夫も提唱しています。稲盛曰く、「利他の心で判断すると『人によかれ』という心ですから、まわりの人みんなが協力してくれます。また視野も広くなるので、正しい判断ができるのです」。

私は高岡市でも、「利他の心」が大事であり、それこそが改革の原動力になると、考えます。そこで、土光敏夫について、改めて、振り返ります。

「メザシの土光さん」と称されるきっかけとなったテレビ番組があります。1982年7月23日放映された、NHK特集「85歳の執念―行革の顔・土光敏夫」です。

質素な生活をしながら、行革を訴える姿勢をアピールするのが趣旨でしたが、最もインパクトがあったのは、VTRの最後の部分です。夫人と2人で食べる夕食の献立は、メザシと野菜の田舎煮、それに汁物と御飯だったのです。メザシを食べている土光の顔が大きく映し出されました。夫人とのつつましい生活を映像でとらえ、大反響となった。夕食のほかにも、読経のシーン、さらには50年間使っているブラシや、農作業着に使うため、拾ってきた土光の帽子などが紹介されました。

世間では一気に「メザシの土光さん」というイメージが広がったのです。質素な生活です。財界人と言えば、料亭や高級レストラン通い。そんなイメージを払しょくし、大胆な行政改革を実施できるのではないか。そんな期待感が出たのです。

土光は「個人は質素に社会は豊かに」という言葉を訴えていますが、まさに、自らは質素な生活を続ける一方で、豊かな社会を夢見たのです。それが、行財政改革だったのです。土光の生き方を追って、私はリーダー次第で、さまざま改革が実現できると、確信したのです。それが故郷に戻った理由になっています。

トップ写真:焼き魚(イメージ。本文と関係はありません)出典:Yusuke Ide/GettyImages




この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家

1964年富山県高岡市生まれ。

富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。


90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。


テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。


その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。


21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。

同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。

同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。

出町譲

copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."