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.政治  投稿日:2023/12/13

「高岡発ニッポン再興」その118 「グリーン車に乗るな」“師匠”の教え


出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・日銀出身で元セブン銀行の会長の安斎隆さん。

・「政治家になったらグリーン車には乗ってはだめ。大事なことは、市民と同じ目線に立つことです」

・「小さなことのようで小さなことではない」

 

今年も喪中のはがきが届いています。その中に、自筆で書かれたものがありました。安斎隆さんです。奥さんが亡くなったことなどを記述しながら、「戦争など許している場合ではい」と強調しています。安斎さんは日銀出身で元セブン銀行の会長で82歳です。私にとっては“師匠”ですね。私がテレビ局時代に高岡に帰って市長選に出馬すると相談すると、「生まれ故郷のために尽くすのは、素晴らしい決断。ぜひとも頑張ってください」とエールを送ってくれました。

私は喪中はがきをいただいたので、久しぶりに安斎さんと電話で話しました。奥さんはがんが見つかって1カ月で亡くなったそうです。そしてアドバイスしていただきました。「君も政治家になったんだね。グリーン車には乗ってはだめですよ。大事なことは、市民と同じ目線に立つことです。僕は頭取になっても社長になっても、新幹線ではグリーン車を使いません。グリーン車で早く到着するなら乗っていいが、到着時間は同じだろう」。

私は記者時代、セブン銀行のトップだった安斎さんと頻繁に会っていました。取材というより、“安斎節”を聞くためです。現場主義と率先垂範の姿勢に、共感したからです。安斎さんは東北弁丸出しでいつも笑顔を絶やしません。ちゃんこ鍋や焼き鳥など食べながら、お互いに日本経済、さらには世界経済の先行きなどを議論しました。

安斎さんは、千葉県我孫子市に住み、常磐線で電車通勤していました。通勤時間50分。大事な読書時間だといいます。会社の車は一切使いません。お客の訪問があると、セブン―イレブンの弁当でもてなします。接待費もほとんど使いません。高級な料亭ではなく、楽しい話で手作りの食事を食べるのが大好きでした。銀行の頭取クラスの会合が開かれたとき、会費を自腹で払っていたため、その後、会合に呼ばれなくなったそうです。

社長時代には、テーブルにお菓子を置き、20代、30代の若手と定期的に懇談を開いていました。「安斎塾」と呼ばれていました。

セブン銀行は、2001年にアイワイバンク銀行という名前で発足しました。イトーヨーカ堂とセブン―イレブンがつくったのです。日銀出身の安斎さんは発足時に社長に就任しました。当初は、コンビニのATM銀行は経営的に成り立たないという見方が主流でした。

アイワイバンク銀行は、提携した金融機関から手数料をもらいます。大事なポイントは、提携する銀行を増やすことです。安斎さんは、全国の金融機関に出向き、コンビニATMの利便性を訴えたのです。そして、金融機関にとっても、自分たちがATMを設置するより、経費を節約できるとメリットを強調したのです。トップセールスが実り、開業3年目で黒字となったのです。その後、コンビニATMは急拡大しています。

▲写真 イメージ(本文と関係ありません)出典:MIXA Co. Ltd./GettyImages

安斎さんといえば、もともと修羅場をくぐった日銀マンとして知られています。アジア通貨危機の時は、アジア担当理事。アジア危機が日本に波及しないように、さまざまな手立てを打ちました。

日本、いや世界が注目したのは、日銀の信用機構担当理事だった時の仕事ぶりです。当時、日本は金融不安の真っただ中でした。自民党は参議院で過半数を割り込み、「ねじれ国会」だったのです。 

安斎さんは、金融システム不安を払しょくするためには、大手銀行に公的資金の注入が必要と考えていました。そのため、与野党の政治家に根回ししました。日銀マンは、お公家集団と言われていましたが、安斎さんは異例の行動派だったのです。

そして、1998年10月、「金融早期健全化法」と「金融再生法」が成立したのです。銀行に公的資金を投入し、経営難の銀行を「一時国有化」することが可能となったのです。安斎さんは「マーケット全体の信頼を得るため、公的資金は必要」だと訴えたのです。そして、経営難だった日本長期信用銀行(長銀)は、特別公的管理を申請したのです。つまり経営破たんしたのです。

破たんした長銀のトップを引き受ける人はいません。安斎さんはその長銀の頭取になりました。その後、ATM銀行の社長となったのです。今は、セブン銀行の特別顧問を務めながら、東洋大学の理事長をしています。

「グリーン車に乗らない」。それは、「小さなことのようで小さなことではない」と安斎さんは言います。政治家は市民の信頼が第一なのです。私は安斎さんの教えを守って、政治活動に邁進します。

トップ写真:イメージ(本文と関係ありません)出典:Jeremy Lim /GettyImages




この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家

1964年富山県高岡市生まれ。

富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。


90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。


テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。


その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。


21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。

同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。

同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。

出町譲

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