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.国際  投稿日:2024/4/25

アメリカで相撲はクール!引退力士大活躍


柏原雅弘(ニューヨーク在住フリービデオグラファー)

【まとめ】

・曙関逝去、NYTが追悼記事掲載。

・4月に「WCS (World Championship SUMO:世界相撲選手権)」がNYで開催。

・相撲がここまでアメリカで人気になってきたのは、曙関によるところが大きい。

 

大相撲の元横綱の曙こと、曙太郎さんが亡くなった。

曙関は、外国人力士として初の横綱であり、アメリカ人であったこともあって、訃報はアメリカではスポーツメディアを中心に大きく伝えられたが、一般紙であるニューヨークタイムスではスポーツ欄以外で追悼記事が組まれ、その影響の大きさが感じられた。

▲写真 土俵入りをする曙関(1993年サンノゼ場所相撲大会にて、1993年6月4~5日 アメリカ・カリフォルニア州サンノゼ)出典:David Madison/Getty Images

実は今、アメリカで、相撲の人気が高まって来ていることをご存知であろうか。

曙関が亡くなった直後の4月13日。

ニューヨークのMSG(マディソン・スクエア・ガーデン)で「WCS (World Championship SUMO、世界相撲選手権)」という相撲のイベントが行われた。イベントには「地上最大のショー(THE BIGGEST SHOW ON EARTH)」というすごい謳い文句が付いている。

▲写真 試合会場MSG(マディソン・スクエア・ガーデン)前のイベントのディスプレイ(2024年4月 アメリカ・ニューヨーク市):筆者撮影

マディソン・スクエア・ガーデンといえば、かつてはニューヨーク最大のイベント会場で、歴史的なコンサートや、イベントが行われた場所としても有名で、そのような場所で、相撲のイベントが組まれたことは感慨深い。だが、断っておくと、今回のイベントは日本の大相撲とはまったく関係はない。

MSGのイベントには12人の「スモー・レスラー」が登場。予選に当たる6つの取組後、その日のうちに決勝戦まで進み、優勝者を決める、かなりエンターテイメントの要素が強いイベントだが、出場する12人のブラジル、ロシア、エジプト人レスラーらのリストの中に日本の大相撲力士の名前を見つけた。

大砂嵐若ノ鵬千代大龍

大砂嵐は、エジプト出身のイスラム教徒の力士と言うことで、話題になったことを思い出す。かち上げが得意手で、荒々しい相撲を取る印象だったが、現役引退後、現在は家族とともにニューヨーク市の郊外である、クリフトンというニュージャージー州の街に住んでいる。

大砂嵐は、アメリカでは「スモー・レスラー」としてファンの間でなかなかの人気だ。英語で砂嵐を意味する「サンド・ストーム」をリング名として名乗る。現在でも堂々とした体躯は他のレスラーと比べても、圧倒的に強そうに見える。横綱・照ノ富士と同じ、まだ32才。堂々と現役を張れる年齢だ。

MSGでのこのイベントを前にした週の各局テレビのモーニングショーに、大砂嵐が「イベントの広報」として出まくっていたのには驚いた。番組の中で、相撲の歴史や、相撲とは何か?を語る語り口はとても温厚で、柔和な表情も現役時代のイメージとはかなり違う印象だった。

若ノ鵬は、ロシア人力士で、2008年に大相撲を引退(前頭まで出世したが、不祥事で相撲協会を解雇。ちなみに、大砂嵐も引退を勧告されての引退)した力士であるが、大砂嵐と若ノ鵬の2人、このイベントでは、圧倒的に強い。他のレスラーを寄せ付けないようで、過去の同様の選手権でも、常に大砂嵐が優勝、若ノ鵬が準優勝、という具合である。

唯一の日本人レスラーである千代大龍は、大相撲で前頭まで務め、3人の中では一番最近まで現役であったが、イベントでは上記2人には敵わないようだ。もっとも、イベントは1日で優勝者を決めるので、日本とはずいぶん様子が違う。

▲写真 MSG前でメディアの写真撮影に応じる、大砂嵐、若ノ鵬、千代大龍(画面左の金髪の男性):CBSニュースの画面キャプチャ

かつては外国で「Sumo」といえば「脂肪の塊」が衝突し合う、アジアの奇妙な見世物、としか捉えられてしかいなかったが、今や相撲は、誰にでも分かる、究極のシンプルなルールと迫力が観客を魅了して、人気が高まってきているのではないかと感じる。

来る6月にはニューヨーク・ブルックリンの海軍の造船所の跡地で「Sumo x Sushi」という大規模なイベントが開かれる。

何のこっちゃ、と思うが、スシを食べながら相撲を観戦しよう、というもので、こちらのイベントには、かの「小錦」こと小錦八十吉氏がプロデューサー的な役割で参加している。ガチンコの相撲、というよりはエンターテイメントの要素が強いショーのようだ。ただし「Sumo x Sushi」に登場する「スモー・レスラー」はほぼ全員、日本の大相撲経験者で、出場力士のリストには「東桜山」「霧の若」「千代の真」「彩の海」「貴源治」などの名前がならぶ。

イベントで小錦氏はMCとして登壇、60才という年齢でさすがに取り組みは行わないものの、決まり手や、禁じ手などの実演を始め、より、相撲を楽しむための解説者的な役割を担っている。

チケットの値段だが、75ドル(1万1千円)〜$375ドル(5万7千円)で、観戦のみの75ドルのチケット以外には、弁当かスシに加えてアルコールがつく。さらに、追加料金を払えば、レスラーと一緒に土俵入り出来る、というチケットがあり、こちらは早々に売り切れるほどの人気である。

イベントは全米でもう10年以上行われているといい、今年はさらに全米で3回の興行が組まれている。

この様に、アメリカでは「Sumo」イベントは日本人が思うより頻繁に行われており、主催団体も多岐にわたって、ほぼ見分けがつかない。

ざっと今年のアメリカでの相撲イベントを調べてみたが、上記「WCS(国際相撲選手権)」「Sumo x Sushi」以外にも「US相撲オープン(今年は逸ノ城をゲストに迎え、24回目という!)」「全米相撲選手権(US Sumo National Championship)」「オール☆スター相撲」などに加え、ローカルのアマチュア相撲の大会も、数多くあり、その広がりは喜ばしく思うのだが、大相撲引退者も多く参加するこれらのイベントを、日本側はどう見ているのであろうか。

日本で相撲の国際化に最初に取り組んで、1992年に作られたのが「国際相撲連盟(ISF、Inteenational SUMO Federation)」であるといい、アマチュア相撲の普及振興を目指す日本相撲連盟、相撲の興行を行う日本相撲協会とは別の組織だ。

国際相撲連盟は相撲をオリンピック種目にすることも目指しており、それには世界的な相撲の競技人口の増加が必須であり、相撲が国際的に浸透して行くための活動をおこなっている。

MSGでのイベントを主催した団体は「International SUMO League(ISL、国際相撲同盟)と言って、名前が非常に紛らわしい。世界60カ国以上の国々から「最高のスモー・レスラー」を集めている、相撲の国際機関、という。

団体の会長ノア・ゴールドマン氏は「われわれは(日本の)相撲の伝統に忠実ですが、私たちの相撲は<相撲2.0>です。伝統的なルールを守りながら、相撲をより、クールなものにしています。」とメディアに語っており、相撲をより興行性が強いものにしようとしている意図がうかがえる。

事実、イベントでは日本の大相撲の様式的な部分は省かれ、どちらかと言えば、プロレス的な展開とノリで、スピード感を重視するアメリカではその方がマッチしてるのだろう。しかしながら「伝統を守る」ことは重要視し、ルールや決まり手は、大相撲に忠実であり、相撲の国際ルール標準化の主導権を握ろうとしているようにも見える。

相撲がここまでアメリカでも人気になってきたのは、初の外国人の関取で優勝までした高見山に始まり、大関まで上り詰め優勝した小錦、そして、横綱になって、11回もの優勝をした曙によるところが大きいのは間違いないだろう。

曙太郎さんの葬儀には、今でも健在の高見山こと、渡辺大五郎氏、小錦氏が駆けつけた。

先輩、師匠より先に若くして天に召された曙氏の功績は世界に燦然と輝き、長く語り継がれてゆくことと思う。

(以下引用、参考)

-曙太郎さんのNYTの訃報記事-

Sumo X Sushi

https://www.sumoandsushi.com

International Sumo Federation(ISF、国際相撲連盟・日本)

http://www.ifs-sumo.org/

International SUMO League(ISL、国際相撲同盟・米国)

http://internationalsumoleague.com

「ノース・ジャージー.com」から。ISL会長ノア・ゴールドマン氏の発言
https://www.northjersey.com/story/entertainment/2024/02/08/international-sumo-league-nj-abdelrahman-shalan-osunaarashi-kintaro/72328649007/

トップ写真:(左から)2位のソスラン・“ビッグ・ベア”・ガグロエフ、1位のオースナ・“サンドストーム”・アラシ、3位のルイ・“ザ・ハリケーン”・ジュニアが世界選手権相撲の決勝でトロフィーを手にする。2024年4月13日(アメリカ・ニューヨーク市マディソン スクエア ガーデン)出典:Roy Rochlin/Getty Images




この記事を書いた人
柏原雅弘ニューヨーク在住フリービデオグラファー

1962年東京生まれ。業務映画制作会社撮影部勤務の後、1989年渡米。日系プロダクション勤務後、1997年に独立。以降フリー。在京各局のバラエティー番組の撮影からスポーツの中継、ニュース、ドキュメンタリーの撮影をこなす。小学生の男児と2歳の女児がいる。

柏原雅弘

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