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.国際  投稿日:2025/1/15

国連幻想を解析する(下)明石康氏への非難


古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)

古森義久の内外透視

【まとめ】

国連は「平和の殿堂」などという呼称からはほど遠く、大量殺戮を防ぐ能力にも欠ける。

国連の最大目的である平和維持、戦争防止に関する失態の実例は米国で熱っぽく語られ、大規模な汚職も指摘されてきた。

・日本側でも改めて国連への幻想は捨て、実際の姿を知っておきたい。

 

国連自体の機能も日本側の期待からますますかけ離れた観がある。前述の日本非難の特別報告者たちを任命した人権委員会(2006年以降は改組改称して人権理事会)をみても、中国やキューバ、サウジアラビアなど自身が人権抑圧の実態を抱えた諸国が理事国となっている。自国への国連側の非難を抑えるための動きだといえる。

その人権委員会に日本政府は2003年4月、北朝鮮の日本人拉致を非難する決議案を提出した。ところがこれほど明白な人権弾圧についてもその非難に賛成したのは委員会加盟53ヵ国のうち半数ほどの28ヵ国に過ぎなかった。中国、ロシア、キューバ、ベトナムなど10ヵ国が反対し、他は棄権した。日本が悲願とする拉致問題の解決にも国連は渋々の同意なのである。

日本側にとって国連への対処でさらに注意しておく点がある。それは日本の慰安婦問題や報道の自由問題などの調査で国連側とうまく結びつき、日本の多数派を当惑させる活動や報告を導く日本の活動家の存在である。慰安婦問題で中国や韓国と同様の日本非難の立場をとり、国連にも同種の動きをとることへのロビー活動を手がけた実例では日本弁護士連合会の左派代表格の戸塚悦朗弁護士らの名が報じられている。日本の内部で体制に挑戦する政治勢力の国連利用だといえよう。

国連の最大の目的、つまり平和の維持、戦争の防止に関しても、歴史的な失態の実例がアメリカの政界や学界ではなお熱っぽく語られていることも報告しておこう。日本側でも改めて国連への幻想は捨て、実際の姿を知っておこうという点を再度、強調したい。

第一は1993年10月のソマリア内戦での米軍支援の失敗だった。

アフリカのソマリア首都モガディシュに米軍が介入した。内乱で虐殺を続けたソマリア民兵の首領を逮捕する予定だったが、大規模な反撃を受け、守勢に立たされた。激戦が数日も続き、米兵、ソマリア兵双方に数百人という死傷者が出た。

とくに戦死した米兵の死体はソマリア側により地上を引きずり回され、その実態はアメリカ国民に衝撃を与えた。時のクリントン政権はこの事件の残酷な展開にソマリア介入を止めてしまう。

問題はその地域に数千人単位の国連平和維持軍がいたのに、この激戦になにもしなかったことだった。パキスタンとマレーシアの両国軍隊から成る国連軍は米軍の支援、あるいは停戦の実施に動くべきだった。のちの国連当局による調査で平和維持軍の静観はミスだとされた。

第二は1994年4月のアフリカのルワンダでのジェノサイド(集団大虐殺)だった。

人口600万人ほどの小国だが、フツ族とツチ族とが対立を共存を繰り返していた。だが同4月、フツ族のルワンダ大統領が殺され、ツチ族の犯行だとみた多数派のフツ族が大規模な殺戮行動に出た。このツチ族への攻撃は100日ほども続いた。

その結果、ツチ族全体を抹殺するような勢いの殺戮となり、同族の死者はなんと80万にも達した。ルワンダ国民全体の7人に1人が殺されたわけだ。この大虐殺を現地にいた国連平和維持軍は止めることができなかった。というよりも止める意欲をみせなかった。

国連はその隣接の複数の国にルワンダ内戦をエスカレートさせないためのベルギー、チュニジア、ガーナの将兵計3000人ほどを平和維持軍として駐留させていた。しかしこの長期に及ぶ殺戮を制止できなかったのである。

第三は1995年7月のボスニア・ヘルツェゴビナでのセルビア軍によるイスラム系住民の大虐殺だった。

旧ユーゴスラビア連邦の解体で各共和国や諸民族が対立を険しくしていたバルカン半島で最有力国家でキリスト教系のセルビアがイスラム系のボスニアと戦闘状態に入った。優勢を続けるセルビア軍はボスニアのスレブレニツァという地域に半ば投降したイスラム教徒の男性住民10000人ほどを集めた。そしてそのうちの8000人以上を殺したのだった。

この殺戮は近代史でも悪名を高くしたスレブレニツァの大虐殺である。実はこの地域にも国連防御軍と呼ばれた部隊が駐留していた。それどころか虐殺の舞台となったスレブレニツァは国連軍の管轄下にある安全地帯ともされていた。だが大虐殺は起こった。

現地付近にいたオランダなどの国連軍は虐殺を止められなかった。さらにこの地域を管轄下においていた北大西洋条約機構(NATOのアメリカ空軍はセルビア軍に空爆を加えて、虐殺を阻止しようとも試みた。ところが現地の国連軍に止められた。この地域のNATO軍は現地の国連防御軍の指揮下に入っており、その国連軍の最高責任者がその空爆を許さなかったのだという。

その責任者が日本の明石康氏だった。私はこの当時の詳しい状況を事件から8年後のワシントンでのシンポジウムで改めて聞いた。アメリカの当時の国連大使だったジーン・カークパトリック女史らの回顧の証言だった。同女史は「アカシ」と実名を何度もあげて、明石氏の空爆許可さえあれば大虐殺は防げた、と強調した。

国連自体の大規模な汚職も指摘されてきた。

1995年に国連が始めたイラクのための「石油・食料交換プログラム」をめぐる不正もその実例だった。このプログラムは湾岸戦争で敗れ、困窮したイラクの国民救済のために国連がイラクの石油を管理し、その販売金で食料を買って、イラク国民に配給するという骨子だった。その予算は総額640億ドルにも達した。

しかしそのうちの200億ドルもが不正に流用されていたことが国連自体の調査で判明した。国連事務次長の1人までがその不正にかかわっていたことが公表された。

さらに古い事例だが、国連の専門機関ユネスコ(国連教育科学文化機関)での不正も全世界に伝えられた。この機関の最高責任者の事務局長に1974年、アフリカのセネガルの教員出身アマドゥ・マハタル・ムボウという人物が就任した。以来、10数年、ムボウ事務局長は公的資金の流用や縁故人事など大規模な不正行為を働いた。国連当局がユネスコ本部に監査を実施しようとすると、同本部は不振の火災が起きて、ほぼ全焼した。アメリカ政府はこの不正に抗議してユネスコを脱退したほどだった。

以上のように国連は「平和の殿堂」などという呼称からはほど遠いのである。大量殺戮を防ぐ能力にも欠けるのだ。日本での国連認識は現実をまずみてから決めねばならないのである。国連への幻想は捨てねばならないのだ。

*この記事は月刊雑誌WILLの2025年1月号に掲載された古森義久氏の論文を一部、書き直しての転載です。

トップ写真:スレブレニツァ虐殺(1995年7月11日)から10周年を祝う大規模な葬儀準備の様子。スレブレニツァ、ボスニア・ヘルツェゴビナにて 出典:Marco Di Lauro/Getty Images

(終わり。こちら




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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