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.政治  投稿日:2024/12/19

2024年の沖縄政治を振り返る(上)宜野湾市長選挙と総選挙


目黒博(ジャーナリスト)

目黒博のいちゃり場

【まとめ】

・9月8日投開票の宜野湾市長選挙で、「オール沖縄」が惨敗した。

・総選挙では自民党が優勢と見られたが、「2,000万円支給問題」によって失速した。

・小選挙区と比例復活で自公と「オール沖縄」は互角だったが、票の分散が結果を左右した。

 

10月27日の総選挙で、自公が過半数割れとなり、国内政治が流動化している。一方、米国大統領選挙で過激な発言を繰り返すトランプ氏が再選された。中国経済の低迷、北朝鮮のロシアへの急接近、韓国政治の大混乱も重なって、沖縄の将来の鍵を握る日米関係と東アジア情勢の先行きは不透明だ。

沖縄県内では、基地問題をめぐって激しい対立が続く。しかし、物価高や家賃高騰に苦しむ県民は政治的な論争に辟易しているようだ。今回の総選挙では棄権が続出し、投票率は初めて50%を切った。

本稿では、2024年の後半に実施された宜野湾市長選挙と総選挙の結果を、2回に分けて考察する。(上)では、市長選と総選挙1区から3区の結果を概観する。(下)では、本島南部と離島を含む4区の「オール沖縄」分裂と、ミニ政党と下地幹郎氏らが見せた存在感の背景を探る。

なお、本年6月16日に行われた県議会議員選挙については、8月6日にJapan In-depthに掲載された拙稿「県議選・米兵犯罪・死亡事故で揺れる沖縄政治」(https://japan-indepth.jp/?p=83773)で述べたので、省略する。

▲写真 衆議院議員選挙 沖縄県小選挙区別地図 出典:沖縄県HP

<宜野湾市長選挙で「オール沖縄」陣営が惨敗した>

本年9月8日に投開票された宜野湾市長選挙で、自民党と公明党が推薦した辺野古容認派の佐喜眞淳候補が24,000票余りを得て当選。辺野古反対派「オール沖縄」系の桃原功(とうばる・いさお)候補は、約8,000票差をつけられ、大敗した。

▲写真 佐喜眞淳宜野湾市長 出典:同市HPようこそ市長室

この選挙は、保守系の松川正則市長(当時)の急死(7月26日)に伴う超短期決戦であった。自公側にとっては「弔い合戦」であり、士気が高く、「オール沖縄」勢力に勝機はなかった。

佐喜眞候補は2012年から18年まで市長を務め、2期目の途中で知事選に出馬し、落選している。その後、2022年にも知事選に挑戦し、再度落選した経験を持つ。

同候補の市長選への再挑戦については、知事選立候補のために市長2期目の任期途中で辞任した経緯があり、「元市長」による「出戻り」との批判もあった。しかし、佐喜眞氏は知事選に挑戦してきた大物である。他方の桃原氏は市議を8期27年務めたベテラン議員ではあるが、格の違いは明らかだった。

また、「オール沖縄」は、本年6月16日の県議会議員選挙の宜野湾市区で社会民主党と立憲民主党が候補を立て、革新・リベラル票を奪い合って、ともに落選。2021年2月、社民党が分裂し、党員の半数以上が立民党に移籍して以来、両党の連携は難しくなっていたが、県議選での同士討ちによって関係がさらにこじれた。

「オール沖縄」を支える主要政党間の関係悪化は、低迷する陣営に追い打ちをかける。陣営のまとまりが欠け、当選の目途が立たないまま、桃原氏は敢えて出馬した。「オール沖縄」の不戦敗を避けるために。

玉城デニー知事は、3回宜野湾市入りするなど、桃原候補を全面的に支援する体制をとったかに見えた。だが、投開票日の当日、桃原氏の選挙事務所には、知事の姿はなかった。実は、開票を待つことなく、玉城知事は米国訪問へと旅立ったのだ。

これまで、重要な選挙では、知事は、必ず陣営の選挙事務所で候補者とともに開票作業を見守ってきた。だが、玉城氏は選挙敗北の瞬間を見たくなかったのだろう。事務所で寂しく落選の現実をかみしめた桃原氏。知事の行動は、桃原候補を応援した人々には後味の悪いものだった。

宜野湾市長選での敗北は、「オール沖縄」に重くのしかかる。宜野湾市には海兵隊の「普天間飛行場」があり、その移設先は、名護市の「辺野古区」である。つまり、宜野湾市と名護市は、「オール沖縄」の原点である「普天間辺野古」を抱える「地元」そのものだ。

ところが、同陣営は、今回の宜野湾市長選で2012年以来5連敗となり、名護市長選でも2018年以来2連敗している。両市での市長選連敗は、陣営が掲げてきた「地元の民意」という主張の根拠が揺らいでいることを示す。

30年近い運動による疲労の蓄積、活動家の高齢化、辺野古移設阻止を訴えた裁判闘争での沖縄県の敗訴、工事の進捗。他方、コロナ禍、オーバーツーリズムや過剰投資による地価高騰に物価高が重なり、多くの県民は生活苦にあえぐ。辺野古反対を声高に叫ぶ、「オール沖縄」に対する人々の視線は冷ややかだ。

<総選挙では「オール沖縄」が善戦したかに見えるが、、、>

10月27日に投開票された総選挙の結果を見ると、沖縄では、小選挙区で自民2、「オール沖縄」2、比例復活は自民2、「オール沖縄」2であり(他に、比例単独で公明1)、互角であった。自民党への逆風が吹き荒れた本土とは異なり、当初、県内では自民が優勢と見られていた。だが、結果を見る限り、「オール沖縄」が踏みとどまったと言える。

事前予想を覆した選挙結果の背景には「2,000万円問題」があった。裏金問題で党公認を得られなかった無所属候補の自民党支部に党本部が巨額の政治資金を支給していた事実は、投票日の直前、10月23日に共産党機関紙『赤旗』によって暴露され、自民党への不信感が強まった。

沖縄では該当するケースがなかったため、本土ほど大きな影響はなかったが、自民党関係者によると、選挙戦の最終盤で勢いがなくなったという。

他方、自公と対決する「オール沖縄」陣営もまた、退潮傾向に加えて内紛を抱え、協力体制を築けなかった。かろうじて「引き分け」に持ち込んだにすぎず、後退の流れが止まったわけではない。

以下、総選挙の沖縄1区~3区の結果を見てみよう。

<1区と2区では自民は苦戦した>

那覇市を中心とした1区では、赤嶺政賢候補が追い上げムードの國場幸之助候補に、8,000票近くの差をつけて勝利した。全国で共産党唯一の小選挙区での議席を守ったのだが、実情は「辛勝」であった。

▲写真 赤嶺政賢候補(中央)出典:同候補事務所提供

國場氏は、知念覚那覇市長や経済界など保守本流の支持を得た。加えて、以前はまとまりを欠いた國場組グループや、かつては故翁長雄志前知事を支えた有力企業グループ「金秀」などの応援もあり、赤嶺氏と接戦を演じると思われた。國場候補本人も手ごたえを感じる流れであった。

▲写真 國場幸之助候補当確で喜ぶ候補者と支持者(2024年10月27日深夜)出典:同候補事務所提供

ところが、選挙戦最終盤に「2,000万円問題」が発覚し、支援者の動きが鈍る。保守系から中道にまたがって固い支持基盤を持つ下地幹郎氏が、29,000票獲得したことも痛手であった。参政党が奪った保守票の9,000票は、國場氏と共産党の赤嶺氏との差8,000票より多く、致命傷になったと言える。國場氏は、今回も悲願の小選挙区当選はかなわなかったが、九州比例4位で復活した。

赤嶺候補の得票は、前回より約11,700票も減った。同候補の当選は、保守票の分散に救われたものである。共産党と「オール沖縄」の支持層の先細りは深刻だ。れいわ新選組との軋轢もマイナスになった。この点については、本稿の(下)で述べる。

沖縄県の2区は、浦添市や宜野湾市、中部西海岸、同西海岸である。伝統的に革新系が強かった選挙区である。

「オール沖縄」が推す社会民主党公認、新垣邦男候補は背水の陣で戦った。社民党の衰退で、比例復活が望めなかったからだ。実際の得票は61,000票余り。自民党公認の宮崎政久候補に約14,000票の大差をつけ、社民党全国唯一の衆議院の議席を守った。

▲写真 当確時の新垣邦男氏 出典:同氏事務所提供

新垣氏は、典型的な革新系ではない。北中城村長を4期務め、行政手腕には定評がある。さらに空手七段で、空手道振興会理事長も務めるなど、関心の幅が広く、保守層にもファンが多い。余裕をもって当選したのもうなづける。

一方の宮崎氏は、企業法務に詳しく、県内の有力企業の顧問を務める弁護士である。同候補は、日本維新の会公認の赤嶺昇・県議会議長と参政党の今野麻美候補に、保守票を大量に奪われ、苦戦を強いられた。赤嶺氏は自身の基盤である浦添市を中心に約23,000票以上、今野氏も約12,000票を集めたうえに、「2,000万円問題」もあり、宮崎氏は約47,000票にとどまった。選挙区では落選したが、同氏はしぶとく比例九州の最下位で復活した。」

▲写真 比例復活で挨拶する宮崎政久衆議院議員(2024年10月28日)出典:同議員Facebook

<3区は思わぬ接戦になった>

中部から北部に広がる3区では、自民党公認の島尻安伊子候補と、立憲民主党公認で「オール沖縄」が推す屋良朝博候補との対決は、激戦になった。屋良氏は軍事や基地問題を専門とする元ジャーナリストで、経済や生活への関心は薄いとのイメージが強かった。対照的に、島尻氏は、早くから「子どもの貧困」問題に警鐘を鳴らし、沖縄担当大臣時代に子育てや妊産婦の支援策を実現してきたので、同氏が優勢と見る人が多かった。

▲写真 島尻安伊子候補(2024年10月19日 名護市)出典:同氏Facebook

▲写真 比例復活で当選した屋良朝博氏 出典:屋良事務所提供

だが、選挙戦最終盤で表面化した「2,000万円問題」で島尻陣営は推進力を失う。また、この選挙区でも参政党の新城司候補が12,000票以上保守層に食い込み、島尻候補の苦戦の原因となった。さらには、県外(仙台市)出身で、南部の那覇市の市議だった島尻氏の経歴などから、北部では「よそ者」だと考える人もいたと言われる。

また、同氏は、沖縄選出の自民党国会議員の中で、いち早く辺野古移設容認を打ち出しただけでなく、菅義偉元首相のお気に入りであることで、反感を抱く人も少なくない。菅氏が、辺野古移設を「粛々と進める」と無神経に発言し、沖縄の困難な歴史を軽視する態度を見せたためだ。

反面、主婦の感覚を前面に打ち出して、「若年妊産婦の居場所」を設けるなど、地道に実績を積み上げ、若い層や女性たちの共感を呼んだ。

大票田の沖縄第2の都市、沖縄市では島尻候補は屋良候補に大きなリードを許した。玉城知事と立民党県連代表の仲村未央県議の地元であるためと考えられる。逆に、北部では嘉陽宗一郎氏を中心とした若手の名護市議たちが活発に動き、名護市長や地元選出県議との連携も機能した。夫が名護市出身であることもプラスになって、北部で票を伸ばし、小選挙区での連続当選を勝ち取った。

屋良氏が島尻氏を約1,800票差まで追い上げ、比例復活を確実にしたことは、政界関係者の間で意外な結果と受け止められた。というのも、もはや名護市民の間でさえ「辺野古問題」への関心が薄れ、基地問題の専門家である同氏への評価が低かったからだ。

接戦になった要因は今でも不明だが、米軍基地が集中する沖縄本島中部から北部にかけては、辺野古問題への諦めムードが広がるとは言え、国のこの問題の進め方に依然として不満がくすぶる、との指摘がある。

一方で、島尻氏を追い詰めたからといって、反辺野古勢力も喜べない。屋良候補が集めた票は前回選挙より約9,000票減り、「オール沖縄」の支持が縮小しているからだ。

(続く)

トップ写真:海兵隊普天間航空基地の滑走路停まっているMV-22オスプレイ機(2018年5月31日沖縄県宜野湾市)出典:Photo by Carl Court/Getty Images




この記事を書いた人
目黒博ジャーナリスト

1947年生まれ。東京大学経済学部(都市問題)卒業後、横浜市勤務。退職後、塾講師を経て米国インディアナ大学に留学(大学院修士課程卒)。NHK情報ネットワーク(現NHKグローバルメディアサービス)勤務(NHK職員向けオフレコ・セミナー「国際情勢」・「メディア論」を担当)、名古屋外国語大学現代国際学部教授(担当科目:近現代の外交、日本外交とアジア、英文日本事情)、法政大学沖縄文化研究所国内研究員などを歴任。主な関心分野:沖縄の「基地問題」と政治・社会、外交・安全保障、日本の教育、メディア・リテラシーなど。

目黒博

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