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.社会  投稿日:2014/8/5

<人を殺したいという欲求は罪なのか>普通の人が感じない欲求を感じている人は異常か?正常とは何か?


為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

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佐世保の事件で少女の供述が少しずつ明らかになってきている中で、所謂「普通の動機」、恨みや怒り等が動機ではない可能性も出てきている。全く屈託なく殺害したもしくは快楽の為に殺害したとすると、私達は何かを根本から考えないといけないのではないか。

罪というのは何なのかを考える。

例えば小児愛を持った男がいる。もし仮に何か行動を起こせば罪を犯したと言える。でもその欲求を抱えながら社会の常識の中で生きている場合、彼は何か罪を犯しているのだろうか。彼の欲求は直されなければならないのか、またそれは可能か。

今はわからないけれど私達の頃の道徳の教育は「どう感じるか」を中心に行われていた。その際にずっと感じていた疑問は、「どう感じるか」を人は果たして「コントロールできるのか」、「教える事は可能なのか」という事だった。ただ人は感じるだけではないかと。

普通の人が感じない欲求を感じている人は異常なのか。正常とは何なのか。

異常であるから正常になおすという事は、果たして本当に可能なのか、また許されるのか。昔、同性愛の方に治療が行われていた時代もあった。普通ではないからという理由で。

罪は感じ方ではなく行動にあるのだと思う。許されない感じ方ではなく行動があり、その行動をどう抑止するか。日本語で伝えれば、日本語がわかる人にはよくわかり続け、わからない人にはずっとわからない。違う世界を生きている人もいる。

人はわかり合えない。人の心もわからない。だけれど許されない行動というものがあり、その枠組みで生きていく必要がある。人を変えるのではなく、人生をどうやり過ごしていくか。演じ方を教える事が大切だと私は思う。

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