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.国際  投稿日:2025/3/3

米俳優ジーン・ハックマンさんの死と映画の衰退


古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授) 

古森義久の内外透視」 

【まとめ】

アメリカの大映画俳優ジーン・ハックマン氏が自宅で死体となって発見された。

地元警察の初動捜査の結果、「疑惑」が指摘され、本格的な事件捜査が始まった。

ハックマン氏の代表作は「フレンチ・コネクション」。

 

アメリカの大映画俳優ジーン・ハックマンが死んだ。95歳だった。この俳優の映画界での実際の活躍を知る人間ももう少なくなっただろう。だがアメリカではなお彼の死は大ニュースとなっている。ハックマンの活躍があまりにめざましかったからだといえよう。伝説の映画スターだったのだ。そして彼の名作映画は時代を越えて、残っている。

私自身もハックマンの代表作「フレンチ・コネクション」に陶酔した記憶はなお鮮明である。映画全体、いや、とくにアメリカ映画の黄金時代だった。ただしもう半世紀以上も前の1970年代の話である。

ジーン・ハックマンはほかにも数えきれないほどの映画に出演した。その合計は90本近いという。

正義感にあふれる刑事、悪徳の政治家、策謀にたけるビジネスマン、悪逆の犯罪者、喜劇のコメディ的人物・・・・その配役は多種多様だった。だがどの映画でもハックマンが出てきたとたんに、空気が一変する強烈なプレゼンス(存在感)があった。

▲写真 ジーン・ハックマン 映画「フレンチ・コネクション」出典:FilmPublicityArchive/United Archives via Getty Images

ハックマン氏は2月26日、ニューメキシコ州サンタフェの自宅で死体となって発見された。妻のクラシック・ピアニストのベッツィ・アラカワさん(64)も遺体となっていた。夫妻が飼っていた犬3頭のうち1頭も死んでいた。当初はガスなどの事故あるいは病死とされたが、地元警察の初動捜査の結果、「疑惑」が指摘され、本格的な事件捜査が始まったという。

サンタフェというのは私も数回、訪れたことがあるが、全米でも有数の風光明媚、美しい高原や山地である。私は1980年代、毎日新聞のワシントン駐在特派員だったが、それより以前のアメリカ留学時代に親しくなったアメリカ人の友人がサンタフェ近くのロスアラモスという地域の国立研究機関で働いていて、彼をときおり訪れたのだった。この研究所はかつて最初の原子爆弾を製造した機関で、広島に投下された爆弾のレプリカも展示されていた。その近くにあるサンタフェはいまでは工芸や美術の中心として知られる。

ハックマン夫妻の邸宅は高台の広大な建物で、隣には牧場があるという情景がテレビでも何度も映されていた。ハックマン氏は映画界からの引退を2008年に公式に表明し、ベッツィ夫人と2人でこのサンタフェの邸宅に住んでいた。最近では彼は小説を書いていたという。

▲写真 ジーン・ハックマンとベッツィ・アラカワ(1986年)出典:Donaldson Collection/Michael Ochs Archives/Getty Images

アメリカの映画界でよく使われる「性格俳優」という言葉もハックマン氏の銀幕での活躍がその由来に近いとされる。アメリカ映画でのスターとされる俳優は年来は外見がスマートで優雅、いわゆる女性にもてる二枚目が主役だったが、このカテゴリーに当てはまらない俳優が人気を集めるようになった。一見、それほどハンサムでもなく、ごつごつとして乱暴、したたか、悪徳をも感じさせるようなタイプだった。ジーン・ハックマン氏はまさにこの範疇の俳優として「性格俳優」と呼ばれ、人気を高めたのだ。同様の「性格俳優」とみなされたのはアル・パチノ、ダスティン・ホフマンなどだった。

ハックマン氏が多様で底深い演技を展開した背景には彼自身の波乱に満ちた半生があった。

1930年にカリフォルニア州で生まれたハックマン氏は中西部のイリノイ州で育った。父親は地元の新聞社の印刷工だった。だがこの父は酒乱気味で夫婦仲も悪く、ハックマン氏が13歳のときに、家族すべてを捨てて、失踪してしまった。その父親が車を運転して、家を去る際に息子のハックマン氏を視野にとらえ、簡単に手を振った。その手の振り方で同氏はもうこの父は絶対に戻ってこないと実感し、人生観を変えるほどの衝撃を受けたという。

その後、ハックマン氏はアルコール中毒になった母親とも別れ、16歳のときに、みすから志願して海兵隊に入隊した。年齢を偽っての入隊だった。海兵隊員としては中国の青島に駐屯した。アメリカに戻って、

除隊してからの彼はトラックの運転手、ホテルのドアマン、飲食店の給仕などいろいろな職を転々とした。

そして20代の後半から俳優を目指し、演技を学び、芽を出していった、とされている。

しかしなんといってもハックマン氏の代表作は「フレンチ・コネクション」だった。1971年に公開されたこの映画は周知のように、ニューヨーク市警察の熱血刑事のジミー・ドイルが主人公だった。通称ポパイと呼ばれたこの刑事を演じたのがハックマン氏で、映画はアメリカだけでなく、多くの諸国で爆発的な人気を博した。日本でも超人気だった。

実際の事件や捜査に基づくというこの映画はフランスからニューヨークへ密輸される麻薬のヘロインの行方を追うポパイ刑事と米仏両国にまたがる犯罪組織の闘いの物語である。文字どおり手に汗を握る追跡や格闘のシーン、そしてその背景の欧米での麻薬の広がりという社会課題、さらになによりもハックマン氏の演じるポパイ刑事の魅力が国際的な人気を爆発させた。

私自身も東京でこの映画を観て、すっかり夢中になった。なにしろ現実的な迫力なのである。本当にありそうな物語が息をもつかせずに超スピードで展開する。中心はポパイ刑事の悪をあくまで追い詰めるダイナミックな活動がとにかく観客を夢中にさせてしまうのだ。この映画はすぐに数々の分野でアカデミー賞に輝いた。ハックマン氏も初の主演男優賞を受けた。

思えば、この時期のアメリカ映画はすごかった。「フレンチ・コネクション」の公開の翌年の1972年に登場したのが「ゴッドファーザー」だった。そしてやがてはベトナム戦争関連の「地獄の黙示録」や「ディア・ハンター」という名作にもつながっていく。もう半世紀も昔の話ではあるが。

それにしても現代の映画はどうしたのかと、いぶかってしまう。アメリカでも、日本でも心を揺さぶるような作品にはお目にかからないのだ。とくに日本映画の迫力、活力の衰えはひどい。なぜなのか。映画という媒体自体がもういまの社会の現実からは遊離してしまったのか。あるいは映画を作る側の発意や発想が枯れてしまったのか。ジーン・ハックマンという伝説の俳優の死を機に、こんな思いにも襲われるのだった。

トップ写真:サンタフェ郡保安官アダン・メンドーサ氏(2月28日、記者会見)出典:Sam Wasson/Getty Images




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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