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スポーツ  投稿日:2025/11/26

ステフィン・カリーとアンダーアーマーの“蜜月”終幕がもたらした変革 大谷翔平ブランド誕生への予兆か……


松永裕司(Forbes Official Columnist)

【まとめ】

・ステフィン・カリーとアンダーアーマーの提携終了は、「ブランドに属するアスリート」という構図を超え、アスリートがブランドそのものを所有する新時代の到来を象徴。

・「カリー依存」の限界に直面したアンダーアーマーは、原点であるパフォーマンス重視へ回帰し、日本市場でも“機能性”を軸とした再起を図ろうとしている。

・この構造転換は、大谷翔平のようなスーパースターが自身の名を冠した独立ブランドを立ち上げる可能性を強く予感させる転換点となった。

祇園精舎の鐘の声、盛者必衰の響きあり……とはやや大仰ではあるものの、バスケットボール・シューズでさえ、時代の流れがある。昔の若者にとって「バッシュー」と言えば、コンバースの「オールスター」。「オールスター」の凄さは、NBAさえ知らない日本市場の購買層まで一世風靡した点にあった。その後、アディダス、プーマが市場を席巻するが、バスケット・シューズと言ったら「NIKE」となったのは、バスケ界のG.O.A.T.マイケル・ジョーダンの大活躍による。代名詞“エア・ジョーダン“ともなれば、そのシリーズは、もはやコレクターズ・アイテムだ。ジョーダンとナイキのコンビ結成秘話は、映画『AIR』に詳しいので、ご存知ない方は、ぜひ鑑賞されたし。現在唯一の現役NBAプレーヤー、ロサンゼルス・レイカーズの八村塁が使用するのも「ジョーダン・ブランド」。しかしナイキ全盛のバスケ界に風穴を開けたのは、ステフィン・カリーとアンダーアーマーだろう。

もちろん、と言ってはなんだが、カリー自身も2009年からの4年間、NBAキャリアの黎明期はナイキと契約していた。しかし、ジョーダンのように自らのブランド・シューズが欲しいと提案したカリーに対し、ナイキはこれを否定。バスケ界ではまだまだマイナー、“アンダードッグ“だったアンダーアーマーが、これを機にカリーにプレゼンを敢行。カリーは2013年にアンダーアーマーへと移籍、その蜜月をスタートさせた。ナイキがジョーダンと契約した際のインパクト並みに、アンダーアーマーのバスケ部門は爆裂。「カリー1」の発売シーズンに、カリーが所属するゴールデンステート・ウォリアーズが初めてNBA王者となったタイミングも手伝い、アンダーアーマーの売り上げは14年の約30億8,440万ドル(約4794億円)から、15年の約39億6,330万ドル(約6160億円)と10億ドル近くも売り上げを伸ばすに至った。

その後の蜜月は、バスケファンならずとも知るところだろう。20年にはジョーダン同様「カリーブランド」として独立ラインが立ち上がり、バスケ関連のみならず、カリーの趣味であるゴルフウェアなども送り出している。NBA選手としては、小柄ながら正確無比の3ポイントシュートを連発するカリーは日本市場において特に人気を誇り、22年にさいたまスーパーアリーナで開催されたウォーリアーズ対ワシントン・ウィザーズのNBAジャパンゲームズにおいて、カリーのユニフォームは早々にソールドアウト。当時、ウィザーズに所属、凱旋帰国を果たした八村をして「(カリーへの声援がすごくて)まったくホームじゃない感じです」と言わしめるほど。この大会期間中、プレスルーム隣の廊下で縄跳びを重ね、シーズン前に身体作りをするカリーに出くわしたが、規格外の大きさを誇るNBA選手と比べ、身長178センチの私から見ても「けっこう背の高い日本人」ほどの大きさで細身の彼には(188センチ)、親近感さえ抱いたものだ。この大会を契機に、アンダーアーマーのサポートもあり、東京・天王洲アイルにはその名を冠した「カリー・コート」まで登場。アマチュア・バスケ・プレーヤーの歓心を誘った。

だが、その蜜月も終幕を迎える。25年11月、両者が13年間にわたる蜜月関係に終止符を打つと発表した。一生アンダーアーマー・ユーザーかと思わせたカリーによる終幕ニュースも衝撃ではあったが、さらにたまげたのは、その「条件」。カリーは、アンダーアーマー傘下で育て上げたカリーブランドの単独所有権を保持したまま、同社を去るという契約だ。つまり、彼は自身のブランドをキープしたまま、独立しビジネスを営むことができれば、またナイキであれ、アディダスであれ、新たなパートナーと手を組むことが可能なのだ。

これは「ジョーダンブランド」がナイキから独立するようなもの。従来のブランドとアスリートという力学では考えられない事態だ。これは双方の関係性にドラスティックな変革をもたらした証でもある。

「カリーありき」の限界と、創業者プランクの苦渋の決断

「ステフィンのいないアンダーアーマーは想像できない」。

創業者であり現CEOのケビン・プランクがそう語ったのは23年のこと。わずか2年前だ。当時、カリーはアンダーアーマーと長期延長契約を結び、カリーブランドのトップに就任したばかり。誰もが、カリーはアンダーアーマーの「生涯の顔」になると信じていた。しかし、ビジネスは甘くなかった。カリーという稀代のスーパースターを擁しながらも、アンダーアーマーの業績は低迷。CNBCの報道によれば、売上高は4四半期連続で減少。かつてナイキを脅かす「第2の勢力」と言われた勢いは見る影もない。

プランクが直面したのは「カリー頼み」の限界だった。カリーブランドは確かに若年層へのリーチに貢献したが、それ以外のビジネス——一般のアスリートやジムユーザーに向けたパフォーマンスウェア——が、On(オン)やHOKA(ホカ)といった新興勢力に侵食され続けていた。

今回の契約解消は、プランクによる「外科手術」とも揶揄される。再編計画には2億5500万ドル(約380億円)ものコストがかかると試算されているが、それでも「コアなアンダーアーマー・ブランドへの集中」を選んだ。ブランドの原点であるアスリートの「パフォーマンス向上」に向けてのリソース全集中を選択した。

一方のカリーにとって、この結末は何を意味するだろうか。カリーは13年、ナイキの提示額よりも低い条件で、当時まだ「挑戦者(アンダードッグ)」だったアンダーアーマーを選んだ。彼は、ブランドと共に成長し、自身のシグネチャーラインを確立、ついにはそのブランドの所有権を持って卒業する。これは、アスリートが単なる「広告塔」から「ビジネスオーナー」へと進化を遂げた現状を意味する。スポーツビジネス史に残るマイルストーンとなりかねないインパクトだ。カリーは、「カリーブランド」という知的財産(IP)を武器に、シューズだけでなく、アパレル、テック、さらにはGoogleとの提携に見られるようなAI製品に至るまで、自身のビジネスエコシステムを自由に拡大できるのだ。

26年2月に発売される「カリー 13」が、アンダーアーマー製としての最後の一足。スニーカー・コレクターたちの間では、既にこの「ラストダンス」モデルが伝説的なプレ値をつけることが確実視されているが、カリーの視線はその先にある。彼が次に選ぶパートナーがどこであれ、その契約は「スポンサー契約」ではなく、「ジョイントベンチャー(共同事業)」などという起業形態になると予想される。

日本市場への影響……Show Timeブランドの誕生へ?

このニュースは日本市場にも少なからぬ波紋を広げる。アンダーアーマーは日本市場で独特の地位を築いてきた。株式会社ドームによる巧みなマーケティングにより、「アスリートの能力を最大限に引き出すギア」として、特に野球やアメリカンフットボール、そして「部活動」に励む学生たちから絶大な信頼を得てきた。

しかし、近年はその「ガチなスポーツブランド」というイメージが、ライフスタイルやファッション性を求めるトレンドと乖離しつつあり、カリーブランドは、そのギャップを埋めるツールでもあった。バスケットボール人気の高い日本の若年層にとって、カリーのシューズはアンダーアーマーを履く最大の理由の一つだったからだ。カリーの離脱は、日本のアンダーアーマーにとって短期的には痛手に違いない。特にバスケ・カテゴリーの求心力低下は避けられない。

だが、長期的にはチャンスにもなり得る。プランクCEOが掲げる「原点回帰」は、日本のユーザーがアンダーアーマーに求めているモデルと合致するからだ。機能性、耐久性、そしてパフォーマンスへの執着。「ピチピチのコンプレッションウェア」に象徴される、あの硬派なアンダーアーマーの復権こそが、OnやHOKAといった「おしゃれで機能的」な新興ブランドに対抗する差別化要因かもしれない。

日本市場においては、大谷翔平や八村塁といったアイコンを擁する競合他社に対し、アンダーアーマーは「商品力」と「チーム(部活)への浸透力」で勝負に回帰する。カリーという飛び道具(3ポイントシューターだけに)を失った今、同社は再び、泥臭い「アンダードッグ」として、グラウンドや体育館のシェアを奪い返しに行くのか、その動向は見ものである。

13年前、カリーとアンダーアーマーは、共にゴリアテ(ナイキ)に挑むダビデとして市場に殴り込んだに等しい。そして、その戦いにおいて勝利の女神ニケ(つまりナイキ)が微笑んだのは、ダビデだったというアイロニーも見られた(※「Nike」は元々、ギリシャの勝利の女神ニケ・Nikeの名、それが米語読みでは「ナイキ」と発音されているのは、ご存知の通り)。しかし26年から両者は袂を分ち、それぞれ再スタートを切る。両者の勝利の置き土産は、「ブランドとアスリートの関係性における変革」として良いだろう。

かつて、スポーツ界における「契約」とは、ブランドがアスリートを所有することを意味していた。しかし、NBAの革命児ステフィン・カリーは、その古い常識を、彼の代名詞である3ポイントシュートのように軽々と射抜いてみせた。現在、NBAプレーヤーをはじめとするアスリートたちは「大人気で憧れのナイキやジョーダンで自身のシグネチャーを作りたい」というニーズ以上に、「自身に価値を見出してくれるブランド」にその意義を見出す傾向が高まっている。ANTA(アンタ)におけるクレイ・トンプソン、カイリー・アービング(ともにダラス・マーベリックス)、361 Degreesのニコラ・ヨキッチ(デンバー・ナゲッツ)などは、その好例だろう。こうした傾向がNBAにのみ限定されるとは考えにくい。MLB、NFL、MLSなどで今後も促進されて行くに違いない。

現在、日本でその名を耳にしない日はないとも形容されるMLBロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平は、ニューバランスと契約を締結している。スパイクなどももちろんニューバランス製。しかし近い将来、我々は「ニューバランスを使用する大谷」という認識を捨てなければならない時がやって来る可能性もある。ジョーダンやカリーのように、ニューバランスの「大谷ブランド」が出現。そして、さらにいずれは「大谷ブランド」や「Show Time Brand」が独立独歩でスタートする時代の目撃者となるかもしれない。

そんな時代が到来した際、カリー&アンダーアーマーの別れは、その先駆けとしてスポーツファンのみならず、スポーツビジネス関係者も振り返る時が待っているのかもしれない。その時、日本は「大谷ブランド」を着こなすファンたちで、溢れかえっているのだろう。

参考文献

プレスリリース:アンダーアーマー第2四半期の売上高が29%増加;通期見通しを上方修正

ステフィン・カリーとアンダーアーマー;13年のパートナーシップに終止符

写真)チェイス・センターで行われた試合でゴールへドライブするステフィン・カリー:2025年11月24日カリフォルニア州サンフランシスコ

出典)Brandon Vallance/Getty Images




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