61万9288人が目撃した「日本の復活」

〜東京2025世界陸上の成功は世界スポーツビジネスを次なるステージへと導くのか~
松永裕司(Forbes Official Columnist)
【まとめ】
・東京2025世界陸上は61万9288人を動員し、日本の国際大会運営力を示す成功を収めた。
・世界陸連は高額賞金大会やガバナンス強化を進め、スポーツビジネスの新戦略を提示した。
・一方で設備不足やスポンサー活用の不十分さ、酷暑対応など課題も浮き彫りとなった。
東京2025世界陸上は21日、降り仕切る雨の中、最終日最終種目の男子4×400Mがフィニッシュを迎えたにも関わらず、国立競技場内は「YMCA」の大合唱が響き渡り、まだまだ席を立たない観衆で溢れていた。大雨で30分程度の中断を余儀なくされた女子走り高跳び、男子円盤投げ、そして閉会式となる次回27年の北京大会へのハンドオーバーが残されていたものの、すでに日本選手出場の種目もなく、日曜日の22時を回っていたにもかかわらず……だ。残念ながら、この模様はTBS中継にて全国に届けられることはなかったようだが、大会終了を惜しむこの大歓声が、東京で34年ぶり、日本では18年ぶりの開催となった世陸の成功を物語っていたのではないか。
1991年の東京大会では約58万人を集めたものの、今回9日間において来場者は61万9288人を記録。これほどの観客が世界から東京に集まった「超人」の技を連日目撃した。最終日には天皇皇后両陛下、そして愛子さまもご来場、大会として品格さえ添えられたとして良い。
去る2021年、一部関係者のみが見守る中、無観客にて国立競技場をメイン会場として行われた東京五輪は、日本の大規模国際イベント開催能力に疑問符さえ投げかけた 。新型コロナ・ウイルス蔓延による無観客開催という未曾有の事態はもちろんのこと、大会後に噴出した一連の不祥事は、スポーツの価値そのものに対する国民の信頼を大きく揺るがし、電通・博報堂をはじめとする国際イベント運営のノウハウを持つ大手広告代理店は、指名停止、入札資格停止の状況。「今後日本で大規模国際大会が成立するのか不安があった」 と関係者が吐露するほどの深い爪痕を残した。
2025年9月、同じ舞台で開催された東京世界陸上は、ひとまずその悪夢を払拭する成功を収めたとして良い。日本スポーツ界の底力と、世界陸連が描く未来戦略が交差したこの9日間は、スポーツビジネスに関わるすべての者を呼び覚ます、次なるステージへのウェイクアップ・コールの役割を果たしたとして過言ではあるまい。
「60万人の熱狂」が示した、日本の揺るぎないマーケット・バリュー
ビジネスにおいて最も雄弁な指標は「数字」だ。その点で、今大会はあらゆる懸念を吹き飛ばす完璧な答えを出した。最終的には91年東京大会の58万人を上回る61万9288人が9日前で国立競技場に詰めかけた。ワールド・アスレティックス(WA=世界陸連)のセバスチャン・コー会長が「私にとっての“世界記録”のように記憶に残る大会」 と手放しで絶賛したように、連日満員となったスタジアムの光景は、日本における陸上競技、ひいてはライブ・スポーツイベントへの渇望がいかに強烈であるかを証明した。
東京2025世界陸上財団の尾縣貢会長が「深い感動を覚えた」 と語ったこの熱狂は、単なる既存ファンの回帰ではない。「これまで馴染みのなかった方々が陸上競技の魅力に触れ、新たなファンになってくださったことは大会として大きな成果の一つ」 という言葉が示す通り、今大会は新たな顧客層の開拓に成功したのだ。この事実は、スポンサー企業にとって計り知れない価値を持つ。
トラックの外の成功が、トラック内の成功と共鳴したことも今大会の特筆すべき点だ。日本陸連の山崎一彦強化委員長は、「重圧の中で結果を出せずにいたところから脱した。新しい歴史をつくることができた」 と選手たちの躍進を総括した。尾縣会長が語るように、満員の観客から送られた「大きな声援が響き、アスリートの背中を力強く押しました」 という相乗効果が、選手のポテンシャルを最大限に引き出したことは間違いない。詰めかけた約62万の観衆はアスリートの国籍に頓着することなく大声援を送り続けた事実を毎日この目にして来た。
これは、スポーツマーケティングにおける普遍的な成功方程式を再確認させる。強い自国選手団の存在は、持続的な国内人気を担保する上で不可欠な要素だ。山崎強化委員長が最終到達点として見据える「(2028年開催の)ロサンゼルス五輪」 に向け、「コンスタントに入賞が増えてきたことが、次のメダルにつながる」 という確かな手応えは、今後の国内市場の安定的な成長を予感させる。
今大会の成功をさらに意義深いものにしているのが、コー会長が推し進めようとしている世界陸連の革新的な未来戦略だろう。彼は頻繁に「イノベーション」 という言葉を使い、陸上を旧来のスポーツの枠から脱却させようとしている。その象徴が、来年ブダペストで開催される新設の世界大会「世界陸上アルティメット選手権」 だ。賞金総額1000万ドル(約15億4000万円)、優勝者には15万ドル(約2300万円)が贈られる。この破格の賞金 は、選手のプロフェッショナル化を加速させ、競技のエンターテインメント性を高めるに違いない。さらに、「ロサンゼルス五輪のメダリストにも賞金を出す」 という大胆な計画は、競技の成長による利益を、よりアスリートへ還元する という明確な意志表示であり、スポーツ統括団体としての新しいビジネスモデルを提示している。
また、女性アスリートの公平性を担保するために導入された遺伝子検査の義務化は、迅速かつ断固たるガバナンスの表れだ。「100%の選手が受けた」 という事実は、複雑な問題に対しても透明性を持って対処する姿勢を示しており、これはクリーンなイメージを重視するグローバル企業にとって、極めて魅力的なパートナーシップの条件となる。
東京から北京、そしてロサンゼルスへ、スポーツビジネスの新たな変革と残された課題
尾縣会長は、五輪後の不祥事による不安を乗り越え、国民の熱狂的な支持によって「私たちは認められたという思いを持った」 と語った。コー会長もまた、日本のスポーツへの熱意を再確認し、「もしかしたら、もう一度(東京で)五輪をやったらいいのではないか」 とまで言及した。
東京世界陸上2025は、単なる競技大会の成功に終わらない。それは、逆風の中で日本のイベント開催能力と市場ポテンシャルを再証明し、スポーツと環境の共生といった持続可能性への配慮 や、若者世代を巻き込むレガシー創出 という、現代的な価値観を体現した「ショーケース」であった。
この成功は、山崎強化委員長が描く2028年ロサンゼルス五輪への強化ロードマップ と、コー会長が主導するグローバルなスポーツビジネス改革の双方にとって、強力な追い風となろう。東京で再確認された熱狂をエネルギーに、日本陸上界は次の黄金時代へ向かう。そして世界陸連は、東京を成功事例として、陸上競技というプロダクトの価値をさらに高めていくだろう。
無観客開催五輪以後、初めてとても言える大規模国際イベントが故に、その運営能力について懐疑的な意見も見られたものの、22年のオレゴン、23年のブタペストにも足を運んだ関係者をして「これまででもっともスムーズな運営で驚いた」と言わしめ、運営側の努力が実を結んだ形となった。ハードルの配置・撤去がSNSにてバイラルとなり、また最終日の大雨の中、コース上の水たまりを極力排除する運営側の働きかけも英語メディアで取り上げられるなど、かねてから囁かれ、ステレオタイプともされる日本人の勤勉さを世界に印象つけたのも賞賛の一因だったろう。
一方で課題がなかったわけでもない。東京五輪という、それこそ国の威信こそかかった大イベントのために立て替えが行われた新国立競技場ながら、その躯体は完全に「箱」に過ぎず、日本が誇るテクノロジーの上乗せは皆無だったとして間違いない。公式グッズ売り場には長蛇の列が成され、自分の番となると、数々の魅力的な商品はすでにソールドアウト状態。たこ焼きひとつ購入するにも、ディズニーランドかと思わせるとぐろを巻いた行列が目についた。モバイルオーダーなど常識となった昨今、これはいただけない。また、大観衆が詰めかけたがゆえ、5Gの世界となって以来、久々に通信が途絶えるという現象も経験した。地球温暖化のせいなのか9月にもかかわらず湿度90%を超える夜もあり、コンコースの空調はこれに対応するには不十分だったろう。この点は、8月に満員の国立が実現していたと仮定すると、倒れる観客も見られたと容易に想像でき、設備的に課題の一つとすべきかと考える。こうした課題解決については今後、国立の運営を引き継いで行く株式会社ジャパンナショナルスタジアム・エンターテイメントに「スマートスタジアム」の具現化を期待したいところだ。
スポンサーとなった各企業への感謝の念は堪えないものの、まだまだスポンサーシップへのアクティベーションについての意識不足が露呈した大会となったのも事実だ。ブランドのロゴが選手のゼッケンに、国立競技場の至る場所に露出されていたが、それだけでは昭和のスポーツから脱却できていない。大規模国際イベントのスポンサーとなる企業がまさか「テレビに看板が映ったから万々歳」として一喜一憂してよしとすべきではない。世陸を通し、ブランドがどのように認知され、また果たしてその取り組みは理解されたのか、その検証をせずして、スポンサーシップの意義を問うことはできまい。国立場外に設けられたスポンサー・ブースも展示と商品の無料配布程度の施策しか見られず、アイディアの枯渇を感じさせた。どこのブランドブースも、場内の「たこ焼き屋」に比類するほどの行列がなかった点で、いかに魅力的だったか(もちろん皮肉だ)窺い知れよう。日本におけるスポンサーシップの利活用は、まだまだ前時代を生きているような有様であり、日本におけるスポーツビジネスの隆盛、およびスポーツの社会的価値向上のためには、大きな課題が残されていると感じざるをえなかった。
これは東京五輪開催時から指摘されていた件だが、サブアリーナ不在については、アスリートからも不満の声が漏れたという。原宿の向こう代々木公園に隣接する「織田フィールド」を活用していたが、国立までバスの移動はスムーズに運んで約10分。これではせっかくのウォーミングアップも意味をなさなくなってしまう。東京の中心部において10分の移動は御の字ではあるものの、隣接する東京体育館を有効活用することもできたであろう。また今後神宮外苑の再開発に、この課題解決を織り込めるのかも、テーマとなりそうだ。
余談だが、ネットの民の合間で、これを「織田裕二フィールド」とする勘違いが見られる。だが、こちらはもちろん日本初の金メダリスト織田幹雄さんにちなんで命名(1928年、アムステルダム五輪、三段跳び)。彼の出身地・広島で開催される織田幹雄記念国際陸上競技大会は25年で、59回を数えたが、陸上ファンでなくとも記憶しておきたい。
また、マラソン、競歩などで有力選手が途中棄権を余儀なくされるなど、9月であるにもかかわらず酷暑対策については、大きな問題となった。これはもはや運営側の対応で済まされる問題ではなく、開催時期の検討を含め、地球温暖化対策に世界のスポーツ界が声を上げざるをえない時代となっていると見た。実際、就任以来初めて来日した国際オリンピック委員会のカースティ・コベントリー新会長はNHKのインタビューに回答、7、8月に限定してきた夏季五輪開催時期変更の検討についても言及した。1964年東京五輪の開会式は10月10日、東京においてはスポーツの秋であり、かつては「体育の日」に制定された点を振り返れば、当然可能であり、これまであまりにも商業的に夏開催に固執し過ぎていた。初のアフリカ出身、初の女性でもある新会長には、悪しき欧州貴族文化の風習を引き継ぐIOCの改革にも期待したいところだ。さらに、こうした変革にはアスリートの声がもっとも重要だろう。「たかがスポーツ選手」ではなく、今後はアスリートがアスリートを守るためにも、地球温暖化対策などにも積極的関与が必要だろう。これまでも繰り返し言及して来たが、古代ローマ時代以来、スポーツは政治にとって民衆の歓心を得るための「パンとサーカス」のサーカスであり続けて来た。このサーカスの立場を超え、スポーツは世界に変革をもたらす力を備えていると自覚すべきであり、アスリート自身の意識変革も必要な時代を迎えているだろう。
少々辛口となったがこうした課題提示も、東京2025世界陸上がひとまず成功裡に終わったからこそ可能な議論。9日間、国立競技場に響き続けた渡った約62万人の歓声が、日本の目覚めを告げるウェイクアップコールとなったのか。とくに関係各企業、各団体は「世陸は成功に終わった」という感傷でピリオドを打つのは勘弁して欲しい。「感動した」「涙した」という感動大好き国民だからこそ、そこで思考停止することなく、その感動からいったい何を作り出せば、我々は前へと進み、新しい時代の景色を見ることが可能なのか、成功から学ばずして、日本の未来はやって来ない。課題山積の日本を見つめ、活躍した各アスリートの国々がどんな情勢に置かれているかを考え、世界を変える力があることを、世陸の成功に流されることなく、今一度立ち止まって熟慮したいものだ。
関係各位、何はともあれ成功おめでとうございます。また本当にお疲れ様でした。この場をお借りし御礼まで。2027年世陸北京大会、28年ロス五輪へと確実にバトンを繋いで行きたいものです。
タグ:世界陸上,スポーツ,新国立競技場,オリンピック,カースティ・コベントリー,山崎一彦,地球温暖化,
冒頭写真:9月11日 世界陸上東京2025を前にした国立競技場
出典:Julian Finney/Getty Images




























