944億円の黒字超えは可能か…ラグビーW杯2035招致の勝算と「見えざるライバル」

松永裕司(Forbes Official Columnist)
【まとめ】
・6464億円の経済効果出した2019年ラグビー・ワールドカップ(RWC)を、2035年再び日本で行う機運高る。
・「伝統」ある欧州諸国と「オイルマネー」を持つ中東諸国という強力なライバルとの競争必至。
・日本の再招致が成功する鍵は、RWCを単一国イベントではなく「アジア全体の成長エンジン」として位置づけること。
開催延期の上、無観客開催となった2021年の東京五輪とは異なり、日本全国12都市で繰り広げられた2019年のラグビー・ワールドカップ(RWC)は、経済的な指標からもその成功を実感できる。グローバル・コンサルティングファームEYが2020年6月に発表した「The economic impact of Rugby World Cup 2019 report(ラグビーワールドカップ2019の経済効果に関する報告書)」によると、大会の経済波及効果は、6464億円。これは、それまでのラグビーワールドカップ史上においては最高額。日本のGDPを3515億円押し上げ、4万6000人以上の雇用を創出し、大会収支は約676億円の黒字計上となった。
その国際的ビッグイベントを16年後の2035年、再び日本で…という機運が高まっている。国際統括団体ワールドラグビー(WR)が、RWC2035年大会の開催国選考プロセスを開始したと発表、日本は2019年大会以来の招致を表明と27日に各メディアが報じた。
ただし、日本の再招致は、ノスタルジーに浸る感傷的な挑戦ではなく、極めて冷静な投資対効果を問われる、熾烈なビジネスコンペティションとなるだろう。今回の選考は単なる過去の実績を競う場ではない。WRが新たに掲げた4つの原則は、RWCが完全に「ビジネス志向」のメガイベントへと進化したことを明確に示している。
■ワールドラグビーが突きつける4つの命題
今回の選考プロセスを読み解く鍵は、WRが設定した4つの基本原則にある。
- 商業的最適化
- オーナー・オーガナイザー(権利者兼主催者)モデルの運営管理
- 選定前の契約確定
- 公平かつ協力的で完全に評価された透明性のあるプロセス
これらの条件が示すのは、WRが開催国を単なる「箱貸し」ではなく、共に収益を最大化する「ビジネスパートナー」として見ているという事実。特に最重要視されるのが「商業的最適化」である。その指標となるのが、23年フランス大会が叩き出した約944億円(4億7,200万ポンド)という黒字額。この収益が、世界のラグビーへの再投資を支える原動力となる。つまり、35年大会の開催国は、この高い商業的ハードルを越える、あるいはそれを上回るポテンシャルを証明しなくてはならない。つまりは大成功に終わった19年大会と比較し1.5倍の目標が必要とされ、16年間の世界的インフレ率を考慮すると、倍額を目指す必要性さえありそうだ。
■日本の勝算:世界が認める「2019年の遺産」
熾烈な競争において、日本の最大の武器は2019年大会の成功体験、すなわち「実績」という名の強力なブランドだ。チケット販売、観客動員、大会運営、ボランティアの質、そして何より日本中を巻き込んだ熱狂。これらは、WRにとって計算可能で信頼性の高い資産である。
世界クラスのスタジアム、交通網、宿泊施設といったインフラが既に整備されている点も、リスクを嫌う国際スポーツ団体にとっては大きな魅力だ。また、ザハ・ハディドによるオリジナル案が建築費高騰により撤回された影響により完成が待ち合わず、当初予定されていた新・国立競技場での開幕戦は変更。19年のW杯は味の素スタジアムでの幕開けとなった。35年、先日も世界陸上を大いに盛り上げた国立競技場での開幕戦・決勝戦となれば、日本ラグビー関係者の悲願達成となろう。
しかし、過去の栄光だけでは招致レースに勝利することはできない。27年大会はラグビー伝統国のオーストラリア、そして31年大会は「未開の巨大市場」であるアメリカ合衆国で開催される。WRのブレット・ロビンソン会長が言うように、35年大会は「新たな観客層を開拓し、さらなる価値を引き出す大きな機会」と位置づけられている。日本のプレゼンテーションは、「2019年の再現」ではなく、「2019年を超える新たな価値創出」を具体的に示す必要がある。
■強力なライバル:伝統とオイルマネー
日本の前には、強力な競合が立ちはだかる。欧州からは、ラグビー文化が深く根付くイギリス+アイルランドや、スペイン、イタリアといった候補地が名を連ねる。彼らは巨大な放送市場と時差の利点を持ち、「商業的最適化」の観点から強力なライバルだ。ただし、ラグビーをグローバルスポーツへ押し上げようという野心を持つWRからすると、欧州開催は「既定路線」に映り、世界戦略の観点からすると魅力に欠ける点は否めない。
むしろ、日本のライバルかつ最大のダークホースとなり得るのが、カタール、UAE、サウジアラビアといった中東諸国による共同開催案だ。潤沢なオイルマネーを背景にした彼らのインフラ投資とイベント開催能力は、近年の大規模スポーツイベントで証明済み。WRが求める「新たな観客層の開拓」というテーマにおいても、中東は魅力的なフロンティアに映るだろう。中東との対決となった際は、やはり経済的な成功を約束する形での試算が迫られる点、必至となる。日本の招致を成功に導くためには、この「伝統」と「オイルマネー」という二つの強力なライバルと戦わなければならない。
■日本が描くべき「アジアの成長戦略」という未来
日本の再招致が成功を収めるための鍵は、RWCを単一国のイベントとしてではなく、「アジア全体の成長エンジン」として位置づけが重要だろう。日本の開催により日本だけではなく、東アジアまたはアジア全域を対象とし、ラグビーの普及、放映権市場の拡大、そして新たなスポンサーシップの獲得にどう貢献するのか。その具体的で野心的なビジョンを提示することが不可欠となるだろう。
19年W杯後、ラグビーは新しく「リーグ・ワン」をスタートさせるなど脚光を浴びる表の顔はあるものの、一方、若年層におけるラグビー競技人口の激減という深刻な裏の問題に直面している。全国高等学校体育連盟によると2003年、高校ラグビー部の数は1252、プレーヤーは30419人を数えたものの、20年後にはそれぞれ863と17037人へと激減。この間、15年のイングランド大会では日本代表が南アフリカを撃破する「ブライトンの奇跡」、19年の日本開催があったにも関わらずだ。ラグビーは国籍に固執するっことなく、当該国への居住年数などにより代表としてのプレーが認められる「グローバル」な魅力を持つ。こうした施策を推進し、またビッグイベントを招致することで、国内におけるラグビーの隆盛を促したいものだ。
2009年7月、RWCの日本開催決定の際、運営などを担当しなければならない代理店に在籍していた私は、当時の上司から「お前ら大変だな。きっと赤字必至だぞ。頑張れよ」と声をかけられたもの。実際、15年にはWRの本拠地アイルランドの首都ダブリンから12開催都市を発表する実務を担当、また15年大会の日本代表壮行会などに携わり、19年は海外での国際会議に赴き、権利交渉まで請け負った。ただし、上司の思惑とは異なり、676億円を稼ぐ大成功に終わった体験を、35年もしく39年、再び目の当たりにできればと願って止まない。
⚫️開催決定スケジュール
25年10月:開催意向表明
26年7~9月:申請書提出
26年〜27年:現地視察・実現可能性調査
27年5月:優先候補国の特定
同年11月:WR評議会による正式決定
上記の通り開催正式決定まで、残された時間は2年余り。日本の招致委員会は、944億円という巨額の目標を前に、そろばんを弾き直す必要がある。19年の熱狂をいかにして35年の収益という形でWRに示すことができるか。そのビジネス手腕こそが、再び日本にラグビーの祭典をもたらす唯一の道筋だろう。
トップ写真:アパン対南アフリカ-ラグビーワールドカップ2019準々決勝-2019年10月20日




























