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その他  投稿日:2025/10/15

読書は趣味どころか人生の一部


牛島信(弁護士)

 

(出典:Getty Images North America/Dave Einse)

 

【まとめ】

・コーポレートガバナンスのが日本経済にもたらした功罪

・現在到来しているAI時代は過渡期、という示唆

・女性取締役の重要性は進化論に繋がる?

 

私は本を読むのが趣味である。

 

しかし、読書が趣味というのは、具体的にはどういう意味だろうか?

 

ゴルフが趣味だといえば、たとえば毎週日曜日には所属しているゴルフ場へ行ってなじみの受付とあいさつを交わし、コースに出て帰るという繰り返しを意味するだろう。 

 

本を読むのが趣味といえば、家のソファに寝転がって買ったばかりの本を読み始めるのが一番の楽しみ、ということなのかもしれない。しかし、そこでの疑問は、ゴルフが趣味といえばゴルフをやることを示している、しかし、本を読むのが趣味というには少し違うのではないか、ということある。そうではないか。どんな本を読むのかという限定なしに読書一般が趣味などということがあるだろうかと思うのである。

 

世の読書好きと称する人々は、「体を動かすのが趣味」だといってゴルフでもサッカーでも水泳でも自在に楽しむ人のように、どんな分野についての本でも読んでさえいればそれだけで愉しいのものなのだろうか?

 

私は本を読むのが趣味だと思っている。活字中毒という言い方もある。それはサマセット・モームが書いているように、「短い間でも読書ができないと、薬の切れた中毒患者のように苛々してくる。」(『サミング・アップ』行方昭夫訳 岩波文庫111頁)というに近い人のことだろう。モームのその中毒の程度は「読み物がないと、時間表とかカタログを読む。これは控え目な言い方だ。私は陸海軍ストアの値段表、古書店の目録、鉄道時刻表などを読み耽って楽しい時間を過ごしたことがある」とまで書かずにいられないようなものだ。さすがに私は鉄道時刻表を読書の対象にしたことはない。

 

ただ、私の読書の対象は、法律家であるから判決であったり法律論文であったりするのはもちろんだが、それは趣味ではない。本業である。趣味としての読書となると、宇宙の始まりから終わりまでであり、ネアンデルタール人がなぜ滅亡したのかという理由に及ぶ。本を買うスピードよりも読むスピードの方がずっと遅いから、いわゆる積読が年とともにひどくなる一方だ。書棚があっても本の整理がされていないから、さてあの本はどこにあったかということになると、どうにもならない。本のゲラについて校正の方から引用個所を確認するように言われると、お手上げなのである。ちなみに上記のモームの引用も、文庫本1冊をパラパラとめくりながら、3分かかって探し当てたところである。『サミング・アップ』そのものは何冊か買ってあって手元に置いてあるから、書棚で探す手間はない。

 

最近、著名なエコノミストである河野龍太郞氏の『日本経済の死角』という本を読んだ。面白かった。河野氏の書かれたものは雑誌、新聞などで拝読することは多かったが、一冊を読み上げたのは初めてである。

 

以下に強い印象を受けた。

①    生産性と実質賃金の関係

②    産業革命と賃金の関係

③    経済成長のメカニズムは分かっていないこと

④    コーポレートガバナンス改革は、雇用制度を始めとして悪影響をもたらしていること

の4点である。

 

① は、ここ四半世紀の日本の時間当たり生産性が30%上昇したにもかかわらず、実質賃金は横ばいであることが出発点である。日本は直ぐにアメリカと比較される。それぞれアメリカは50%、25%である。

 

それで納得してはいけない。

 

フランスとドイツは、それぞれ20%、20%、そして25%と15%である。どちらも日本に比べて生産性は伸びていないのに、実質賃金は上昇しているのである。

 

なぜか?

 

④がそれにかかわる。「コーポレートガバナンス改革が、雇用制度をはじめ、その他の社外制度と齟齬を来し、そのことが日本経済に少なからぬ悪影響をもたらしてきた」というのが著者の言わんとするところである。同感する。日本のコーポレートガバナンスには労働者という観点があまりに無さ過ぎるというのが私の考えだからである。疑うものは、USステール買収交渉におけるUSWやUSS労組の力を思い出すべきである。この問題は企業別組合と産業別組合の違いに行き着くのだろうと考えている。

 

②は新しい気づきであった。「18世紀後半に蒸気機関を活用した第一次産業革命が始まった際も、当初は。起業家や資本家にだけ、莫大な収益が転がり込みました。」その結果、実質賃金は低下していたのだという。(236頁)

 

それが、実質賃金の上昇につながったのは、一つには蒸気機関車による交通インフラ網によって大量輸送が可能になったからだという。そして二つ目が労働者の団結による起業家や資本家に対する対抗力の獲得であるという。

 

なるほどなるほど、と、今のAI時代がどうやら過渡期らしいと思わせる論調である。

 

③には啓蒙された。「経済成長を促すメカニズム、とりわけ(先進国のような)富裕国で再び成長率が上向きになるのか、どうすれば上向きになるのか、ということははっきり言って謎である。」旨、2019年にノーベル経済学賞を受賞したアビット・バナジーという方が説いているというのだ。(21頁)

 

信じられないような話だが、信じない理由はないようだ。どうしたらいいのか。

 

また、私は『美しく残酷なヒトの本性』という本も並行して読んだ。こちらは進化生命学者、なかでも行動生態学者と自称されている長谷川眞理子さんの著書(PHP新書)だ。長谷川さんの本は以前にも読んだ気がするが、この本も面白く読んだ。

 

ポイントは、火の使用は進化史上の重要な転換点である。しかし、長い間、それが調理にかかわることだという議論はなかった、という点だ。

 

それを最初に指摘したのは、レスリー・アイエロという女性の人類学者だった。1995年のことだという。「食物を加工することで、腸が栄養とエネルギーを吸収する効率が大幅に上がり、ひいてはそれによって脳に多くのエネルギーを回すことができるようになった、という議論である。」(108頁)

コーポレートガバナンスに関心を持っている私には、以下の部分が強く響いた。長谷川さんは、「男性自然人類学者のほとんどは、料理などしたことのない人たちだったはずだ。だから、調理の重要さなど、思いもつかなかったのだと私は思う。」と書いているのだ。なるほどそういうことか、と思わせられた。(109頁)

 

長谷川さんの議論は続く。

 

「ダーウィンはオスとメスの違いに着目して、性淘汰の理論を提唱した。」しかし、さらに、「ところが、当時の生物学者たちは皆、オス同士の競争の重要性はすぐに認めたのだが、メスによる配偶者の選り好みの理論はまったく認めなかった。」と述べ、その原因を男性の生物学者が無意識にもっていた先入観に求める。(111頁)

 

なるほど、と私はうなった。そして再びコーポレートガバナンスで議論されている女性取締役の重要性について思いを馳せた。

 

「世界に女性が進出することは非常に大切だと思うのである。」(112頁)と説かれると、まことにそのとおりと同感する。抽象的な議論ではない。根拠のある話だからである。

 

そういえば、と思い出した本がある。

 

『アダムススミスの夕食を作ったのは誰か?』(カトリーン・マルサル高橋璃子訳 河出書房新社 2021年刊)という題の本である。著者はスウェーデン出身のジャーナリストで、2015年のBBCによる「今年の女性100人」に選ばれた方だそうである。

 

私は2025年の4月6日に、書棚にあったこの本を読んでいる。

 

読書は、趣味として、すなわち人生の一部として、とても素晴らしい。なぜなら、どの本も、読む以前の私は読んだ後の私とは別人になっているからである。

 

(トップ写真:猿人類)

 

 

 

 

 




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