[齋藤実央]【欧州の「インクルーシブ」教育とは】~移民受け入れに備える日本が学べること
齋藤実央(教育ファシリテーター)
「齋藤実央のシティズンシップ論考」
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移民の増加により、民族的、文化的多様性が増している欧州では、「統合(Integration)」がますます大きな共通課題となっている。しかし、各国の教育政策に目を向けてみると、その実践方法は様々だ。親の出身国で生まれ育ったのち、移民として新しく第三国で暮らすことになった子どもたちは、学校の授業に付いていけず、疎外感を抱くケースも多い。その大きな要因の一つが、言語の壁だ。本記事では、フランスとイギリスの学校教育における言語的マイノリティの生徒へのアプローチを比較してみたい。フランスでは、「市民(シティズンシップ)」の概念は必ずしも人種や出生時の国籍と同義ではなく、移民の親のもとに同国で生まれた子どもでも、18歳になった時点でほぼ自動的にフランスの市民として認められることになる。その代り、「フランス共和国の原則の尊重」が義務とされており、政府はフランス語の十分な運用能力も重要な条件の一つとして強調している。
学校教育において、フランス語を十分に話せない移民の生徒は特別クラスに分けられ(日本でも今年公開されたフランス映画「バベルの学校」に出てくる「適応クラス」がその例だ)、そこで約1年間フランス語を身に付けてから通常クラスに移る仕組みになっている。
この方法は、子どもたちの民族的、文化的アイデンティティを保持できるという面がある一方、通常クラスの生徒とは「分離」されてしまうことで「よそ者」だと自覚せざるを得ないというデメリットもある。また、特別クラスには非ネイティブ・スピーカーの生徒が集められることから、ネイティブ・スピーカーである生徒たちとの実践的なコミュニケーション機会に欠けるうえ、生徒同士の良好な関係を築きにくいという指摘もある。
一方イギリスは、いわゆる「不文憲法」国家であり、「市民」の法律上の概念は複雑かつ曖昧だ。2002年に制定された「国籍、移民及び庇護法」によると、「イギリスに関する知識と言語能力」が新しく市民となるうえでの義務として挙げられている。
過去のシティズンシップ政策においても言語能力の重要性が強調されているものの、学校教育を通じた公的サポートについては触れられていない。事実、移民の子どもたちのための特別クラスは基本的に設けられていないため、移民の子どもたちも通常クラスで授業を受け、平日の夜や週末にチャリティ団体によって開かれる「補修学校」などで言語のハンデを埋めるというケースがほとんどだ。
フランスのケースと比較すると、他の生徒たちと「分離」こそされていないものの、十分に英語を理解できないまま「物理的統合」をされているにすぎないため、授業を理解できず学習に遅れを取り、結果的に社会的排除に繋がるリスクを孕んでいる。
このように、移民の子どもたちへのサポートは、言語教育ひとつを例に取っても課題が多いものの、効果が期待される実践例もいくつかある。たとえば、比較的移民受け入れの歴史の浅いフィンランドの学校では、身体を動かしながら学べる美術、体育、音楽などの授業は通常クラスの生徒と一緒に学び、言語習得のレベルに合わせて他の科目の授業にも徐々に参加していく、というアプローチが試されている。
また、グループワークを通じて生徒が共に教え合う協働学習の持つ可能性も、各国であらためて注目されている。「分離」でも「同化」でもない、多文化共生社会における“インクルーシブ(包摂的)な教育”の追求は、これからも続いていくであろう。日本も、欧州各国が経験してきた課題や成功例から学び、移民受け入れの議論の中で生かしていかなければならない。
【添付写真】筆者が訪れたイギリスの公立小学校。クラスの半数が、中東やアフリカなど他国から移住してきた生徒。