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.政治  投稿日:2015/9/9

[西村健]【五輪エンブレム騒動から学ぶべきこと】~東京都長期ビジョンを読み解く! その31〜


西村健(NPO法人日本公共利益研究所代表)

「西村健の地方自治ウォッチング」

執筆記事プロフィール

東京五輪エンブレム問題、ついにエンブレムが取り下げという決定がなされた。

佐野氏のエンブレム盗作疑惑がネット上で盛り上がり、彼の他の作品へ波及し、2度の組織委員会の会見を挟んだこの騒動。この過程で、コンペ・審査のプロセス、組織委員会のチェック体制・運営能力、業界の仕事のやり方と成功の法則、デザインの専門性、そして問題点が我々「一般国民」にもなんとなくおぼろげながら明らかになった。さらに、権威のある人による決定は世論の一定の納得を得る必要があること、オープンでない決定プロセスは世論の誤解を生むことなども含め、社会的な学習機会という意味で大変意義があったと思う(偉そうで申し訳ないが)。

個人的には、もっと前から原案を公表していれば、ベルギー・リエージュの劇場との類似性も低くなり、盗作が疑われることもなく、ここまで大々的な騒動に発展しなかったのにとも思う。その意味で佐野氏は誤解されて損をしたようにも思える。しかし、サントリーのトートバック、空港・渋谷の背景写真などにおいて、佐野氏にも落ち度があったことも確かだろう。佐藤可士和氏ほどではないが著名な一流デザイナーであり、メディアでの注目を浴びる「成功者」としての驕りもあったのかもしれない。

今回、ネットの調査能力の高さを実感する人も多かっただろう。類似した品目を見つけ出す、その調査能力の高さ、そして、関係先に問い合わせをする、その行動力には感服してしまう。「集合知」「仮想共同体」としての能力、それも一流の調査機関以上の能力を示したと言っても過言ではない。例えば、政治献金・政務調査費のチェック、資格を問うような「身体検査」、監査など社会においてチェック機能が必要な場面で、活躍する可能性がありそうだ。

改めて佐野氏制作のエンブレムを眺めてみる。

発表時に紹介された「東京のT,Team,Tomorrowを示したもの」との言葉を噛みしめてみる。しかし、味がしない。

佐野氏の口からは「赤い丸が鼓動を表す」「形を変え、文字を変える展開を考えていて、進化・変化するロゴ」などのデザインの説明はあったが、背景にある哲学や思想が語られることはなかった。エンブレムが体現する価値、人々に何を感じてもらいたいのか、人々の心にどういった思いや気持ちをもってもらいたいのかの視点が欠けている。

東京、チーム、未来・・・。国体ならまだしも、世界的なイベントである。歴史的意義、時代的な文脈、独創的かつ世界にも認められている日本文化の香り、人々が共鳴できる価値や理念の一片も感じられない。この空虚さ。

告白するがこのエンブレムを見れば見るほど、その展開映像を見れば見るほど正直「かっこいい」「スタイリッシュ」「会社のロゴマークだったら最高だな」と個人的には思っていた。それと同時に、資本主義社会の「象徴」にしか見えなくなる(私はT字の黒字の部分に、怒涛の再開発、乱立する高層マンションをそこに見てしまった)。

五輪自体も同様だ。国民の盛り上がり・幸福度向上、スポーツ界の発展、莫大な経済効果、インバウンド・観光への波及、インフラ更新など開催の目的が語られている。

個人的には五輪は楽しみだし、スポーツの意義や学習効果を大事だと考える人間ではあるが、五輪開催に正当性があるようには思えない。

第一に、招致の時に掲げた東北大震災からの復興。先日、福島第一原発周辺を訪問し、現地を見て地元の人々の話を聞いた。とても「UNDER CONTROL」とは思えなかった。

第二に、意思決定プロセスに疑義があるからだ。2016年五輪の選考時にはIOC調査で55%の支持率が原因の1つとして敗北。それ以降、積極的な広報を進め「再チャレンジ」。2020年五輪選考では、招致に成功した。しかし、その立候補すべきか否かが都民、国民の前で問われる機会はなかった。

東京五輪の立候補ファイルにはこうある。「東京は、卓越、友情、尊敬という基本的価値をオリンピック・ムーブメントと共有する都市である。(中略)2020年東京大会はこうした価値観や資質を受け入れるとともに、一層高め推進するものになる」と。

現実とあまりに乖離したこの主張。謙虚さ、おくゆかしさという日本的美意識からはかけ離れていて、苦笑しかでてこないのは私だけではないだろう。

そもそも「一般国民」が実感できるレベルでの意味や目的を共有できていないからこそこの五輪は空回るのではないか。取り急ぎエンブレムを変えてもこの空虚さは影となってつきまとうだろう。だからこそ、「なんのための五輪か」を確認する、そういった国民的な対話の場と作業が必要だ。

スポーツが分断された日本社会の融和にいかに役立つのか。スポーツに親しむことがいかに健康に貢献するのか。スポーツを通じてどれだけ人生を豊かにできるのか。スポーツの恵みをどう「見える化」して「文化」にまで定着させていくのか。地方創生の時代に、東京という都市の役割をどう変更・再定義していくのか。

目的を新たに設計すべきところからはじめてはどうか。武藤事務総長が語った「広く愛され支持される」エンブレムを作るための条件はオープンな手続きだけでは不十分だと思う。

次回からはこのイベントや組織委員会の公共性や「責任」の意味を考えていく。

(この記事にはリンクが多数貼られています。それらを見るには http://japan-indepth.jp にてお読みください)

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