ジャカルタ・テロは「始まりの始まり」か〜“ISのアジア進出懸念”が払しょく出来ぬ5つの理由〜
千野境子(ジャーナリスト)
インドネシアの首都ジャカルタで1月14日に起きた連続爆弾テロ事件は、自爆テロの封じ込めがいかに至難かを再認識させた。同時に事件は中東で守勢を伝えられるイスラム教スンニ派武装組織「IS(イスラム国)」が、世界最大のイスラム教徒の国インドネシアから東南アジアへと触手を伸ばす「始まりの始まり」ではないかとの懸念も膨らませた。東南アジアはいまや南シナ海問題に加えてIS問題でも備えを迫られている。
インドネシアの爆弾テロ事件は、2002年10月に観光地バリ島のディスコなどで起きた連続爆弾テロが過去最大級だ。日本人2人を含む202人が亡くなる大惨事だった。また首都ではその翌03年に米国系ホテルの前で車爆弾が爆発、12人が死亡し約150人が負傷、09年にも米国系ホテル2か所で起きた自爆テロで7人が死亡、約50人が負傷した。これらはいずれも国際テロ組織アルカーイダに繋がる、インドネシアを根拠地とするイスラム過激派組織ジェマ・イスラミア(JI)が深く関与したものだった。
しかしこれ以降はユドヨノ前政権の取締りが功を奏し大きな爆弾テロは起きておらず、イスラム過激派の防波堤の役割をインドネシアに期待する向きもあった。昨年末には当局が不審人物の逮捕や爆発物などを相次ぎ摘発、テロを未然に防いだばかりでもあった。
ところが、やはりというか遂に2人(他に容疑者5人)が死亡するISの自爆テロは起きた。これまでの調べから爆発物はそれほど強力なものではなく、テロとの戦いで当局はまだ優位に立っている。また容疑者の自宅などからISの旗などが見つかったが、彼らがどこまでISと組織的に連携し、周到な計画を立てていたかも疑問だ。恐らく綿密な準備なしに、あるいは準備出来ずに急ぎ行動に出た公算が高い。
つまり今回の連続爆弾テロは、痛ましい犠牲者を出してしまったことを除けば「想定の範囲」に留まったと言える。その意味では昨年、世界を震撼させたパリ連続爆弾テロとは異なる。しかし以下に述べるように、今後も楽観できる保証はない。むしろこれからが正念場だ。
第一に容疑者たちは必ずしも筋金入りのISメンバーではなかった。逆に言えばだからこそ危ない。イスラム社会のインドネシアは日本のようなイスラムとの距離感も少ないから、さまざまな理由からISに走り、挙句に洗脳され、自爆テロの戦士になる予備軍は潜在的に相当数いると考えられる。このような人間の動向を全員把握するのは不可能に近い。
第二にJIの創始者で精神的指導者アブ・バカル・バシル師が健在なことだ。若者たちに今なお強い影響力を有し、獄中からIS支持や聖戦参加を呼びかけている。実際にイラクやシリアなど中東へ渡った若者は800人を超え、うち約240人は帰国しているという。訓練を受けた彼らの中から今度は勝手知るホームグラウンドで活動を目論む者が出て来ても不思議ではない。加えてバシル以外のイスラム過激派指導者もいる。やはり収監中で今回の事件の黒幕とされるアマン・アブドゥルラフマン師もその一人。服役中でも堂々と扇動、アピールが出来るのだから厄介だ。
第三に、だからこそISもインドネシアに照準を定める。昨年末、豪州紙オーストラリアンはISがインドネシアを「遠方のカリフ」に目論んでいるとの同国司法長官の警告を報じた。カリフは預言者ムハンマドの後継者の意味で、周知のようにISの前身ISISは2014年6月にカリフ制国家「イスラム国」の樹立と指導者アブバクル・バグダディのカリフ就任を宣言し、以後ISの猛威が中東を席巻した。
豪州はバリ島ディスコ爆破テロで多数の犠牲者を出し、隣国インドネシアは安全保障上極めて重要なだけに、この「遠方のカリフ」情報も一笑に伏せない。もちろんISの企みが実現するかどうかは別問題だとしても。
第四に市民派ジョコ大統領の対テロ手腕が未知数な点も懸念される。軍生え抜きのユドヨノ前大統領は軍と警察を掌握しテロ対策に実効があった。ジョコ大統領の軍・警察の掌握如何にテロ対策の成否がかかっている。
最後に地域協力、すなわちASEAN(東南アジア諸国連合)のネットワーク強化も課題だ。昨年末、ASEAN共同体が発足した。しかし実態は経済共同体であり、政治安全保障共同体の歩みは遅々としている。感染症、移民などとともにテロも国境を越える問題として早くから位置づけられてきたが、スローガンの域を出なかった。ようやく問題が現実味を帯びてきたとも言える。
ところで今回の事件は日本にとっても早期警戒警報だ。今年は伊勢・志摩サミットだけでなく、外国人訪日客のさらなる増加が予想されている。東南アジアからの訪日観光客のビザ発給が大幅に緩和されたことが大きく、インドネシアやタイ、マレーシアなどはノービザだ。難民に紛れたISメンバーを入国させてしまったEU諸国の轍を絶対に踏まぬ対策が求められる。テロ事件が起きない安心・安全な日本こそ最高のおもてなしかもしれない。