アメリカ製日本憲法の真実 バイデン発言の波紋
古森義久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授)
「古森義久の内外透視」
アメリカのジョー・バイデン副大統領が「日本の憲法はアメリカが書いた」と発言して、日本側に複雑な波紋を広げた。
ジョー・バイデン氏といえば、長年の政治歴での数々の失言で知られてきた。ただしまったくの根も葉もないという虚言や空言ではなく、事実をあまりにも粗雑に直入に語ってしまうという種類の発言が多かった。その結果、それらの言葉が責任ある立場の政治家としては放言、失言、あるいは暴言と断じられるわけだ。
今回の日本国憲法についての発言もごく単純な史実を政治的な反響への配慮なしに、あまりに荒っぽく述べたことが問題視されるのだろう。その発言の内容自体は歴史的な事実をきわめて率直に語ったというしか描写の方法がない。つまり正しい発言だったということである。
バイデン副大統領は8月15日、ペンシルベニア州での演説で共和党の大統領候補ドナルド・トランプ氏を批判する中であっさりと語った。
「核保有国になれないとする日本の憲法を私たちが書いたことを彼(トランプ候補)は知らないのか」
この発言は日本側ではとくに現行憲法を絶対に変えるなという陣営をとまどわせたようだ。朝日新聞などバイデン発言は「戦後の歴史を無視する」と書いた。そのうえに「憲法起草では日本の研究者たちの意見も参照された」とも書いていた。いずれも史実に反する反応である。朝日新聞は自らが歴史の糊塗を図ろうとするかのようである。
アメリカ側ではバイデン発言はなんの話題ともなっていない。日本の憲法をアメリカが書いたという事実など日米史に関心のある人たちの間では常識だからだろう。
バイデン氏はトランプ氏が日本の核兵器保有を容認とか奨励するとも受け取れる発言をしていることに反撃を加えようとしたわけである。そのためには日本国憲法をアメリカが起草したことまで持ち出して、反論の材料としたのだろう。だからバイデン副大統領は「トランプ氏はそんなことを学校で習わなかったのか」とまで揶揄していた。
バイデン発言は日本側では大きな波紋を広げた。民進党の岡田克也代表までがバイデン発言を「不適切だ」と決めつけ、その発言の「アメリカが日本国憲法を書いた」という指摘に対しても「最終的に日本の国会でも議論して憲法を作ったのだから、アメリカが書いたというのは不適切な発言だ」と非難した。バイデン副大統領の発言がいかにも誤っているかのような反応だった。
だが日本国憲法はまちがいなくアメリカによって書かれたのである。その作成のプロセスで日本人が活動したというのも、これまた根拠のない虚報だといえる。まして日本の国会が議論というのも、そもそも日本は当時、独立国家ではなく、占領地域だったのだから、そこにまともな意味での「国会」が機能しているはずがない。
私がここまで明言できるのは、日本国憲法の生い立ちについて長年、取材し、調査をしてきた結果があるからである。なかでも決定的なのは日本国憲法起草の実務責任者チャールズ・ケーディス氏から作成当時の状況を詳しく聞いたことだった。ケーディス氏の証言の全記録はそのまま今日にいたるまで保存してきた。
ケーディス氏にインタビューしたのは1981年4月、彼の弁護士としてのウォール街のオフィスでの長時間の質疑応答だった。
日本国憲法は1946年2月3日からの10日間で連合国総司令部(GHQ)の軍人ら20数人のアメリカ人により一気に書かれた。マッカーサー総司令官が日本側に草案作成を命令し、その産物の「松本試案」がA案もB案も米側の意向に反するとして排された結果だった。占領軍当局は日本側が自主的に作成した新憲法草案を完全に拒んだのである。そしてアメリカ側が独自に新たな草案を書いたのだった。
GHQ民政局次長で弁護士だったケーディス氏の証言によると、東京の第一生命ビル内での憲法作りはすべてアメリカ人だけで進められた。その間に朝日新聞がいま伝えるような「日本人研究者たちの意見の参照」などまったくなかった。
中核となる起草運営委員会を構成したケーディス陸軍大佐、ラウエル陸軍中佐、ハッシー海軍中佐の3人が憲法前文を書いた。憲法全体11章の各章ごとに委員会を作り、法務経験のあるアメリカ軍人が責任者となり執筆した。9条のある第2章はケーディス氏自身が書いた。内容はアメリカ本国政府やマッカーサー元帥からのごく大まかな方針に沿うだけで、実務担当者に驚くほど大きな裁量が与えられていたという。
だから「天皇は国民統合の象徴」という表現もケーディス氏らがふと考えついた結果だった。「戦争の放棄」には逆に上からの指示で「自国の安全保障のためにも」という字句があったが、同氏の一存で削除した。いくらなんでも自国の防衛をみずから禁じる人間集団が国家でありうるはずがない、というのがケーディス氏の当時の考え方だったという。とはいえケーディス氏はアメリカ製の日本国憲法の最大の目的は「日本を永久に非武装のままにしておくこと」だったと総括した。
ケーディス氏は1946年2月13日のGHQから日本政府代表への公式の憲法提示の会合についても詳しく語った。外務大臣公邸でのこの会合では民政局長のコートニー・ホイットニー准将が吉田茂外相らにもしこの憲法案を受け入れなければGHQ権限で国民投票に付すと迫ったという。占領下の日本国民の対応は目にみえていた。
その時、上空には原爆投下機と同じ機種のB29爆撃機が轟音をあげて飛び、ホイットニー准将は日本側に「原子エネルギーの暖」という言葉で原爆を連想させる威圧をかけたのだという。とにかく日本は占領され、主権国家ではなかった時代なのだ。
いまの日本での憲法論議でこうした憲法の出自をあえてぼかすことは不健全である。バイデン発言はその憲法の歴史へのドアを邪気なく開けたということだろう。日本国憲法は疑いなくアメリカ製なのである。
*文中写真:マッカーサー元帥像
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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授
産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。