[渋谷真紀子]【芸術が「平和的な対話」を生む】~想像力をかきたてるチカラ~
トップ画像/届かない水平線(希望)に向かって、皆で歩き続けることを表現
渋谷真紀子(ボストン大学院・演劇教育専攻)
プエルトリコで2週間、ニューヨーク大学の生徒達とプエルトリコ人の先生による身体表現のブートキャンプに挑んできました。プエルトリコで民主主義的演劇が果たす役割を体験し、改めて社会の中での芸術の意義を痛感しました。
プエルトリコは、現在も米国自治連邦区であり、教育や医療がアメリカの援助のもとに成立しているため、甘やかされて自活できないことに不満を持っている人もいます。それに対して、私の先生は芸術を通じてプエルトリコ人としてのアイデンティティ確立を実現しようとしています。
抑圧の歴史が長いため、自分達で何かを変えられる希望や自信を持てる人が少ないことを解決するため、「Theatre of the Oppressed(民主主義的演劇 注1)」というブラジルの独裁政治に対して活動してきたAugusto Boalの手法を使っています。
”Horizon(水平線)”という詩を身体を使って表現する体験をした際、それがなぜプエルトリコ人に大事なのか話してくれました。「水平線は、近づいては離れ到達できない目標なのではなく、それに向かって進むことを促す為の希望なのだ。毎日希望を持って、歩き続けること。成果ではなく、希望を持って前進する過程が人生を美しくしてくれると実感することが、プエルトリコ人として自活していくための糧になるのだ。」
私たちはその精神のもと、心身と頭脳が三位一体となり、地に足のついた表現者になることを目指したワークショップを体験しました。2週間アメリカ人11人・チリ人1人と比較体験したことで、相対的に日本と価値観が近いことを感じました。
まずは美意識。ゆっくりと丁寧に動作を味わうこと、シンプルなことを美しくやることに一球入魂すること、静の間を取ること、個々の形だけでなくその転換の流れの美しさにもこだわること。訓練には茶道を使うこともあるそうです。
<上写真/プエルトリコ人の芸術家アントニオ・マルトレルが平和への願いを込めた作品。傘部分には、全世界の災害を経験した地域が書かれている。そこから経たインスピレーションで1分間の身体表現の作品を制作。>
この「間」や時間の感覚が、ニューヨークの若者達にとって掴むのがとても難しかったそうです。もう一つは、アウトプットよりもプロセス重視で努力や粘り強さを美しさとして感じる点です。アメリカ人の仲間は、最終発表の形が発表前日まで見えず、色々なことを試してみるプエルトリコ人の先生にストレスを感じていました。彼は、成果を求めて結果を出すのは2週間では不可能であり、必死に取り組む過程の美しさを発表としてまとめたいと言い続けていました。
何ができるかの技の披露ではなく、その瞬間を必死に生き抜く姿が芸術となるのだと。彼は、”Challenge yourself. One more stretch. (もう一歩踏み込め)”と成果より努力のプロセスをとても重視していました。
成果のような到達点ではなく、過程の美を模索することは、私達が一番苦労した点です。答えを出すこと・目標を達成することに慣れている分、「自分は何者か?」「自分と他者・社会との関係性をどう感じているか?」という正解のない本質を表現することが大変だったのです。
このシンプルな難題に向き合うのに、プエルトリコは最適でした。大自然の解放感とゆっくりとした時間、そして抑圧の歴史から結果に焦らず過程の美しさに目を向ける姿勢が私達を変えていきました。芸術表現は、その土地・人々・社会を反映する鏡です。
インタビューや記事の翻訳と異なり、言語が異なっても比喩的表現で間接的に考え方が異なる人に主張を伝えられます。受け手には、正解のない解釈の自由を与え、想像力を要求します。私達が学んだ先生は、囚人と同じようなワークショップを長年行っており、「キレたから殺した」という短絡的な考え方から「なぜ?」と自分と向き合うきっかけや他者・社会とのつながりを考える余幅が少しずつ生まれてくると言っていました。
手法は高度になっても、人間同士の争い自体は無くなっていません。芸術と向き合う機会が増えることで、頭脳と心身の三位一体で地に足をつけ、正解のないことに想像力を膨らませる余幅を持たせ、平和的な対話を生むことは、芸術が国際社会に大きく貢献できる意義だと思います。
ブラジル人の演出家・社会活動家のアウグスト・ボアールが考案した演劇手法。訓練を受けた役者が劇場で表現する舞台芸術としての演劇ではなく、社会に抑圧された市民自らによる市民の主張を公共の場で発信していくことを目的に考案された。中南米を始めとして世界各地の様々な社会問題で抑圧されている人達に実践されている。