[為末大学]【一期一会、人と交わす“数秒間”の意味】~“サイン”するということ~
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
超有名人と違い、私たちのようなほどほどの有名人でもサインを書くという機会はそこそこにある。いったい自分のサインにどの程度の価値があるのか。相手がどの程度欲しがっているのかを確かめられないままに私たちはサインを書く。
例えばサインを書いて振り返りざまに子供達が「あの人誰?」と母親に聞く。大会からの帰り際に地面に捨てられたパンフレットに自分のサインが書いてある。大学生がとりあえず為末のサインもらったけどこんなのどうすんだよと言いながら友達に話している。そういう経験をこのぐらいの知名度の人間だとよくする。
一方である時大学生が目の前を歩いていたらそこに僕のサインが書いてあることもある。聞いてみれば中学生の時に僕が書いたサインだそうだ。大学まで陸上を続けてくれてありがとうという気持になる。ずっと陸上をやっていたという人にサインを書いて、何回も何回も頭を下げられることがある。応援してくれてありがとうという気持になりこちらも頭を下げる。
確かにサインはもらわないよりもらっておいたほうがいい。あとで必要なものかどうか考えればいい。ただ書いている人はそれなりに時間をかけて書く。この人とは二度と会わないかもしれないからと思って書く人もいる。思いにギャップがある時もあるし、ピッタリくることもある。
私のサインにどれだけの価値があるかわからない。ヤフオクで前に検索したときに500円ぐらいだった。色紙に少し値段がついた程度だろうか。けれどもそれが欲しいと言ってくれる人もいて、それならたかだか数秒程度のことだからと私たちはサインを書く。捨てられることもあるかもしれないけれど、大事にしてくれる人もどこかにいる。