[イ・スミン]【ソウルはなぜ平穏だったのか】~韓国が北朝鮮の挑発に動揺しなかったわけ~
李受玟(イ・スミン/韓国大手経済誌記者)
慣れてきたものに対しては警戒しない。それは人の本能である。新たな情報が押し寄せてきても、脳のエネルギーをむやみにそれに浪費することができないからだ。したがって、その対象が人であれ、物であれ、または現象であれ、「いつものような」ことには格別な注意をするより見過ごす場合が多い。例えば、東京を初めて訪問した外国人がホテルの部屋で寝ていながら地震の揺れを感じたとき、その人はびっくりして「怖い」と声を上げるかもしれない。しかし、東京で生まれ育った日本人なら同じ揺れを感じても「今日の地震はあまり強くないね」と言う可能性が高い。それは(自分の身の回りの環境が)通常と大きく違っていなければ、大騒ぎしないという人間の心理を反映しているのである。
朝鮮半島、その中でも韓国の人々にとって、北朝鮮の挑発は東京都民の地震と似たような存在として扱われている。もちろん、ある人の意図を反映した北朝鮮の挑発と天変地異は根本的に違うものだが、多くの人たちの生活に甚大な影響を及ぼしかねないという点と、いつどこで発生するかも知れないという点、そしてたまに人命被害が発生するという点で同一だ。何よりこれは特定の環境に慣れた人たちにとって、日常を放棄するほどのパワーを持っていない点もそっくりだ。
今月の4日から25日まで続いた北朝鮮の挑発や韓国の対応は、ソウルを含め韓国に住む人々に特異なことではない一日と認識された。もちろん数年ぶりに北朝鮮が韓国地域に砲を発射して韓国軍が準戦時体制(珍島犬ひとつ)を稼動するなど、2010年代以降発生した衝突の中でかなり大きかったのは事実だ。しかし、朝鮮半島の外では「本当に戦争が起こるのではないか」という声が出たにもかかわらず、ソウル市民をはじめ多数の韓国人は普段と変わりなく生活した。
週末(8月21日~22日)にも百貨店やアミューズメント・パークは夏休みを楽しもうとする子供たちと親がいつもと一緒に日常を送り、テヘラン路と江南(カンナム)大路など市内の中心地は車でいっぱいだった。お水やラーメン、即席食品などが、戦争に備え売り切れになることもまったくなかった。
むしろ休暇シーズンが終わる時点であるため、大手スーパーの関連売り上げは下がっていた。これは1994年、北朝鮮のパク・ヨンス祖国平和委員会座長が「ソウルを火の海にする」とコメントした後、市民たちが深刻に動揺し、水とラーメンが完売した過去とはずいぶん違う。騒いだのは外国人投資家たちの関与が強い株式市場だけ、という分析も出るほどだ。
このように韓国人たちが動揺しなかった理由は何だろうか。まずは頻繁な北朝鮮の挑発に慣れてしまったせいだ。2000年代に人命被害が発生した事件だけを例に挙げても、第2延坪(ヨンピョン)海戦(2002年)、金剛山(クムガンサン)観光客の朴ワンジャさん銃撃(2008年)、大青(テチョン)海戦(2009年)、天安(チョナン)艦の沈没、延坪島砲撃(2010年)、DMZの木箱地雷の埋設(2015年)などが発生した。
一般の人たちが北朝鮮の脅威を目で確認しにくい、GPS撹乱や弾道ミサイルの射撃、核実験まで含めれば、毎年北朝鮮の脅迫は続いている。頻繁に発生する南北の緊張状態は、結果的に(韓国の人々が)北朝鮮の多くの行動に驚かなくなる理由だ。 (一部では戦争に対する警戒心も薄れていると指摘もある) このような見方は「北朝鮮がすべてを失ってしまいたい時だけ実質的な挑発に出る」という判断にもつながっている。
もう一つの理由は韓国と北朝鮮の軍事力及び経済力の差から出てくる自信のせいだ。韓国と北朝鮮はGDPが44倍(2011年)、軍事費基準34倍(2014年)という相当な格差をもっている。朝鮮戦争を経験していない世代、特に軍隊に行っていない若い者たちは「北朝鮮が挑発しても、結局我々が勝利する」という考えは根強い。
一方、皮肉に聞こえるかもしれないが、万が一戦争が始まるとソウルに住む以上は死ぬことを免れることができないだろうという判断で、日常に没頭する人もいる。軍隊を除隊した予備軍の場合、定期的に北朝鮮の生化学兵器や核兵器に対する軍事教育を受ける。したがって戦略地とも言えるソウルに居住する彼らは「崖っぷちで北朝鮮が攻撃して来たら、市民の絶対的多数はその場で絶命する可能性が高い」と述べ、(かえって)北朝鮮の脅威を深刻にとらえない傾向がある。これは「どうせ、戦争が起こったら、お前も私も死ぬ」、という悲観的な見方から来るものだが、根拠なく勝利を確信する人たちと似たような反応だ。
もちろん年齢も性別も、居住地も違う4,000万人が住む韓国だけに、人の数ほど多様な理由がある。先に言及したものだけが(北朝鮮の)挑発に対し動揺しない唯一の理由ではない。ただ確実なのは、このような考え方が多くの韓国人の心の中に定着しているため、国内に大きな動揺は広がらなかった。だからこそ朴政府は北朝鮮に対し一貫した姿勢を維持することができたし、最後には北朝鮮の譲歩を引き出すことが出来たのだ。