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.国際  投稿日:2015/11/16

[林信吾]【仏同時テロ:テロリズムの真の元凶とは】~ヨーロッパの移民・難民事情 特別編(下)~


 林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

執筆記事プロフィールblog

パリで起きた同時多発テロの犠牲者は、時間とともに増え続けている。腹などに銃弾を浴びた場合、即死する確率は低いのだが、反面、治療がきわめて困難であり、病院で息を引き取るケースが多い。今はただ、犠牲者のご冥福と、これ以上被害者が増えないことを祈るしかないが。

もともとヨーロッパにおけるイスラム過激派の活動は、資金集めと人材のリクルートに重点が置かれていた。キリスト教国における反イスラムの風潮や、マイノリティに対する理不尽な扱いに耐えかねた若者たちは、イスラム過激派の兵士となるべく中東に赴いた。しかし、今年初めの新聞社襲撃事件に引き続き、厳重な警戒の中、今次またしても大規模なテロ事件が起きてしまったわけだ。

理由のひとつとして考え得るのは、イラクやシリアでの「苦戦」であろう。どこかの都市を急襲して支配下に置き、交通路と支配地域を確保し続け、もって「イスラム国の領土」を拡大する、という戦略をとったならば、近代兵器を揃えた軍隊の前には、著しく不利となるに決まっている。「防御は攻撃よりも強力」(クラウゼヴィッツ『戦争論』)というのは、あくまでも武装が互角であった場合の話なのだ。

この点、大都市を部隊としたテロは、仕掛ける側に大いなるアドヴァンテージがある。標的は無数にあり、宣伝効果もある。自爆テロであれば、味方の犠牲など最初から度外視してよいことになる。「狙われる者より狙う者が強い」のだ。

とりわけフランスという国は、昨日も少し触れたが、反イスラム感情を隠そうともしないキリスト教徒が多く、新聞社襲撃事件もそこに起因する、と見る向きも、実は日を追って増えていた。今次のテロで、またも風向きが変わるであろうが。

日本でも『イスラム・ヘイトか風刺か』(第三書館編集部・編、同社刊)というムックが発売されているので、参照されることをお勧めするが、問題の『シャルリー・エブド』という週刊のタブロイド紙が掲げていたイラストは、たしかにひどい。予言者ムハンマド(モハメッド)を娼婦や同性愛者になぞらえ、これでもか、というほどバカにしたもので、私などが見ても、これはさすがにひどいな、と率直に思った。

ただ、これは幾度でも強調しておきたいが、だからと言ってテロを仕掛けた側に、道義的正当性など微塵もない。断じて許されることではない。

他者の宗教にも敬意を払え、というのは正論に聞こえるけれど、それはタブーの存在を認める論理と表裏一体である。日本の言論状況に即して考えると、こうしたタブーを認めてしまって、創価学会や靖国神社を笑いものにしたら大変な事になる、という世の中になってよいのか、という話である。今でさえ、有形無形のプレッシャーがあるというのに。

こういうことを書くと、だったら移民や少数民族に対する、いわゆる「ヘイトスピーチ」のごとき行為も、言論の自由ではないか、と言い出す人がいるのだが、それも違う。

これまた、日本の言論状況になぞらえれば分かりやすい。韓国料理を食べて、
「こんな辛くて臭いもの、よく食えるな」というところまでは、味覚の問題であって個人の自由であろう。ただ、「こんな辛くて臭いものを食べてる人間は信用できない」と言ってしまったら、それは偏見である。まして偏見に基づいて社会的な差別を正当化することなど、許されてよいはずがない。日本人が常食している食べ物だって、外国人が見たら相当に気持ち悪いものが結構あるのだから。

さらに言えば、お互い言いたいことを言い合って、時にはケンカもするというのが、本当の意味での共存ではあろうけれども、言論に暴力で応じたらオシマイである。

お分かりだろうか。今次のテロに対して、やっぱり日本は難民を受け容れるべきではない、と考える人がもしいたら、それは誤りなのだ。

差別や偏見こそが、若者をテロに走らせる真の元凶であり、逆に言えば、マイノリティに対して寛大な社会を築くことこそが、テロリストの大義名分を失わせるという意味で、最善のテロ対策なのである。

(本シリーズ全2回。この記事は
【仏同時テロ:キリスト教国としての悩み】~ヨーロッパの移民・難民事情 特別編(上)~
の続きです)


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