[千野境子]【「国民的和解」の実現が課題】 ~ミャンマー総選挙とアウン・サン・スー・チー氏のこれから その3~
千野境子(ジャーナリスト)
さて、連邦団結発展党(USDP)は国民民主連盟(NLD)に本当に政権を手渡すだろうか。疑う人は皆無ではない。前科(1990年5月の総選挙)があるから無理もない。しかし今度は、さすがにそれはないだろう。ミャンマーが事実上の鎖国状態にあった当時と違って、今はインターネットが普及し、一朝事あれば瞬時に世界に伝わる。さまざまなNPOも育った。軍事クーデターの気運や余力があるとも考えにくい。
とは言え、アウン・サン・スー・チー氏とNLDがどのような政権運営を行っていくかは未知数である。スー・チー氏が彗星のように政治の舞台に登場してすでに27年が経つ。2012年4月からは下院議員も務める。しかし政治の実務経験が豊富であるとは言い難い。新たに大量に当選したNLDの議員たちは推して知るべし。どこかの国も大量のチルドレンを生み出してしまったので、大きなことは言えないけれど。
先行きが簡単に読めないのは、スー・チー氏がNLDの圧勝にもかかわらず、大統領になることが出来ないことだ。息子が外国籍(英国)のため軍政下で作られた憲法がそれを許さない。軍政はスー・チー氏を大統領にさせないためにこの規定を作ったと言われても仕方ない。いずれ改正されるとしても、今は間に合わない。
スー・チー氏は「私は大統領以上の存在になる」とか、「新政権は私がすべてを決める」と述べている。しかし待ってほしい。真意がどこにあるのか分からないが、これでは民主化に逆行する独裁宣言みたいに聞こえる。
まあ今は良く言われるハネムーン・ピリオドだから、何を言っても大目に見ればよいのかもしれないが、やはりちょっと危惧される点だ。スー・チー氏は何と言っても国民大衆からの圧倒的支持と人気があり、カリスマ性もあるだけに、ポピュリズムに走る危うさと常に背中合わせにあるからだ。
ただしスー・チー氏の著作や『アウンサンスーチーのビルマ』(根本敬著)などを読むと、スー・チー氏は本来、基本的に思索的で内省の人ではないかと私は思う。だからもし本当に「大統領以上の存在」を目指すならば、もっとも相応しいのはスー・チー氏がこれまで一貫して語り、テーマとしてきた「国民和解」という点においてだろう。
軍政とNLDの対立だけでなく、多くの少数民族との和平、少数民族としてさえ認められていないイスラム系ロヒンギャーの問題、すべて和解が求められている。そもそも1962年にネ・ウィン独裁体制が敷かれて以来、事実上の独裁が姿や形を変えてつづいてきたのだから、和解は至難であっても、これからのミャンマーの至上命題に違いない。それを担い、多くがナットクする人はスー・チー氏ということになる。
その一方で、一番の課題はやっぱり経済政策だ。残念ながらこれまでスー・チー氏から明解な考えはあまり披瀝されなかったような気がする。総選挙でも政策論争は十分ではなかった。
ミャンマーはようやく「東南アジア最後のフロンティア」と言われるところまで来た。これをさらに押し進めるためには、前回書いたテイン・セイン政権の「漸進的改革」を当面進めるのが賢明ではないだろうか。
例え本望でないとしても、ここは前政権の協力を仰ぐ。半世紀も軍主導の国だったのだから、実務のベテランはじめあらゆる人材がそこに集まっているのはやむをえない。NLDも人材を育て、発掘していかなければならないが、移行を円滑に効果的に行うためには、彼らを活用するという割り切りが必要だし、これもまた和解の一側面だと言える。
その意味ではスー・チー氏とNLDが統治能力を問われるだけでなく、総選挙に完敗した体制側もグッド・ルーザー(あっぱれな敗者)になれるかどうか試されている。
(この記事は【軍政の終わりと次なるステージの始まり】~ミャンマー総選挙とアウン・サン・スー・チー氏のこれから その2~の続き。本シリーズ全3回。【国民から嫌われ続けた軍政】~ミャンマー総選挙とアウン・サン・スー・チー氏のこれから その1~ もお読みください)